コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2006年02月12日

トリノオリンピック2

トリノオリンピックのことを書こうとして、昔話ばっかりしている私です。

こうなったら、続きを書きます。それほど、強い印象を覚えた時間を過ごしましたから。
ですから、同じような経験をしてほしいなぁと思います。
あの頃は年齢に関係なくいろいろな人達がボランティアや仕事でよい経験したと思いますから。
コンサのCVSもこのような時間を過ごしていると思います。

それでは昔話をさせてください。
札幌オリンピックといえば「ジャネット・リン」ですよね。
ええ、私たちも取材に行きました。
今で言えば独占取材です。アポといっても選手村に行って本人を呼び出し、インタビューしたのですが、こんなに簡単なもので出来ました。

それもこの日は前の日から大雪で、バイアスロンの取材というか、競技が延期になりまして、身体が空いたから穴埋めに記事をものにしましょうという、実に安易な日程の行動でした。

おまけといっては何ですが、選手村の前で出待ちをしていたら、建物から出てきた人が三笠宮殿下で、こちらがびっくりしました。
お付の人もいなく、というよりご本人が先に出てきて、後から皆さんが出てきました。
おかげさまで一言二言お話が出来ました。たわいないことで、どうせならいっぱい話しをすれば良かったと後から気が付きましたけど。
この時は「ジャネット・リン」の取材に気が向いていましたから。

そういえば、私たちはこの期間「EPU」という腕章をつけて行動していました。
正式名称は「European Photogrpher,s Union」←スペル合ってる?
そうなんです、腕章ひとつで競技場やその他もろもろの場所に入れたんです。
今では考えられません。

まぁ、この腕章のおかげで外人さんにいっぱい話しかけられました。
もちろんブロークンイングリッシュですべて対応しました。
通じたのかわかりません。言葉より態度で押し通すしかないんですけど。

そういえば、昨日のタクシーの話ですが今でもあると思いますが「東交ハイヤー」という会社が使われていました。
このタクシーの運転手さんも応対するために英語を勉強したと言っていましたけど、役にたったのでしょうか・・・
ただ、カメラマンや記者を乗せてあちこちに行くため、得がたい経験をしたとは言ってしました。

またまた長くなりました。第三弾を明日にいってみようかと。
本当は結論というか、言いたいことがあるのですが。前置きり話でこんなに引っ張っています。
ご迷惑ついでに読み飛ばしてください。


posted by 去舟庵海人 |21:48 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(1)