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2005年12月02日

坂田藤十郎

みんな契約更改と明日の試合の話に夢中だと思うので、
うちはまったり趣味の話などをしてメリハリを。
 
オイラの無節操な趣味のひとつが「歌舞伎」
市川猿之助丈のファンなので、年に二回、
5月の新橋演舞場のスーパー歌舞伎と、
7月の歌舞伎座の七月大歌舞伎は必ず見に行って
いたんだが、猿之助丈がお倒れになって以来、
ここ3年ほどご無沙汰になってしまった。
昨年の海老蔵、今年の勘三郎襲名興行が連チャンで
歌舞伎チケットが取れなかったことと、カタギ仕事の
苛烈さにGWも盆休みも厳しかったせいでもある。
 
ああ、一日中まったり歌舞伎座で過ごしたい…。
向かいにある弁松の幕の内弁当が食いたい…(←バカ
 
さて、30日に始まった京都南座の興行から
中村鳫治郎丈がついに「坂田藤十郎」を襲名した。
と言っても、その意味の凄さは歌舞伎ファンにしかピンと
こないか。言ってみれば、ロナウドがある日から
「ペレ」と名乗るようなものか…。
野球だと、ボンズが今日から登録名を「ベーブルース」とでも
するようなものかな(良いたとえかどうかまだよくわからん)
相撲だと、朝青龍が次の場所から「谷風」とか「雷電」とでも
しこ名を変えるようなものか。
 
坂田藤十郎というのはもう、これは歴史の教科書級の
もので、歌舞伎がプロとして確立した元禄年間の上方歌舞伎
の大スター。300年前の人で、いちおう二代目三代目はいるが、
それ以降でも230年間誰も恐れ多くて襲名できなかったほどの
名前。
近松門左衛門の歌舞伎作品はほぼ全てこの人のために書かれた
もの。藤十郎が早逝すると大近松は歌舞伎を書くのをやめて、
人形浄瑠璃の台本しか書かなくなったというほど。
 
それがついに復活だから、ちょっと夢のような話だ。
歴史の蓄積は何ともおっそろしいほどの凄みがあるのだ。
 
札幌はまだ10年目。はたして伝説のプレイヤーは生まれるか?


posted by FT |19:26 | 古典芸能ネタ | コメント(0) | トラックバック(0)