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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。

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I believe

2007年10月12日

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 数あるスポーツの中で、サッカーに一番引かれるのは、それがリアルな人生に一番近いからだと思う。  金のあるヤツはやっぱり強いが、いくら恵まれいても、落ちようと思えばどこまででも落ちていける。反対に、数は少ないけど、底辺から努力を積み重ね、成り上がりのサクセスストーリーだってある。  リアルな人生にある大きな振幅、浮き沈み、七転び八起き。それらにもっとも近いイベントが、サッカーだ。つまりサッカーは人生と共振する。それこそが、サッカーに魅せられる理由だ。  今日、貴方と私で作った草サッカーチームだって、勝ち昇っていけば、いずれクラブワールドカップで世界一になれる可能性がある。反対に、レアルマドリーでも草クラブに転落する可能性がある。  リアルな人生でも、トップエグゼクティブとされる人々は、エグゼクティブな家庭に育った人が圧倒的に多い。けれども、古の田中角栄を持ち出すまでもなく、そうでないところから駆け上った人はまったくゼロではない。  いろんな人がいて、いろんな人生があるけれど、成功者たちに一つ共通することは、おしなべて諦めなかった、そして信じた。  まさに I believe  今、まさに他のスポーツにはない、プロサッカーならではのダイナミズムの真っ只中に、サポとして、すなわち当事者として私はここにある  そのことは、後々になって振り返れば、自分の全人生タイムの中でもかなり貴重な、ひょっとすれば“幸福”と言ってもいいほどの月日に違いない。  と信じよう。 ーーーーーーーーー 私のブログに3件目のトラクパッドを寄せてくれたmarutaさんへの、 そしてそのもととなったダイさんへの そしてそしてさらにその元となったオオドサさんへの、 エールとして書きました。



空気の研究

2007年09月13日

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 少し協調性の足りない人に「空気が読めないヤツ」と言いますね。  戦術や選手個々の能力、または監督の采配など、サッカーの勝利を決定づける要素はたくさんあるけれど、その中でもっとも大きなものはこの「空気」というヤツなんだと思う。  昨年とほとんどポテンシャルの変わらない札幌が、ここまで首位を独走できたのも「負けない」という空気をフィールドに作り出せたからだと思うし、その「空気」が取り払われてしまったならば、ここ数試合のように下位相手に簡単に負けてしまう。  生観戦の醍醐味は、フィールドに流れている「空気」の切れ端を、スタンドで感じることができることです。よくテレビでは一方的に押し込まれて見えた試合でも、現地レポートでは「負ける気がしなかった」というケースがありますよね。スタンドで、「負けない」という空気というかオーラを受信してしまうから、こんな食い違いが起こる。  もの凄く不格好な試合の後に、拍手をして、真面目なサポから「生ぬるい」と怒られる試合がありますけど、拍手を送る人はフィールドに流れる「今日は勝てない」という空気に選手と一緒に感染してしまった人なんだと思う。感染してしまった証が拍手となって現れてしまったと。  一方、ブーイングを送る人は、自らのモチベーションの高さで空気に染まるのをはねつけた人、なんだと思ったりします。  しかし、この「空気」というのはくせ者で、ホームで圧倒的なサポートを送っても、それがかえって重苦しい「空気」を作り出してしまう場合があります。もちろん、いつもホームのサポートが悪い「空気」を作り出すと言っているわけではなく、多くの場合はホームチームに有利な風となります。  何が言いたいのかというと、フィールドを支配する「空気」の力学については、まだまだ未解明なことが多く、ようは一筋縄でいかないということ。ただ例外になく言えるのは、昇格であれ、優勝であれ、「空気」を支配したものが勝者になるということ。  決戦となる土曜日、「必ず勝つ」という空気で会場を満たしたいものです。



石水さんのこと

2007年08月29日

石水さんネタはもうやめようと思ったんですけど、いい話だったので。

 今日の各紙ですけど、突然、石水さんが宮の沢を訪れて、『信頼回復のめどが立った後になるが、試合後にサポーターに謝罪をしたいと思っています』と語り、『「今回の賞味期限改ざん問題後も、胸ロゴの撤廃運動などは起こらず、ファンはおおむね石屋製菓に温かかった。石水氏は報道でサポーターの声を聞き「涙が出そうになった」と目頭を熱くした。』と言ったそうです。また、「(クラブと会社の)過去の流れを説明した。コンサドーレあっての石屋製菓です」とも語ったそうです。
http://hokkaido.nikkansports.com/soccer/jleague/consadole/p-hc-tp0-20070829-248437.html

 インフォに書こうとかなと思って、荒れそうなんでやめましたけど、前々から思っている事なんですけど、石水さんに、HFCの社長をやっていただいたらどうなんだろう。

 HFCの良くないところは僕が思うのに、寄り合い所帯であってだれが責任者なのかはっきりしないところ。そのため会社として強い意思表示ができないところ。でもって、その反射として石水さんが、どうのこうと言われてきた、と言うこともあったと思います。

 今回のことで、さすがに石屋製菓の社長に返り咲くわけにはいかないだろうから、逃げも隠れもしないHFCの社長さんになってもらって、持ち前のリーダーシップ、経営手腕を発揮してもらったらどうだろう、というのが私の考え。

 石水さんについてはいろいろ意見がありましたけど、僕はこれまでの石水さんの関わり方が中途半端なのがいかがなものかという立場で、石水さん個人については、北海道を代表する優秀な経営者だと思っておりましたし、コンサドーレ札幌に寄せる思いが人一倍強いのが今日の記事でも見て取れます。

 石水さん、まだ63歳。社長を降り、さまざまな公職から離れたと言うけれど、あの方の手腕を遊ばせておくのはもったいない。どうでしょう。結構いいと思うんですけどね。もちろん、児玉さんが職責は十分に果たしたとしてお辞めになった後。誰もが納得する円満譲渡としてですよ。

 不祥事は不祥事として置いておいて、ことコンサドーレに関しては、ありがとうございました、と言いたいと思います。


白い恋人とコンサドーレ札幌

2007年08月20日

 石屋製菓を巡る議論の中で、札幌が石屋製菓に大変に世話になってきたという話があるけれど、石屋製菓が札幌に大変世話になってきた、という側面もあるんですよ。

 これは2000年11月10日の北海道新朝刊 「コンサドーレ賛歌」という連載の中で、石水さんがインタビューに答えもの。

 『チームができた一九九六年と比べると、うちの会社の売り上げは二倍の約七十億円になりました。本州でやったアウエーの試合で道内のサポーターが『白い恋人』を観客に配ってくれたこともあります。コンサドーレのファンが営業マンになって、応援してくれているんです。売り上げ増にはコンサドーレ効果もあったと思います』

 つまり、コンサドーレ札幌のスポンサーになって、売り上げが倍増したと言うことですよね。この当時は売り上げ70億ですが、今は80億。

 06年4月期 売り上げ82億7100万円 経常利益 26億5600万円

 上の記事ひとつだと弱いので書き足しでもう一つ。2004年3月26日の朝刊。
『<ひとフロンティア>石水勲さん』という記事。

『コンサドーレが出場する全国各地の試合会場やスポーツ番組で、ユニホームの「白い恋人」の文字が躍動し、知名度アップに貢献。応援を始めた十年ほど前の売上高は約三十五億円だったが、0五年四月期は約八十億円を見込むまでになった。「サポーターの中には白い恋人を買って道外の試合先で観客に配ってくれる人もいる。営業マンを何万人も抱えているようなもの。サッカーの応援が売り上げに自然と結びついてきた」と話す。』

 石屋製菓の場合はほ売り上げのほとんどが「白い恋人」で、同じ商品を作り続けコストも下がってきているだろうから、売り上げ以上に石屋製菓の利益率はもっと拡大していったと思います。82億の売上で利益が26億ですからね。破格とされるクラブハウスのレンタル料だって、税金対策には大きな貢献をしていると思う。

 こうして見ると、石屋製菓の年間1億のスポンサー契約はむしろ格安。石水さんはやり手ビジネスマンなので、身銭を切ってコンサドーレに支援しているように見せておいて、その実しっかりと損をしないソロバンを弾いてきたんです。「支援」というから、何かいつも助けられてきたような感じがしますけど、石屋製菓の場合は、「支援」というよりも「投資」で、元を十分すぎるほど取っています。

 なので、「石屋様に札幌は常に助けられてきた」と、我々がことさらに卑屈になる必要はないと思うんです。

 石屋製菓の新社長さんは「コンサドーレ札幌のスポンサー契約は白紙」と言っていますけど、それは「白い恋人」の売り上げに果たしているコンサドーレの役割を知らない人が言う話。石屋製菓の売り上げの推移を見ると、新社長さんはむしろ「こんな不祥事を起こしていしまいましたが、どうかスポンサーは続けさせてください」とお願いすべきもの。

 会社を存続、業績を回復をさせようと思えば、当然、売り上げが必要なわけで、経費削減のみみっちい話のために格安の1億のスポンサー契約を渋れば、それ以上の売り上げや利益を失うことになると思う。独創的で先進的な技術開発で伸びてきた自動車が、経営再建の経費削減のために研究開発部門をそっくりリストラするような愚です。

 今回の一連の報道で、こうした側面がすっぽり抜け落ちています。石屋製菓が札幌を助けてきたような側面ばかりが強調され、それがいつの間にか社会常識化している。コンサドーレの広告効果を正しく報道してくれれば、新規スポンサー開拓に大きな力になったと思う。

 私が思うに、この窮地から石屋製菓が蘇るためには、むしろコンサドーレ札幌に今以上に積極的な投資をして、J1昇格、J1定着を後押しして、「白い恋人」の全国的な知名度を復活させる、ことの方が得策じゃないですか。


そんな「12番目の選手」なら

2007年08月18日

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 札幌と同じように厳しい経営を強いられている大分のサポーターについて、朝日新聞に書かれた『そんな「12番目の選手」なら』というコラムがあります。
http://www.asahi.com/sports/column/TKY200707110469.html

 全文はリンクを参照していただくとして、趣旨は次のようなものです。

『大人1枚1800円のチケット代を払った作品が、たとえつまらなかったとしても、見たいと思ったのはあなた自身だ。懲りたなら、もう劇場に足を運ばなければいい。映画をサッカーに置き換えてみる。お金を払って観にいく、という興行と割り切れば、私はサッカーも同じだと思う。』

 ここで私は、サポーターとは何か、ファンとは何が違うのかという話をしようと思います。

 私の考えるサポーターは、レプリカを着て歩くことではなく、ゴール裏で跳ね飛ぶことでもない。まさに、フットボールチームの構成員の一つとしてチームを支(サポート)える存在、つまり当事者なんだと思うんです。

 一方、ファンとは上の新聞コラムに典型的に見られるように、スポーツイベントという興業に対する消費者なんだと思う。ファンであれば、この記者の言うとおりに、

『試合中にゴール裏で応援するも、ヤジるのも勝手だ。しかし、試合終了のホイッスルがなった時点で、払った入場チケットの対価は本来、完結し、精算されるべきだ』

 しかし、サポーターとファンは別物です。ファンという消費者ではなく、当事者であるサポーターとチームの関係は、ホイッスルが鳴った時点で精算されたりはしません。

 端的に言えば、

	ふがいない試合を見て、「金返せ」と怒るのがファン。
	ふがいない試合を見て、「金返せなくなる」と怒るのがサポーター。

 ところが巷には、サポーターをファンの別称としてしか理解できない、この朝日の記者のような者や、ゴール裏での声の大きさやブーイングの是非など、スタジアムの中の狭い局面の中でしか、サポートを語れない者が大勢います。残念ながら、それらが半ば常識になっています。しかし、本来、サポーターのサポートとはそんな浅く、狭いものではない。

 日本には多くのスポーツチームがありますが、コンサドーレ札幌のサポーターほど、サポートという言葉を深いところで受け止めることのできる者はいないと思います。

 北海道にコンサドーレ札幌というプロチームができてから10年あまりの歴史しかありませんが、このクラブのサポーターほど「サポートとは何か」という問題を次から次へと、突きつけられてきた存在はありません。激動の歴史の中で、淘汰され、鍛えられてきたサポーターが私たちなんだと思います。

 さて、今まさにコンサドーレ札幌は創立以来、何度目かの存亡の危機にあります。
 私たちは、私たち一人ひとりが、自分のできる範囲の中で精一杯、チームを、クラブをサポートしましょう。
 
 私たちが私たちであること、そのことがコンサドーレ札幌を救うと思います。



「白い恋人」事件

2007年08月16日

 今回の「白い恋人」事件について書きますが、とても衝撃的で、やりきれない気持ちでいっぱいです。

 石屋製菓の今回の失態は、食べ物を扱う会社としてあまりにも杜撰でお粗末。ミートホーム並みの厳しい社会的な制裁も当然という気持ちがひとつ。

 わが愛するコンサドーレ札幌への同社の影響力の大きさからくる憂慮。石水社長の存在感の大きさがコンサドーレ札幌を支えているという一面と、運営会社HFCの複雑な構造と石屋製菓の存在がある種の制約になっているという側面も確かにあります。これがもう一つ。

 そして、現実的に今回の騒動が中長期的にクラブに与える影響が見えないこと。そこから来る焦燥。これらがまぜこぜになって気持ちの整理ができません。

 一つ確実に言えるのは、この事件で私は客観的な第3者にはなれないと言うこと。客観的第三者ならば、

 石屋製菓の行為はミートホープと同列でありHFCは毅然とした態度を示すために石屋製菓にスポンサーから降りてもらうべきだとか、石屋製菓依存体質を改め経営を近代化する好機である、とか・・・

 いくらでもカッコの良い発言ができるでしょう。

 しかし、私にはそのような発言はできない。それはすなわち、私個人にはハリの先ほどの影響力もないとしても、私は、フロント、選手、スポンサーと並ぶ「当事者」の一人であるからです。

 自分の親類縁者、または親しい知人が犯罪を犯した。そのとき他人事のように格好良く、犯罪を犯した者を断罪できますか?

 すなわち、自分はファンではなく、サポーターであるということ。

 このことを今回の事件を通して改めて確認しました。


新居の復帰に賛成する

2007年07月31日

 J1が中断期に入り、札幌も前半ほどの勢いがなくなってきたこともあって補強を望む声が高まっています。そうした中、いいにつけ悪いにつけ名前のあがるのがジェフの新居。

 ご承知の通り、札幌ユース出身で、将来の札幌を背負うものと期待されたものの、飲酒運転で事故を起こし、札幌を解雇されて鳥栖に拾ってもらったという経緯があります。

 J2では昨年、一昨年と大活躍し、それが認められて千葉に引き上げられたものの、ベンチを温めることも多く、これまでにわずか1点。千葉はFWのレイナウドを雇い入れたことから、出番のなくなる新居を、貸し出せ、という声が上がっています。J2の実績は申し分なく、札幌というチームも誰よりも知っている。補強選手としてこれ以上のタレントはいない。

 一方、強固な反対の声もあります。2004年8月に起こした酒気帯び運転の人身事故は、最下位に低迷していたチームに、途方もないマイナスイメージを与えました。札幌時代の新居はもともと素行が悪く、事件後、反省の色が見えなかったという話がネットで広まり、サポの間に、新居憎し、の声が広がりました。新居の復帰に反発する人は、まだまだ新居を許すことはできない、というものです。

 そんな中で、私は「復帰賛成」です。

 大原則として、札幌で生まれ、育った選手に、札幌で活躍してほしい、という気持ちが強くあります。まして新居は生まれも育ちも札幌(正確には当別ですが)で、ユースからのたたき上げ。こういう選手にこそ札幌で活躍してほしい。これが大原則です。

 第2に、事件については、刑事的、社会的な制裁を受け、すでにみそぎは済んだということ。法律社会が与えた一定の刑罰を受け終わったならば、その人はその罪から自由であるべきだと思います。でなければ「社会復帰」ということに意味がなくなってしまう。
 
 第3ですが、これは多分に自分の想像も入っていますけど、あの事件を通して新居も社会的に成長しただろうと思います。最近のインタビューやコメントを見ると、あの事件に向き合おうという成長のあとがうかがえます。

 そして、何のかんの言ってもユース時代から育てられた地元チームを忘れることはできないだろう。そして、選手として活躍し札幌の昇格の助けになることが、自分が犯した過ちによってチームに与えたダメージを回復させる一番のみちだと。こう思っているに違いないと。甘いかも知れないですけど。

 そんなことを思うのも、ホームの山形戦。厚別のメインスタンドで、札幌の試合を観戦する新居(離れていたので見間違いの可能性もありますけど)を見たからですね。ああ、やっぱり新居は札幌に想いがあるんだ、と思いました。経緯が経緯ですから、強い気持ちがないと「聖地厚別」の敷居は跨げないと思うんです。

 まぁ、ですから、私の思い描くシナリオなんですけど、
 
 新居には、賛否両論の渦巻く中、コンサドーレのユニフォームをもう一度着てもらって、サポの前で自分の言葉できちんと謝罪し、試合ではゴールを量産して、札幌昇格の立役者になってもらう。そして金子達二が、

  『贖罪』 

 などというタイトルで、ベタベタのルポを書き、これが大ベストセラーになる。(別に金子達二でなくてもよくて、斉藤宏則さんが書いて一躍、売れっ子ライターになるのでもいいんですけど)。ついては、非行少年から見事に真人間に立ち直った青少年ということで、警察関係のパンフレットになったり、はては道徳の教科書の題材にもなったり、さらには感激した山林王のとてつもない金持爺さんが札幌のスポンサーになり・・・・というのが私の描いている絵なんですけど。

 ただ、このストーリーのためには、新居の大活躍と札幌の昇格が必要条件で、いずれかが失敗したら、チームも本人も大きくイメージを落としそうで、普通の選手を取る以上にハイリスク・ハイリターンではありますが。


ダヴィとカウエ

2007年07月19日

 ダヴィとカウェの契約更新が決定したようです。
 ダビィは面白い素材で、ガンバのバレーのように、いずれ化ける可能性を感じます。

 バレーは2001年に大宮に入団したときはC契約。30試合に出場して13点を上げたのが始まりでした。大宮をJ1に上げた功労者の一人ですけど、昇格とともに解雇されて、甲府に移りました。甲府の入れ替え戦での活躍はご存じの通り。(J1昇格時の大宮の監督は三浦さんですけど、どうしてバレーを解雇したのかは謎です。)

 さてダヴィですが、ストライカーが活躍すると契約更新ができなくなり、他チームに取られたという過去を教訓にして、長く活躍できるように現実的な契約を結んでもらいたいものです。

 もう一人のカウェについては、私は微妙だなと思っておりました。

 たしかに、ボランチとして一定の活躍は認められるものの、21歳の彼が試合に出続けているため、上里や鈴木といった生え抜きの若手が試合出られません。
 上里や鈴木がサテライトに甘んじ、経験を積めないとしても、それを補って余るほどの活躍をカウェがしれいれば、言うことはないのですが、正直、微妙という印象です。

 上里、鈴木と、カウェがほとんど変わらないレベルならば、長期的に見て、上里、鈴木に経験を積ませるべきだと思いますが、現実主義者の三浦監督にすると、追求すべきは今現在の「結果」であって、育成とか長期ビジョンなどは「結果」を犠牲にしてまで求めるものではない。何人かいるボランチの中で、例えわずかでも、今現時点でポテンシャルが高い方をセレクトしているということなのでしょう。

 しかし、先日の柏戦を見ると、サテライトの元気のなさが心配になってしまいます。

 リーグ後半に向けて、各チームの補強も進んでいます。
 カウェには、後半にチーム力の底上げになる新外国人が新規入団したくらいの気持ちで頑張ってもらいたいものです。彼自身が21歳なので、東京のアマラオのように、長く活躍してもらえれば、日本人の若手の成長の妨げになる、といった雑音も聞こえなくなるでしょう。


04年大宮と07年札幌

2007年07月14日

 今季の札幌を語るのに、三浦監督を抜きして語れない。そこで、三浦サッカーが完成した2004年の大宮アルディージャを振り返ってみたいと思います。

 2004年、三浦さんは2年ぶりに大宮の監督に復帰。これ以前の三浦監督は、前の柳下監督のように、『三浦監督は「ポゼッションサッカー」に強いこだわりを持っていた。つねにイニシアティブを取りながら、攻撃的かつエキサイティングなフットボール」を模索し続けていたのである(http://www.jsgoal.jp/special/2004preview/omiya.html)』というのですね。ところが『2年間の解説者生活を経て、彼は「J2は形でなく結果が何よりも大事」という考え方に方向転換した』(同前)というのです。

 さて、2004年の大宮は、出だしこそ勝ち負けを繰り返して不安定でしたが、チーム戦術が浸透してきた中盤以降から勝ちが先行し、32節の札幌戦(!)から最終節まで破竹の12連勝を飾り、42節で昇格を決めました。この年はJ2歴代最強といわれる川崎の存在が圧倒的だったために目立ちませんが、後半だけを見ると、直接対決を含め大宮は川崎を上回っていました。

 さて04年大宮の後半からの躍進を実現したのは、15節からのトゥットの補強とよく言われます。トゥットは、ダニエルという外れ外人のかわりに、15節から加入し、24試合で8点を上げました。しかし、記録を見ると、23節に新潟から入った森田浩史の途中加入も大きかったようです。森田は後半だけで10得点上げています。これは試合数の多いトゥットよりも多い数字です。
 
 もう一つ注目されるのはGKです。負傷もあって、18節で正キーパーが安藤友安から荒谷弘樹に変わります。荒谷に変わってからは3敗しかなく、大宮J1昇格に大きく貢献しました。こうして見ると、三浦監督独特の4-4-2サッカーを支えるキーパーの役割の大きさがわかります。
 
 新監督の1年目は、特に前半は戦力の見極めに苦労するものですが、2007年の前半戦での札幌の躍進は、04年に大宮で完成した三浦戦術を実践するのにふさわしいコマが、あらかじめ札幌にそろっていたからなのでしょう。(むしろ、コマがそろっていたから監督を引き受けたのかも知れません)

 トゥット182cmとバレー190cmという大型FWを前に並べるかたちは、ダヴィ183cm、中山元気186cmという姿で引き継がれていますし、攻撃力がありゲームの流れを変えるため、あえて途中投入された森田の役割は、砂川が担っています。三浦サッカーを裏から支えるキーパーも、04年、05年と大宮に在籍し、三浦監督をよく知る高木が移籍したことで穴が埋められました。(高木の移籍も三浦監督が希望した、のかも知れませんね)
 
 ただ、04年大宮の躍進は補強の成功にあることは疑いなく、当時の大宮と比べると小ぶりである07年札幌が後半戦を乗り切るためには、やはり的確な補強が不可欠なように思います。
 
 
 


フィールドの「役人」

2007年07月08日

26節


 24節のザスパ草津戦と26節の山形戦とでは、審判に際だった違いがありました。
 草津戦の審判は、審判の技術向上のために招かれたデンマーク出身の国際審判員ニコライ・フォルクアーツさん。むやみに試合を止めない、流れるような(決して“流すような”ではありません)レフリングで、サッカーのスピード感、スペクタクルが十分に堪能できる試合となりました。

 試合後、札幌の三浦監督も次のようにコメントしたそうです。
「最後に、今日のレフェリングに関しては、これまでよりも大きな違いを感じた。選手が苛立つことなくゲームを進めることができていた。そういう部分の違いを、ゲームを見ながら感じた」http://www.jsgoal.jp/news/00050000/00050643.html

 この試合の次に見た26節、厚別公園での対山形戦のレフリングが、いつものジャパンスタンダードだったので、なおさらフォルクアーツさんのレフリングが光りました。

 草津戦のフォルクアーツさんと26節の日本人審判を比べて思うことは、フォルクアーツさんがサッカーゲームというイベントの「PCO(Professional Congress Organizer)」であるのに対して、日本の審判はサッカー試合の「役人」だということ。

 フォルクアーツさんは選手にとってはもちろん、観客にとっても「良い試合」になるように試合をコントロールしようとしたのに対して、26節の日本人審判は試合から超然とし、客観中立を強調したいがために、ホームの雰囲気に流されないぞ、とあえてホームチームに厳しい笛を吹いているようでした。このような「逆ホームタウンデシジョン」は、この日ばかりではなく、Jリーグ全体に多いように思います。

 Jができてわずか15年です。なるのに長い月日かかるA級審判のかなりは、サッカーファンの一人としてチケットを買い求め、一人の観衆としてゲームを楽しんだ経験が乏しいじゃないでしょうか。

 また、日本のサッカーは学校体育から来ているので、先生が審判を務める機会が非常に多かった。そのために自然とグランドの中に、教師と生徒の関係が持ち込まれているようにも思います。

 こうしたことから、試合を観戦する観客を含めて試合をトータルにオーガナイズする意識が日本の審判の中には乏しい、と改めて思いました。



宏太をあたたかく迎えようよ

2007年07月05日

 新聞によれば、大宮のFWの吉原宏太が、札幌の練習に顔を見せたそうです。
http://hokkaido.nikkansports.com/soccer/jleague/consadole/p-hc-tp0-20070705-222437.html

 後半に向けて、補強がささやかれる中で、突然の来札は波紋を呼びました。

 ネットでは、2部落ちした札幌を見捨てて出て行った人、というネガティブな声も聞かれますが、僕は宏太はやっぱり心の中で札幌のことを思ってくれていたんだ、と嬉しくなりました。

 吉原宏太は、1996年のコンサドーレ札幌誕生とともに入団した高卒ルーキー。なんでも初芝橋本高校のエースとして、高校選手権でチームをベスト4に導き、本人も得点王になったもののの、Jクラブからはどこからも声がかからず、プロ絵の道をあきらめかけていたところに、コンサドーレから声がかかったといいます。

 当時はあんあり意識していませんでしたが、高卒ですぐにスタメンのFWって、なかなかないことですよね。この年はレギュラーとして27試合に出場し、7得点をあげています。当時のJFLのレベルは今のJ2よりは低かったとは言え、高卒ルーキーとしては結構な成績です。そして98年には、札幌の選手としては、はじめてフル代表に選ばれました。

 甘いマスクもあって、コンサドーレ札幌という北海道の歴史上はじめて誕生したプロチームのシンボルとして、全道的なアイドルとなりました。それだけに、札幌がj2に落ちて2年目にチームを去ると、こうした移籍が初めてで、誰もが慣れていないために、かわいさ余って憎さ百倍で、ずいぶんと非難を受けたものです。

 でも、降格したクラブの生え抜きエースは、1シーズンは、移籍せずに下部リーグの生活に耐えるという、その後の暗黙のルールを作ったように思います(ちなみにそのルールをはじめて破ったのが、札幌の山瀬!)。近年、このルールが破られ、降格と同時に移籍する選手が増えるのを見ると、札幌を見捨てて出て行ったんだというよりも、1年は残ってくれたんだ、と思いたい。

 札幌を出てから何年も経ちますけど、成績を見てもやはり札幌時代が最も輝いていた時代。プロにすくい上げてもらって、1年目からレギュラーにさせてもらい、代表まで上げさせてもらったのが札幌なんだから、当然、強い思いをもっていると思いますよ。

 そろそろ、温かく迎えてやってもいいんじゃないかな、と思います。

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 このことは強く訴えたくって、二重投稿になってしましましたが、
「コンサドーレ札幌インフォメーション」にも投稿しています。
 http://www.phoenix-c.or.jp/%7Ehiro/bin/yybbs/yybbs.cgi


監督のコメントはなぜ面白くないのか

2007年06月26日

 コンサドーレについてあれこれと考察してみるコーナーを作りました。第1回目は監督のコメントです。

 コンサドーレ札幌の歴代の監督の中で、三浦監督のコメントは格段に味気ない。聞いていてまったく面白くない。他の監督のコメントと比べても、とても当事者とは思えない他人事のようなコメントです。

 これは思うに、性格的にぶっきらぼうというのではなく、コメントから相手に何らかの手がかりや、ヒントを与えないようにしている。すなわち、三浦俊也という人の行動は、すべてが「結果」を出すために捧げられていて、監督コメントすらも、「結果」のために、プラスか、マイナスか、という計算づくで出している、そのことの現れなんだと思います。

 例えば、審判にゲームを壊された21節のアウェイ愛媛戦で、この時の監督は

 「今日は特にありません。質問もなしでお願いします」
 ※その後、質疑応答などは行われず、三浦俊也監督は会見場を退席しました。

 と珍しく感情的になったとあります。これは審判に対して激しい怒りを見せることで、連勝が途切れたショックから選手たちの心を少しでも離そうという計算の上のジェスチャーだったと思うんです。

 逆に今節は、今シーズンを占う大一番で、監督の作戦どうりの、おそらく会心の試合だったと思うんですが、それはおくびにも出さずに、コメントは、
「ヴェルディの方は現実的なサッカーはやっているなと思いましたし、やはり付け入る隙はないという印象は持ちました」というもの。
 「つけいる隙はありません」と言いながらも、絶対に「付けいる隙はセットプレイだ」と考えて、そのための作戦を練ってきたんだと思うな。しかし、そんなことは一言も言わない。

 ところで、Jの監督の中で三浦監督ぐらい選手として実績のない人はいないんです。大学時代は駒澤大学のサッカー部でしたが、終生控え選手だったようで、大学卒業後は養護学校の教諭になっています。そんな人だから、監督として、プロサッカーの世界の中で生き続けるためには、「結果」を出し続けるより無い、というところがあると思うんです。(このことについては、これからいろいろと考察してみたいと思います)

 逆に、選手として実績のあった人は、たとえばジーコのように、純然たる「結果」を超えてロマンみたいなモノを選手やチームに求めたりする。で、そういう人が監督になると、実にコメントに感情があふれていて、面白いんですよね。

 たとえば、例えば第4節のラモス監督のコメントはこんなもの。 
「遅れてすみません。これは僕が悪いんじゃなく、名波がうるさくて(笑)。勝ったから3日間休ませてくれって言ってきた。しょうがないからベテランは3日間休みにしました」(笑)。