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2007年07月14日

04年大宮と07年札幌

 今季の札幌を語るのに、三浦監督を抜きして語れない。そこで、三浦サッカーが完成した2004年の大宮アルディージャを振り返ってみたいと思います。

 2004年、三浦さんは2年ぶりに大宮の監督に復帰。これ以前の三浦監督は、前の柳下監督のように、『三浦監督は「ポゼッションサッカー」に強いこだわりを持っていた。つねにイニシアティブを取りながら、攻撃的かつエキサイティングなフットボール」を模索し続けていたのである(http://www.jsgoal.jp/special/2004preview/omiya.html)』というのですね。ところが『2年間の解説者生活を経て、彼は「J2は形でなく結果が何よりも大事」という考え方に方向転換した』(同前)というのです。

 さて、2004年の大宮は、出だしこそ勝ち負けを繰り返して不安定でしたが、チーム戦術が浸透してきた中盤以降から勝ちが先行し、32節の札幌戦(!)から最終節まで破竹の12連勝を飾り、42節で昇格を決めました。この年はJ2歴代最強といわれる川崎の存在が圧倒的だったために目立ちませんが、後半だけを見ると、直接対決を含め大宮は川崎を上回っていました。

 さて04年大宮の後半からの躍進を実現したのは、15節からのトゥットの補強とよく言われます。トゥットは、ダニエルという外れ外人のかわりに、15節から加入し、24試合で8点を上げました。しかし、記録を見ると、23節に新潟から入った森田浩史の途中加入も大きかったようです。森田は後半だけで10得点上げています。これは試合数の多いトゥットよりも多い数字です。
 
 もう一つ注目されるのはGKです。負傷もあって、18節で正キーパーが安藤友安から荒谷弘樹に変わります。荒谷に変わってからは3敗しかなく、大宮J1昇格に大きく貢献しました。こうして見ると、三浦監督独特の4-4-2サッカーを支えるキーパーの役割の大きさがわかります。
 
 新監督の1年目は、特に前半は戦力の見極めに苦労するものですが、2007年の前半戦での札幌の躍進は、04年に大宮で完成した三浦戦術を実践するのにふさわしいコマが、あらかじめ札幌にそろっていたからなのでしょう。(むしろ、コマがそろっていたから監督を引き受けたのかも知れません)

 トゥット182cmとバレー190cmという大型FWを前に並べるかたちは、ダヴィ183cm、中山元気186cmという姿で引き継がれていますし、攻撃力がありゲームの流れを変えるため、あえて途中投入された森田の役割は、砂川が担っています。三浦サッカーを裏から支えるキーパーも、04年、05年と大宮に在籍し、三浦監督をよく知る高木が移籍したことで穴が埋められました。(高木の移籍も三浦監督が希望した、のかも知れませんね)
 
 ただ、04年大宮の躍進は補強の成功にあることは疑いなく、当時の大宮と比べると小ぶりである07年札幌が後半戦を乗り切るためには、やはり的確な補強が不可欠なように思います。
 
 
 

posted by hibari |15:23 | コンサドーレあれこれ | コメント(6) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:04年大宮と07年札幌

はじめまして、すいとこびっちと申します。
04年の大宮戦、大宮に観戦にいったことを思い出します。印象は、コンクリートのように堅いチームって感じでした。
今の札幌も、他チームから見るとそう見えるのかなあっと。
違うのは、当時の大宮はやはり得点力もあったという印象ですねえ。
私としては、小ぶりなりに今まで応援していたメンバーで、成長して欲しいような、補強してほしいような複雑な気分です。

posted by すいとこびっち | 2007-07-15 00:11

Re:04年大宮と07年札幌

すいとこびっちさん ありがとうございます。
他チームのコメントからは、本当にコンクリートのように堅いチームと思われているようですよ。札幌は。

04年、札幌は三浦大宮と4回戦って1分3敗。その1分けも、第2節、大雪の埼玉スタジアムで、雪上サッカーに札幌の選手の何人かが慣れていたと言うだけ。

ビッシと並んだ大宮の4-4-2にまったく何もできませんでした。タマをどこにも出しようがなく、最終ラインの尽と曽田でボールを回していましたっけ。

今、テレビで相手の最終ラインが、ボールを回しているのを見ると、画面に映らない向こう側に、きれいに整備された札幌の4-4-2があるんだろうなと思うと考え深いですね。

三浦監督のサッカーは精密機械のようなサッカーで、はまるとすごく効果的なんだけど、戦術を浸透させるのが大変らしいです。と考えると、コマがそろっていたということはあるにしても、よくぞ、この短期間に三浦サッカーをモノにできたな、と。これはある意味、脅威なことだと思うんですよ。

私の考えなんですけど、やはり、それ以前に柳下さんがチームをいったん解体し、再構築して、作り直したのが基盤になっていると思うんです。3年間で、不純分子は追い出し、残った選手は教育して、監督の方針に素直に従うように、作り替えたということで。

posted by hibari| 2007-07-15 01:16

Re:04年大宮と07年札幌

2004年の大宮の最多連勝は32節のコンサ戦から最終節の京都戦までの13連勝ですね。これは2000年のコンサの14連勝に次ぐJ2連勝記録2位ですが全て90分以内と言う点で実質的には1番と言えます(2000年のコンサは延長戦3勝含む)

ひばりさんなら既に御存知かも知れませんが、J1昇格を果たした三浦監督率いる2004年の大宮について詳細なリポートがスポーツナビにあります。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200411/at00003164.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200412/at00003173.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200412/at00003239.html

上記によると2004年シーズンの最大の転換になったのは17節・厚別の札幌戦でFWのトゥット・森田と並ぶ途中補強の成功は右SBの西村で、それら的確な補強を成功させた三浦監督の駒大時代の同僚・佐久間強化部長だったと言う事など、今後の三浦コンサを考える上で大いに参考になるコラムでした。

posted by EBT| 2007-07-15 21:12

Re:04年大宮と07年札幌

EBTさん、知りませんでした。貴重な情報ありがとうございました。
 すばらしい記事ですね。3年前の他チームの記事ですけど、今の札幌を理解するのにこれ以上ない、という記事。

 今僕らの最大の懸念は、今の好調がいつまで続くのだろう、失速、泥沼に巻き込まれてしまいうのではないか、というところですよね。

 でも、これを読んで感じたのは、三浦監督は、経験済みであり、当然、想定農地に入っているだろう、そしてそれに対する構えもできているだろう、という信頼。

 ここにあるのは、3年前の40歳の時の三浦監督ですが、今、僕らのチームを率いているのは、この時からさらに経験を積んだ43歳の三浦監督と言うことですよね。

 京都との勝ち点が3点にまで迫ってきて、どうしたものかと、内心、あたふたしていましたけど、どっしり構えてみていられそうです。

posted by Hibari| 2007-07-15 22:31

Re:04年大宮と07年札幌

EBTさん、知りませんでした。貴重な情報ありがとうございました。
 すばらしい記事ですね。3年前の他チームの記事ですけど、今の札幌を理解するのにこれ以上ない、という記事。

 今僕らの最大の懸念は、今の好調がいつまで続くのだろう、失速、泥沼に巻き込まれてしまいうのではないか、というところですよね。

 でも、これを読んで感じたのは、三浦監督は、僕の懸念を、過去に経験済みなのであって、当然、想定のうちに入っているだろう、そしてそれに対する構えもできているだろう、という信頼。

 ここにあるのは、3年前の40歳の時の三浦監督ですが、今、僕らのチームを率いているのは、この時からさらに経験を積んだ43歳の三浦監督と言うことですよね。

 京都との勝ち点が3点にまで迫ってきて、どうしたものかと、内心、あたふたしていましたけど、どっしり構えてみていられそうです。

posted by Hibari| 2007-07-15 22:33

Re:04年大宮と07年札幌

なんか、ダブってしまいました。
コメントは修正できないようですね。

でも、あらためて、ありがとうございました。
明日は、柏戦を見にいきます。

posted by hibari| 2007-07-15 22:34

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