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2009年01月09日

実践者は言葉をもたないか?

「実践的研究とは何か」という文章を読み、また、今日たまたま、ある優れた保育者(現在は大学教員)の方にお会いしたこともあって、「実践」という言葉の意味について考えた。

実践とは、人間が何かを行動によって実行すること、という意味だけれど、「保育実践」とか「実践研究」などというとき、そこには必ず価値の問題が含まれる。特に保育実践は、特定の技術や知識の教授を目的とする教育とは異なり、生活そのものなので、その保育者の価値観や人間性が直接的に表れる。もちろん保育専門職としての知識や技術というものはあるし、それは保育者である限り身につけなければならないものだと思うけれど、でも、なんだかんだ言って、結局は、人間性だよね、と最近では思う。

だから保育者養成の中では特に「こういう保育者になってほしい」「こんなふうに子どもを見てほしい」という強いメッセージを発することが必要になってくるのだと思う。学生の人間性を養うと言ったらおおげさだろうか。

子どもをかわいいと思うとか、子どもの言動をおもしろいと感じるとか、子どもをひとつの人格をもった個として捉えるとか、子どものマイナスの側面も受け止めるとか‥‥そういうことは、そんなふうに思いなさい、感じなさいと言われてできるものではない。

では、どうしたらよいのか? やり方はいろいろあると思うが、そのひとつとして「文章の添削」があるのではないだろうか。前にも書いたけれど、言葉は思考の表れもしくは思考そのものなのだ。だから言葉を直す、文章を添削するというのは、思考(思想)を形成することにつながる。

保育者は「実践(身体を動かすこと)」が仕事なのだから、手遊びをいっぱい覚えたり、ピアノを弾けるようになればいいのであって、卒論なんて格好だけでいい、というのは間違いだと思う。むしろ卒論を通して考え、自らの思考を文字に表し、それを人に見てもらって何度も何度も書き直す、その過程で保育者としての人間性を養うことが大事なのではないだろうか。




tomo にお誕生日に何が食べたい?って聞いたら、
おにぎり
だって。



posted by mou3 |14:33 | 研究 | コメント(0) |