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2008年04月24日

あめ

今日は朝から雨。
先週末からの疲れと気圧の低さでhousanもテンションが低い。
tomoは少しずつ回復の兆し。

最近とみに2歳児っておもしろいなぁと思う。
身体にしばられている部分がまだまだ多い一方で確実に表象世界へ足を踏み入れて始めている。
眠いとかおなかがすいているとかですべてが崩れることもあるけれど、○○してから次これしようか、などがわかって、前の活動を終えるまで次の目標を心の中に保っておくこともできる。
ま、次の目標と言ってもアイスを食べるとかテレビを見るとか楽しいことに限るのだけれど。
一生懸命泣くのをやめようとしたり…いじらしい。

この間Hさんに、3歳までの子どもがほしくてたくさん子どもを産み続けた人の話を聞いたけれど、わかる気がする。
歩き始め、とか、話し始め、とか、とにかくかわいい。
必死さがあるからだろうか。
今やっているデータを片付けたら次は2歳児の実験をしようか。


今日は湿度が高いから鼻の調子はよい。
疲れはたくさん寝ることで回復を図るしかない。
午後の授業が終われば少し楽になるか。

posted by mou3 |12:34 | 雑感 | コメント(0) |

2008年04月23日

また鼻づまり、ですか?

先週末の疲れを引きずりながらのスタートである。

tomoも夜驚があったり眠れなくて大泣きしたりとなかなか大変な状況。
昨日も降園のとき絵本を見てから帰りたいと訴えて激しく泣いた。
先生もtomoの状況を見てもう少し配慮してくれたらいいのになぁと思う。


同じクラスのお母さんが、最近katochanに会わなくてさみしい、と言っていた。
tomoだけでなく他の子も家で、katochanがいい、などと言っているのだとか。
保育に関わる人間でなくとも、みんなやっぱり感じているのだなぁ。
まぁいろんな人に見てもらえばいいのだと思うけれど、でも大好きな人と一緒にいるのが一番いいよね。単純に。



疲れているといえば、またもや風邪をひいてしまったようだ。
鼻の調子が悪いし咳も出る。やれやれ。
楽しいことを考えたいが、それも今は思いつかない。



posted by mou3 |10:17 | 雑感 | コメント(0) |

2008年04月21日

収穫

18日から20日まで研究集会に参加してきた。
今回の集会は実行委員でもあったため裏方の仕事も少々した。
自由人の集合なので実際に会を取り仕切るとなるとなかなか大変な側面もある。
でも無事終わって良かった。

この研究会は、わたしにとっては、研究上の議論はもちろん研究者としての生き方についても話し合うことのできる貴重な場だ。
housanと出会ったのも実はこの研究会だったのだよなぁと思い出す。



研究面での収穫:
子どもの無意識的情動表出に対する他者の意味づけが子どもの感情語彙(感情のカテゴリー化)の発達をどのように促進するか。おもしろいテーマだけれど、どういうやり方でデータを取るのかが問題だ。今のところ思いつくのは、
(1)絵本読み場面での子どもの反応と保育者のことばがけについての記録
(2)ごっこあそび場面での子どもの感情語彙の使用状況
を比較するということくらいか。
永井均が例に出している、子どもが「こわい」という語を学習する場面をイメージしてやってみたい。子どもが「実際に」どんな感情を経験しているのかはともかく、大人は子どものある情動表出を見て「こわいんだね」と言い、そういうやりとりを通じて子どもは「こわい」とはどういう状態を指すのかを知っていく。ターゲットは2歳児。


その他の収穫:
新人が女の子だとわかったとき。がっかりはしなかったけれど、期待を裏切られた感があった。と同時に、男の子を育てるのは難しいからやっぱり女の子でよかったとも思った。ちょっと複雑な気持ちだったのだ。
今回HさんやKさんの話を聞き、姉妹を育てるのが楽しみになってきた。

子どもが健康に育つ上で最も重要なのは母親の精神状態が安定していることだ。この母親の精神状態を脅かすものとして、経済的状況や夫婦関係や子どもの発達特徴(障害)などがあるのではないか。つまり全ては母親を媒介して子どもの発達に影響する、ということだ。子ども自身の気質・体質さえも。これは言い過ぎか。でも、母親自身が「快適」と感じられることを優先することが実は子育てをうまくやっていくコツかもしれないと思った。

posted by mou3 |15:08 | 雑感 | コメント(2) |

2008年04月07日

せいかつ

日曜日、一宮にある「すえひろ家具」へ行ってきた。
お姉さんになるtomoの食卓イスを買うためである。

家具は間に合わせで買っては本当にダメだと思う。
自分の財力の許す限り、質の良いものを、時間をかけて吟味して、納得して買いたい。
そして愛情を込めて手入れをしながら一生使い続けたい。
だから、年をとってお金ができたらいいものを買う、というのでは遅いのだ。

何にどのくらいお金をかけるかは人それぞれで、こういう考え方が万人に通じるものとは決して思わないけれど、でも「本物」に囲まれて生活すると心が潤うのだと思う。
穏やかな家族に囲まれて育つと、みずみずしく心優しい人間になるように。

そんなことを考えた一日だった。



そういえば、お気に入りの雑貨や家具に囲まれた生活にあこがれて、大人になってやっとそれが少しずつ叶ってきたところだったのだ。
でもここ1年くらいは子育てに追われて、そんなこと忘れていた。
なんでもいい、どうでもいい、間に合わせの生活。よくないなぁ。

新人登場で生活も変わることだし、心機一転でやり直してみよう。





ちなみに新人は、女の子、らしい。
そしてまたしても手術、決定。
普通の出産がしてみたかったのになぁ‥‥。

posted by mou3 |14:03 | 雑感 | コメント(2) |

2008年04月07日

文章を書く、読む

文章を書く、ということについて最近思ったこと、ふたつ。

ひとつは、さまざまな商品の説明文や町内会だよりなどの、いわゆる一般的な書類の文章。
読んでみると、これが結構、意味不明なのだ。
この間買ったお米についての説明文。このお米は粒が小さいのが特徴で「よく見るとかすんで見えることから『おぼろづき』の名前がついた」とある。
「よく見ない」方がかすんで見えるのでは? 細かいことだけど‥‥。

読者にきちんと意味の通じる文章を書くのは意外に難しいことなのかも知れない。
とはいえ、読者もいちいち細かいことなんて気にしないで読んでいるのだろうけれど。
大量消費社会では「文章」すら右から左に流れるだけだ。


もうひとつは、プロが書く文章。
一応自分も文章を書く仕事をしている部類に入るのだと思うが、論文と小説では「書き方」が全く異なる。
小説家は、いったいどんなふうに文章を書くのだろうか。想像がつかない。
架空の「物語」を使って何かを伝えるのってものすごく難しそうだ。
でも書き方は違っていても共通していることもあると思う。
それは、リアルをとらえる、ということ。
「現実」をつかんでいなければ、小説も論文もいいものとは言えないだろう。
しかし内容浅薄な「プロ」の文章がいかに多いことか‥‥。
いや、プロなので形式は美しく整っているのだ。つるつると、のどごしよく読める。
でも、たぶん読んでも何も残らない。

もしかしたら全てが大量消費の現代では、プロの文章にも求められるのは「のどごし」なのだろうか?
がぶがぶ飲んで一時的に酔っぱらって、そしてまた次の日も歯車のように同じことをくりかえす。
それじゃあ、ゾンビと同じだな。「意識」のないゾンビと。

posted by mou3 |13:15 | 雑感 | コメント(0) |

2008年04月02日

新学期

毎年、年度の変わり目には気持ちの切り替えと称して何か行事をしている。
今年は、3/30の結婚記念日に知多へドライブに、昨日4/1は動物園へ行って来た。

うちでは、仕事や帰省のついでにどこか観光地へ寄ることはあっても、娯楽のみを目的として出かけることは珍しい。
今年はtomoが外へ出かけて楽しめるようになったことあり、こんな行事になった。
さすがに妊娠8カ月目ともなると体が重くて肉体的には疲れたのだけれど、精神的には充実した2日間だった。

tomoもきっと楽しかったと思う。
本当は2歳児なんてどこにも出かけなくたって両親が一緒に遊んでくれるだけで楽しいんだろうな。
でも大人は生活の場から少しでも離れた方が「しっかり」遊べるから、出かけることの意義は大人の側にあるのだろう。

昨日は風はまだ冷たかったけれど天気が良くて桜も満開で行楽日和だった。
動物園は春休み中の子どもと母親と祖父母で意外にも混んでいた。

tomoとhousanがロングすべり台(「樹快ダー」という名前らしい)にならんでいる間、満開の桜の下でウグイスの声が聞けたこと。
巨大なアジアゾウのちょっとした芸が見られたこと。
オナガザルの檻の前でhousanと歩行機能の進化的・個体発生的発達と意図との関連について議論できたことが楽しかった。

tomoはモルモットを抱っこできたのが相当うれしかったらしく、帰ってきてからもずうっとモルモットのことを言っていた。
housanは樹快ダーに乗れたのが相当うれしかったらしく、帰ってきてからもずうっと「樹快ダー、樹快ダー」と連発していた。



というわけで今日から新学期。
今年は「生む」年だ。
まずは投稿論文を急がねば。

posted by mou3 |11:19 | 雑感 | コメント(2) |