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2008年02月27日

春一番

今年の春一番は2月23日に吹いたらしい。
その日はたしかとても天気が悪く一日家ですごしていたと記憶している。
このところ、風の強い寒い日が続いている。
春二番、春三番かもしれない。


昨日行われた保育園のクラス懇談会は楽しかった。
今年のももぐみは個性派揃いでよい雰囲気だ。子どもも親も。
幼稚園とは違って母親同士で話をする機会はほとんどないので、たまに懇談会や父母会活動などで話をすると楽しいし、どこのうちも同じなのだ、と、ほっとしたり勇気づけられたりもする。
でも、おそらく母親同士のつながりはこのくらいの濃さでいい気がする。
ママ友などという関係は私には合わないように感じる。
子どもと夫の話「しか」できないなんてつまらない。


ところで、先日100円ショップで封筒を買って領収書をもらった。
これまでにも何回か試しているのだが、今のところ100%の確率で、100円ショップの店員さんは「封筒」という漢字が書けない。
収入と学力には正の相関があるのだと思わざるを得ない。
逆に言えば、封筒という漢字が書ければ時給800円で働かなくてもよい、ということだろうか?


ここ数日また鼻の調子が悪くなってきた。咳も止まらない。
いい加減回復したい。

posted by mou3 |15:26 | 雑感 | コメント(0) |

2008年02月21日

子育ては鼻歌歌いながら

昨日は保育園の学習会でS先生のお話を聞いた。
何も準備しないで聞くだけなんて、なんて楽なのだろう!というのはさておき。

子育ては第2子が産まれると、ややこしくなる。
第1子は「本妻さん」。そこに突然「2号さん」が現れたら本妻はどんな気持ちになるだろう?
こういうたとえ話はおもしろい。
そして、それはまさに今のtomoの状況だ。
ママを独占するのに必死で、パパすらライバル扱い。
わたしとママの二人きりの時間をじゃましないで!と言わんばかりだ。
先日も
 パパ「パパはtomoちゃんのこと大好きだよ」
 tomo「ともちゃんママ好き。パパいらない。」
パパが傷ついたのは言うまでもない‥‥。
いくらなんでもちょっとひどすぎなのでは?



最近の青少年の現状(例えば、ニートや不登校、少年犯罪など)の原因をテレビやゲームといったメディアのせいにして終わり、というのは単純過ぎると思う。一方で、テレビがゲームが今子どもをダメにしているんですよ、という言説を信じて動いている人々がいるということは事実だ。

生活レベルの小さな言説を脱構築したとか言ってよろこんでいても進展はない。脱構築屋さんには、眼から鱗のもっとデッカイものをぶっこわしてほしいものだ。

posted by mou3 |12:07 | 子ども | コメント(2) |

2008年02月20日

鼻、治ってきました

今日も耳鼻科に行ってきた。
もう膿は出ていないということで次回の予約は、なし。


実は先週末の北海道旅行が効いたのかなぁ、と思う。

15~17日まで札幌・小樽へ遊びに行ってきた。
楽しみのための旅行は久しぶりだ。
今回はkanakoが一緒だったこともあり、うちにしては珍しく観光地めぐりをした。
小樽のイベント「雪灯りの路」も見てきた。
雪の中ソリ滑りもしたし、北海道のおいしいものもたくさん食べた。
(なんと夜光虫にも行ってきた!)

札幌に着いてからずっと鼻の調子はよかった。
連日の雪で、低温高湿度という鼻腔が開く条件が満たされていたというのもあるかもしれないが、それよりも今日の晩ご飯は何を作ろう、とか、何時までに迎えに行かなくちゃ、とか考えなくてもいいのが一番よかった。
結局、体調不良はストレスが原因だったのかもしれない。
そういえば今年に入ってからずっと休みたい、休みたいって思っていた。


若いときには考えなかったけれど、この年になると意識的にリフレッシュすることも必要なのかもしれない。



ということでようやく自分の仕事を始動させた。
なんだかんだ言って研究のことを考えるのはやっぱり楽しいし、自分の仕事をまじめに続けていると自然に流れができてくる、ということも最近わかってきた。

posted by mou3 |14:05 | 雑感 | コメント(2) |

2008年02月12日

びくうの条件

鼻腔が開く条件を見出した。
1)湿度が高いこと
2)温度が低いこと
少なくとも私の場合はそうだ。
この2つの条件を同時に満たす環境は3つほどあると思う。
・冬の雨の日
・露天風呂
・アイスを食べる

1カ月近くも鼻炎をやっていると、こういうくだらないことを発見する。
しかし今のわたしにとっては重要だ。
鼻づまりが生活に及ぼす影響は人によってさまざまらしい。かなりつまっていても全く気にしない人もいれば、生活の全ての機能が麻痺するほど甚大な影響を受ける人もいる。私の場合は後者だ。

鼻がつまるというのは、鼻水がつまっているということではない。
鼻腔内が炎症を起こして充血し腫れて隙間無くふさがってしまう、ということなのだ。

鼻炎悪化の原因は、おそらく、医者に忠告を受けたにもかかわらず、再び風邪をひいてしまったことによる。
今は鼻炎と咳のダブルパンチ状態。
上の条件から考えても、寝室は暖かくて乾燥していることが多く、また仰臥姿勢の方が鼻の通りが悪くなるので、寝るときが最も辛い。疲れているのに眠れない。




ところで最近のtomoはますますおもしろい。
父に「ママに、着替えます、って言っておいで」と言われ、母のところへ来てわざと「着替えないです」と言い、にやりと笑う。
スーパーで母がいなくなったのに気づいて「ママいないっぽい」と探し出す。
すべり台で遊んでいる途中「ローラーすべり台は楽しいなぁ!」と言う。
2歳児って本当は興味深い姿をいっぱい見せてくれる。
大変なことも多いけれど。

posted by mou3 |16:46 | 雑感 | コメント(0) |

2008年02月06日

理性と自然

今、清家竜介「フランクフルト学派の批判理論」(仲正昌樹ほか著『現代思想入門:グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』PHP)を読んでいる。そこでは、ハーバーマスが、フランクフルト学派第一世代が乗り越えられなかった「主観・客観図式」をいかに乗り越えようとしたかについて説明されている。ここでいう「主観・客観図式」とは、巨大な自己反省する主観、つまり理性が客観である自然を表象し、それに働きかけることで目的合理的に利用していくという理論モデルのことである。
理性がいかに自然(身体)を統制していくか。

実はこれは2歳児の発達課題なのではないかと思う。
乳児は身体的情動や欲望をことばという理性によってコントロールすることで幼児になってゆく。

今朝のtomo。
母が先に起きていなくなった布団の中で夢うつつに母を捜して動いているうちに頭をベッドの柵にぶつけてしまった。ぶつけて頭が痛かったのと母が自分をおいて行ってしまったことに対して泣いて激しく訴えた。「ママがいなくなったからわたしが頭をぶつけて痛かったんだ」と。
そんなこと言われてもこちらとしては、早起きでもして準備をしなければ朝ご飯も食べられないし保育園にも行けないし、困るのはあなただよ、と言いたいのだけれど、それはさておき。
ここ何日かは、激しい怒りにとらわれるともう自分でも何を言っているのかわからなくなり相手のことばも耳に入らない状態になってしまっていたtomoだったが、今朝は母が「わかったよ。ママがいなかったから頭ごんごんしていやだったんだね」と言うとスッと気持ちがおさまったようだ。そしてそこから自分で泣くのをやめていくことができた。情動をことばで表象することで方向転換させたのだ。
これは理性が身体を統制する、その未発達な形態なのではないか、と、ふと思った。


おそらく気質的に「あきらめること」が苦手な上に、発達上の課題も重なり、その上さらにじんたろう(仮名)が出現したという、彼女にとって今はとても苦しい時期なのだ。そんなわけで今、母を独占したい気持ちが最高潮に高まっているtomo。そんな我が子をかわいいと思う反面、そのあまりの激しさに負けてしまいそうになる。
育てる側にも理性と自然の葛藤がある。
こういうことをもう少し情緒的記述ではない方法で説明してみたい。

posted by mou3 |16:29 | 子ども | コメント(0) |

2008年02月01日

Terrible Two

tomoは小さい頃から年齢の特徴が割とはっきり表れる子どもだとは思っていたが、最近の彼女はまさにterrible two。教科書の事例に最適と思われるようなエピソードが山ほどある。

得意技は「‥‥じゃないよ」
「××じゃないもん、○○だもん、ぺー」という変則技もある。
両親が「無いよ」と言えば「あるでしょ」
「××しなさい」と言えば「今tomoちゃん○○してるから××しないでおく」

…本当にこの子2歳0カ月だろうか?
おもしろいのだけれど親としては腹が立つことも多いのだ。

泣いて怒るときにも「tomoちゃん××イヤだったんだよー」と気持ちをことばにするようになってきた。
つい先日も「靴下を履いたまま寝る」と言ってきかないので、寝入った頃を見計らって脱がせたら、それで目が覚めてしまい手がつけられないほど大泣きして怒った。手がつけられないほど、というのは決して大げさな言い方ではない。床に転がって手足をバタバタし金切り声で泣き叫ぶのである。たかが靴下を脱がされたくらいで?とこちらは思ってしまうのだが、彼女にとっては「たかが」ではないらしい。「くつしたはくー、イヤだったんだヨー、ぱんぱんぱん」と言いながら父を叩いていた。脱がせたのは母だったが。

次の日、父がこの様子を保育園の先生に伝えると、それを聞いていたtomoの表情がみるみる曇り、父と別れるときにはわんわん泣いていた。自分の失態を他人に知られるのがいやだったのか。

こうやって心のひだが折り畳まれていくのだなぁと思う。
せつないけれど、心のひだをたくさんもっている人の方がこの世界を何倍も豊かに生きていけるだろうと思うのだ。
Gさんならこういう子どもの姿を「自我」ということばで分析していくのだろうか?
housanはかわいそうなことをしたとしきりに反省していたけれど、マイナスの感情を経験するのもそう悪くはない。





ところで鼻炎の方はだいぶ良くなってきた。
昼間は強い薬を使わなくても鼻づまりしなくなってきた(立位の方が鼻の通りがよいのだ)。
昨日耳鼻科に行ったとき医者に「風邪ひかないようにね、風邪ひくと悪くなるからね」と言われた。
これって風邪からくる症状じゃなかったんですか?


posted by mou3 |10:03 | 子ども | コメント(2) |