スポンサーリンク

2007年01月18日

実体としての「からだ」

今日は研究日だったので一日家で作業していた。
非常勤で働いているので研究日も何もないが、一週間のうちに出勤しなくてよい日があるのはありがたい。


先日行われたワロン読書会から少し:
フランスの心理学者はみな「思惟」がいかに生まれるかについて考えたのだ、
と以前Kさんが言っていたように記憶している。
ワロンが面白いのは、思惟が発生する出発点として身体をおいたところだ。
身体といってもかなり実体的で、横紋筋とか平滑筋とか内分泌腺だとかである。
横紋筋からいかに思惟が生まれるのか、なんてかなり刺激的な考えだ。

身体は自らが動かすモノだが、同時に他者によって動かされるモノでもある。
ヒト乳児はかなりの長期間に渡り他者によって身体を操作され続ける。
(生後1年間も自律的に移動できないなんて、他の動物ではありえない。)
このことがヒト特有の注意パターン(およびそこから発展する「認識」)をつくりだす機序となったのではないか。

養育者は共同注意の状態(モノとヒトへ同時に注意を向ける状態)をつくりだすために乳児の身体をどのように操作しているのか。
乳児の身体発達レベルと養育者による操作の関連について実験的に調査するのが今年の課題である。




posted by mou3 |22:00 | 研究 | コメント(0) |