2020年06月30日
眺望
もし、その状況を不当なものだ、不満だと感じて、そこから本気で逃げだそうとするなら、 状況それ自体を一望俯瞰することが必要だ。 状況全体を眺望することができれば、もはやその時点で、その人はそれと同じ地平にはいない。 しかしながら、その眺望は簡単に達成することはできない。 状況を構成する要素1つひとつを丹念に調べ、そこに通底する法則のようなものを抽出しなければならないからだ。 それは容易な作業ではない。 眺望はメタ認識と言い換えてもよい。 メタ認識には一定以上の知性が必要で、その知性が破壊されていた場合、状況からの脱出は他人の手によってなされる(こともある)が、その場合、当人自らまた同じ困難な状況に舞い戻ってしまうことも多い。 なぜなら、当人はまだその同じ地平にいるから。 知性はいかにして鍛えることができるのか。 どんな問題も自分の頭で考えてみることから知性は育つ。 だから、大人の言うことを聞かない、素直でないことは、すなわち生きる力の強さなのである。
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2020年06月10日
「叱咤激励」というワードにはすごい飛沫感を感じる
https://www.web-nippyo.jp/19193/ 赤木氏の連載が面白い。 4th stage. 2週間の隔日分散登校期間を経て、今週から本格的に学校が再開した。 四国は梅雨入りし、庭の草木が見事に、まっさらに、刈り取られた。 外で働く予定も少しずつ入ってきた。 外出にはまだ気を遣う。 買い物は週1回。屋内に入るときにはマスクをする。 トイレットペーパーやダブルガーゼは戻ってきたが、消毒液や粉、バターはいまだ品薄の状態が続いている。 子どもたちは、学校再開直後は「疲れた」と言っていたが、すぐ慣れて今はペースを取り戻しつつある。基本的に体力がある人たちなのだ。 コロナ休みで良かったのは、方の週末の出張がなくなったこと。 植物の世話をしたり、パンを作ったりする週末の方がずっといい。 悪かったのは、私の一人の時間がなくなったこと。 一人の時間がないと、ものを考えることができない。 「新しい生活様式」という言葉が流行っている。 3密を避けるとか、マスクを着けるとか、人との距離を2メートル以上保つとか、いうことらしい。 やれやれ。問題はそこじゃない。 今、問われているのは、コスト管理とリスク管理のあり方、そして子どもの人権をいかに守るかだ。
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2020年05月14日
3rd stage
どこを見てもバカばかりじゃないかと気が沈む一方で、とにかく家の中は順調で安定している。 小学生の子どもを持つ親向けのアンケートで「このまま休校が続いても問題ない」という回答があった。 (予想されていたことだが)この状況下でも何の影響も受けない人たちがいる。 一方で、弱い人・力のない人・ギリギリの生活をしている人ほど大きな影響が出ている。 東日本大震災のときに、住民の所得が低い地域は津波の被害を受け、高い地域は被害を受けなかったという記事を思い出す。 災害は拡大鏡だ。 見ないようにしていた問題を拡大して突きつける。 コロナは東日本大震災のように地域限定ではないから、問題の見え方がより大きい。 それでもまだ stay homeとか、teleworkとか、アベノマスクとか、言葉遊びに興じて見ぬふりをしようとする人々に心からウンザリする。 子どもたちには、自分なりに問題について考え、意見を述べることのできる人間になってほしい。 そして、よりよい「社会」を作る人になってほしい。
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2020年05月06日
New normal, New standard
New normal が出現つつあるとニュースにあった。 確かに生活は変わったが、我が家にとってはそれほど大きな変化ではない。 もともと行楽地には行かないし、人混みも行列も嫌いだし、他人と「同じ」行動を取らない。食べ物は自分で作る。 都会よりは自然が好きで、有名レストランよりキャンプの方が落ち着く。 だから今の生活は、さほど苦しくない。 唯一の懸念は子どもたちの学校か。 確かに買い物は気を遣うし、品薄なものを見るだけで気が滅入る。 政治家(と大衆)の知性のなさにゲンナリする。 この状況でも私たちが進む方向は変わってない。 明るい光に、希望に向かっている。 その意味では私たちはイギリスから帰ってきた時点で既に不可逆的に変質していたのだ。 コロナとか、関係ない。
posted by mou3 |22:27 | 雑感 | コメント(0) |
2020年05月01日
経過報告
4月が終わった。 日がさんさんと降り注いでいるが、気持ちは重い。 これまでの経過を振り返ってみよう。
- 3月3日 休校開始 すぐに子どもたちに状況を説明し、日課表を作って生活の体制を整える。一週間経った頃、子どもたちが毎日同じでつまらない。友だちに会いたいと言い出す。
- 3月16日〜4月5日 友だちに連絡を取り家に遊びに来てもらうようにする。生活リズムは定着。仕事は皆無に近い。
- 4月6日〜10日 一週間だけ午前登校 少しホッとする。
- 4月13日〜 緊急事態宣言・全国一斉休校再び 友だちを家に呼ぶことも止める。校庭開放が唯一の交流の場。「三食作って片付けて地獄」。動画撮影やオンライン・ミーティングの仕事はあるが、自分の時間が取れない。子どもたちは落ち着いている。
- 5月1日 予想通り緊急事態宣言・全国一斉休校延長の知らせが来る。少し仕事ができたので調子を掴みたいところ。
暑くなってきて夏が近いことを感じる。 自粛は結構だが、気温は堪えるだろう。 https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2020/05/post-55.php
posted by mou3 |13:52 | 雑感 | コメント(0) |
2020年04月13日
Second stage
4月12日、第2ステージに入った。 県内で1日に複数人の罹患者が出る、もしくは名前すら知っているような身近な範囲に罹患者が出たら、友だちを家に呼んでの交流を止めると決めていた。 さらにクラスターが追えなくなるほど市中感染が増えてきたら(第3ステージ)、屋外での交流も止め、車のハンドルやドアノブなどの消毒を日に何回かする予定。 今になって、これはいつまで続くの?と不安が高まってきている人もいるようだが、そもそもの最初から、これは年単位での現象だったのだ。 Stay home は、感染を「ゆっくり」広げることによって医療崩壊させないための措置であって、罹患しないための方法ではない。 コロナウイルスが収束するのは、人口の6割が感染して抗体を持ったときだ。 それを自然感染によって達成するか、ワクチンによって人工的に達成するか。 恐らく前者だろうと思う。だから自分も感染する可能性が高い。 それでも、子どもたちのために、社会のために、感染時期を遅らせる努力をしている。 そして回復できるだけの体力をつけておく。
posted by mou3 |22:46 | 雑感 | コメント(0) |
2020年04月10日
Ultra marathon
100m走だと言われて全力で外出自粛を受け入れたら10000m走だった、と書かれている記事を読んで笑ったが、的を射ていると思う。 ウイルスとの共生の道はまだ始まったばかりだ。 数ヶ月では終わらない。下手したら数年、この状況が続く。 そう考えたら「今は我慢の時」という考え方が誤りだと気づく。 今は、今は、を永遠には続けられないからだ。 走れば残りの距離は縮まる。 しかし、あと何キロ残っているか、自分の体力も勘案して今走るスピードを決めなければならない。 これはウルトラマラソンなのだ。 できる範囲で現状を維持する。 最も影響が少ないものから削っていく。 何があっても死守すべきものを決めておく。 そう考えた時、この国で弱者の人権や子どもの教育が何と順位が低いことか、ということに驚く。
posted by mou3 |23:03 | 雑感 | コメント(0) |
2020年04月08日
戦時中
無駄と知りつつ、子のためにマスクを作る。 戦中の母そのものである。 安倍を選んだ覚えなどない、と言う人たちがいる。 しかし今の日本の政治は自分たちそのものだ。我々は自分自身を見ているのだ。 我々は適切な判断力を備えた大人を育ててこなかった。 「あなたが判断しなさい」と子どもに権限を委ねることをしなかった。 子どもを信じて励まし、自分の頭で考え行動することをさせなかった。 その75年の成果がこれだ。 今自分にできることをしよう、と言う人たちがいる。 それも良かろう。 しかし、それはどこに向かっているのか? 今を積み重ねた結果たどり着く先は見えているか。 もう一度、民主主義とは何かを考え直す時が来たのではないだろうか。 それは、国民の市民的成熟を促す教育について、あるいは子どもへの日々の関わりについて考えるところから始まる。
posted by mou3 |22:39 | 雑感 | コメント(0) |
2020年04月04日
正しく恐れる
正しく恐れることは意外に難しいのかも知れない。 信頼するに足る情報に基づいて危機に対する可能な対策を講じ、その対策が破綻した場合の動きも予め想定しておく。 要するにプランAとプランBの話だが、肝心なのはプランAとプランBは同時進行だという点だ。 プランAが上手くいっている間も、プランBは表面に出ていないだけであって、進行しているのである。 例えば、コロナウイルスに感染しないための対策を徹底しつつ、万が一感染した場合にも回復できるだけの体力づくりを進めておく、などだ。 プランA開始当初から、それは、いつでもプランBに切り替わる可能性のある暫定的なものだと認識しておかなければならない。 そこに必要なのは、論理的思考と情報選択の能力である。
posted by mou3 |23:04 | 雑感 | コメント(0) |
2020年04月02日
Safety net
思えば、小中学校全国一斉休校は、国民に危機感を持たせるためのプロモーションに過ぎなかった。 それに子どもたちは使われた。 子どもを出しに使ったお詫びに4100円(実費としては申請にかかる諸経費を引くと3000円くらい)を配ろうってことだ。 それはフリーランスへの支援金ではない。 あくまで「小学校休校に伴って」仕事を休まざるを得なかった「子育て中の」非正規雇用者への投げ銭だ。 子育てしていなくたって、コロナ関連で仕事を失った人は多いだろう。 そういう人たちへの保証は一斉なし。 だいたい今の状況は、国の施策によるものではなく、医療現場の忍耐力と社会的距離が遠い国民性によって成り立っているにすぎない。 それもいつかは崩れる。 セイフティ・ネットは自分で貼るしかない。 子どもに栄養と遊びと運動と睡眠を。 そして大人に落ち着きを。