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2007年05月10日

曽田雄志の200試合を振り返る(3)

曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみよう企画の第3回は、2002年のファーストステージ最終節からスタートです。

(19)2002.8.17 1st-#15 札幌1-2v東京V@札幌ドーム
 交代出場(74分、小倉→曽田)

曽田が入った時点では勝ってたんですけどね。アウェー側で東京Vのフリーキックになって、壁を作っているうちにロスタイム5分の表示が出て、いったんはクリアしたボールを放り込まれてファーサイドからやられ、最後は延長で桜井直人のスーパー高速ドリブルシュートですわ。

(20)2002.8.31 2nd-#01 札幌2-2柏@厚別
 交代出場(79分、バーヤック→曽田)

この試合も、曽田が入った時点ではリードしていたのだ。いや、別に、曽田が悪いわけじゃないんだけど。

(21)2002.9.15 2nd-#03 札幌1-2神戸@札幌ドーム
 交代出場(64分、小倉→曽田)1ゴール(通算1得点2アシスト)

68分にプロ入り初ゴール。左足です。試合が終わってから、別の場所で見ていた友人(中立な関西人)から「あの選手、DFですよね」と聞かれたから、サブのメンバーとしての曽田の登録は、DFだったのでしょう。

(22)2002.9.18 2nd-#04 横浜FM1v-0札幌@横浜国際
 先発フル出場(FW)

前節の得点が認められて、というよりも、この直前にシーズン二度目の監督交代があって、張さんが指揮をとった最初の試合で、曽田雄志3試合目の先発出場となったのでした。ビジュが3バックの真ん中で出てきてびっくりした、平日夜の閑散とした横浜国際で、またしてもVゴール負け。いや、曽田は、辛い時期を過ごしてますね(僕たちもだけど)。

(23)2002.9.21 2nd-#05 札幌1-2浦和@札幌ドーム
 交代出場(59分、大森→曽田)

(24)2002.9.29 2nd-#06 札幌0-1v磐田@札幌ドーム
 先発(FW)→途中交代(92分、曽田→磯山)

(25)2002.10.5 2nd-#07 清水3-0札幌@日本平
 先発フル出場(FW)

(26)2002.10.12 2nd-#08 札幌0-4F東京@厚別
 先発(FW)→途中交代(68分、曽田→松川)

これはいいでしょ。みなさんよくご記憶だと思いますから。曽田の誰も背負っていないポストプレーから誰もいないスペースへ出した力のないパスから生まれた、スタジアム全体から起きたため息は、忘れようにも忘れられんぞ。

(27)2002.10.19 2nd-#09 札幌0-1G大阪@万博
 交代出場(70分、吉川→曽田)

筑波大からの同期入団だった吉川との初めての交代(だったのかと、いま記録見て初めて気づいた)。大学入学まで普通のサッカー部員だった曽田に対し、ジュニアユース年代からサッカーエリートだった吉川は、この年の序盤はセンターバックでレギュラーでしたが、この頃は、中盤で使われてました。

(28)2002.10.23 2nd-#10 札幌1-0市原@札幌ドーム
 交代出場(54分、新居→曽田)

西田→新居でどうにかホームでの降格を阻止した試合。そうか、新居は途中で下がってたのか。終盤で古川がなんでもかんでも大きくクリアして、そのたびに観客が沸いたのはおぼえてるんですが、なかなか、ディテールは記憶してないものですね。

チームは、この次の試合(11節・鹿島戦)の敗戦で、J2降格が決まってしまうのですが、曽田は、その試合には出場していません。出場した選手で現在コンサドーレに選手として所属しているのは、和波、池内、西澤の3選手(池内と西澤は、当時は鹿島の選手ですが)。

(29)2002.11.9 2nd-#12 東京V3v-2札幌@東京ス
 交代出場(45分、吉川→曽田)

記録上は吉川との交代となっていますが、後半開始から吉川と平間が下がって、相川と曽田が入っています。結果的には敗れましたが、前半の2点のビハインドをいったんは追いつき、しかもリーグ戦初出場の相川のゴール(49分)もあるなど、降格決定で沈む気持ちを多少なりとも明るくしてくれた、うららかな秋の日でした。

(30)2002.11.17 2nd-#13 札幌1-0名古屋@札幌ドーム
 先発フル出場(FW)

前節の活躍を受けて、この試合と次の試合は、曽田と相川が先発2トップを組んでいます。この年は高卒ルーキーだった相川の背番号は、前年は曽田がつけていた23番でした。

(31)2002.11.23 2nd-#14 仙台2-0札幌@仙台
 先発フル出場(FW)

これだ。僕がこの間書いた、リカルドと曽田が激突して流血した試合。仙台はこの勝利でJ1残留が決定し、こちらはかなり惨めな気分にさせられたものですが、ピッチ上の選手はなおさら、だったことでしょう。

(32)2002.11.30 2nd-#15 札幌5v-4広島@札幌ドーム
 交代出場(44分、新居→曽田)
 3ゴール(通算4得点2アシスト)
 警告1(69分、C5=通算1)

これは説明省略(^_^)。この試合で初めてイエローカードをもらってます。

この後、当時UHBで深夜に放送していた「週刊コンサドーレ」に曽田(と新居)がゲストで出演し、その収録終了後に曽田が「FWよりもDFをやりたい」と言って(と平川さんが言っていて)、翌年から、本格的にDFとして活躍を始めた…いや、まあ、いろいろありましたけど、観客を楽しませるという意味では、活躍してたと思うんですが…ま、ま、ま、今となっては、「そんな時代もあったねと♪」ですよ。

posted by issey11 |21:41 |

2007年05月09日

曽田雄志の200試合を振り返る(2)

曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみようと考えたこの企画、果たして200試合出場の日までにすべてレビューし終えることができるのかどうか、早くも不安になっている今日この頃(ってまだ2日目)ですが、ともあれ、入団2年目の2002年です。

この年は、前年にアウミールがつけていた10番を山瀬功治が背負うことになり、山瀬の18番が曽田に引き継がれました。吉原→高木→山瀬と受け継がれてきた、コンサドーレのアタッカーのエースナンバーです(今でもたまに「TAKAGI 18」というシャツを着た人を見ますね…僕は「YAMASE 18」を持ってます<そんなことはどうでもいいか)。

この年も曽田はもちろんFW登録なのですが、開幕と同時に発売されたオフィシャルガイドブック(まだイエローページ刊、ただし紙質が落ちて(?)重量が妙に軽くなった)の紹介ページの見出しには「適所の模索。」とあり、その本文中には、オーストラリアキャンプでディフェンダーへのコンバートを試されたことが記されています。

以下、冒頭の番号は、曽田の通算試合出場数です。

(10)2002.4.13 1st-#06 札幌1-2v京都@室蘭
 交代出場(78分、小島→曽田)

交代出場から5分後に、相手ゴール前のヘディングから小倉→森下で同点ゴールが生まれています。でも、サポーター的には「責任を取ってもらう」で記憶に残った試合ですかね。最後は札幌キラー上野優作にやられました。ちなみに(個人的なことですが)この数日前に僕は東京から札幌に引っ越してきました。ものすごく安い引っ越しパック使ったからなかなか荷物が来なくて、この日は家の中にはまだ布団しかなかったんだよなあ。

(11)2002.4.20 1st-#07 札幌1-3鹿島@函館
 先発フル出場(DF)1アシスト(通算2アシスト)

初の先発出場、そしてフル出場。大森健作を中盤に上げたことで、DF曽田が先発となりました。これはよくおぼえてます。朝、丘珠空港で、知らないサポーターの方々と「曽田のディフェンスってどうなのよ?」「先発するの?」「大丈夫なのかな?」と話したこと。試合開始直前に「責任を取るのは誰?」の横断幕が出たこと。残り10分になって小倉と吉瀬が交代して曽田が前線に上がり、すぐに曽田が落としたボールを新居がうまくコントロールして決めたこと。直前の試合でFW曽田が有効的(<サッカー的表現)だっただけに、なんで曽田ディフェンスなんだよ、そもそも曽田がディフェンダーやるって何よ?と、見てる側も大混乱でしたが、曽田→新居のゴールに、わずかな光明を見出した(見出そうとしていた)のでした。

この後、リーグ戦はワールドカップ中断に入り、ナビスコカップが開催されました。4月30日、厚別での磐田戦(ナイトゲーム)で、DF曽田は中山雅史を封じました。さらに、5月12日、室蘭での柏戦で、対角線上にものすごく速くて正確なロングパスを送るのを見て、おお、ディフェンダー曽田、すげえ!!と、本気で感心しました。僕が、こいつホントはすごい選手なんじゃないかと思うようになったのは、この頃からだったように思います。あのナビスコの2試合(とくに室蘭の柏戦)の曽田を見ていなければ、僕も、「なんで曽田なんか使うんだよ!」派(多数派)になっていたのではないかと思います。

(12)2002.7.13 1st-#08 神戸1-0札幌@神戸ユニバ
 交代出場(81分、小倉→曽田)

(13)2002.7.20 1st-#09 浦和2v-1札幌@国立
 交代出場(98分、小倉→曽田)

(14)2002.7.24 1st-#10 札幌2-3v横浜FM@札幌ドーム
 交代出場(84分、小倉→曽田)

(15)2002.7.28 1st-#11 F東京3-1札幌@国立
 交代出場(85分、ジャディウソン→曽田)

(16)2002.8.3 1st-#12 札幌2-3清水@札幌ドーム
 交代出場(87分、ジャディウソン→曽田)

(17)2002.8.7 1st-#13 市原2-0札幌@市原臨海
 先発(FW)→途中交代(82分、曽田→磯山)

ワールドカップ中断中に監督が柱谷哲二からイバンチェビッチに替わり、曽田はふたたびFWで起用されるようになりました。しかしまあ、この頃は勝てなかった。そこそこいい内容の試合をしていたのに(14節のマリノス戦なんて、ここまで無敗の相手に対し前半だけで2点のリードを奪ったのに)終わってみればみんな負けている。17節は、小倉、バーヤック、山瀬が揃って出られず(出場停止、負傷)、通算二度目の先発出場となった曽田がジャディウソンと2トップを組んだのですが、チームとしてまったく形が作れず、おまけに佐藤洋平がPKに異議で退場となり、散々な結果でした。

(18)2002.8.10 1st-#14 札幌1-0G大阪@厚別
 交代出場(80分、ビジュ→曽田)

古川がポストに大激突した日。雨に打たれましたよ。曽田は、マグロンにマンツーマンでつくために入ったんじゃなかったかなあ。結果的には、この1勝がイバンチェビッチの唯一の勝利となりました。

今日のところはここまで。

posted by issey11 |22:41 |

2007年05月08日

曽田雄志の200試合を振り返る(1)

昨夜、曽田雄志選手が出演しているテレビ番組を見ていて、そうか、リーグ戦200試合出場まであと4つなのかと気づかされました。

リーグ戦通算の試合出場数でいえば、もっと数を重ねている選手(大塚)もいますが、コンサドーレの選手として200試合の出場は、もちろん、前人未踏です。順調にいけば、18節の福岡戦(アウェー、5月27日)で達成可能ですが、現在累積警告がリーチかかってますから、19節の京都戦(厚別、6月2日)が200試合目と考えるのが現実的でしょう。

チームの財政事情厳しき折、曽田200試合出場記念グッズの販売は在庫リスクが高すぎて難しいと想像いたしますので、ここで勝手に曽田の200試合出場を振り返るコーナーを作って(ちょっと早めに)祝ってしまおうと考えた次第であります。記憶違い、記録違い、その他もろもろあったら、どんどん突っ込んじゃってください。

ただし、コメントにいちいちお答えするのは難しいと思いますので、その点はご容赦くださいませ。

では、まずは入団した2001年の出場記録から。いうまでもなく、この年はFWをやってました。背番号23、期待の大型ストライカーです。まだイエローページから出ていたオフィシャルガイドブックでは、大黒将志と同じページに紹介されており、「『雑草魂』の自信。」の見出しがついています。

(1)2001.6.16 1st-#11 札幌2-2名古屋@厚別
 交代出場(97分、野々村→曽田)

記念すべき初出場、なのですが、まったく記憶にありません。この試合、ウィルのフリーキックとか、森川とストイコビッチがやりあったとか、延長の最後に大森がドリブルからシュートしたけどクロスバーに当たったとか、けっこうおぼえている場面はあるのですが、曽田、ねえ…

(2)2001.6.23 1st-#12 浦和0-2札幌@駒場
 交代出場(45分、和波→曽田)

(3)2001.7.7 1st-#13 札幌2-3v市原@厚別
 交代出場(89分、黄川田→曽田)

(4)2001.7.21 1st-#15 札幌1-1横浜FM@札幌ドーム
 交代出場(110分、播戸→曽田)

この3試合も、いずれも生観戦していて、試合の内容はそれなりに記憶しているのですが、曽田に関しては、今となってはまったく印象に残っていません。これだけ交代で出ていれば、どんな特徴を持っているか、ぐらいは、そろそろ把握できてたんじゃないかなあ。

(5)2001.8.18 2nd-#02 札幌2-5F東京@札幌ドーム
 交代出場(69分、播戸→曽田)

さすがにこれは見てませんが(当時の僕は東京に住んでました)、どういうわけか、TBSが自社クルーで生中継してました。比較的早い時間帯でのFW同士の交代は初めてですが、交代したときにはもう5失点してました。

(6)2001.8.25 2nd-#03 横浜FM3v-2札幌@横浜国際
 交代出場(68分、播戸→曽田)、1アシスト

終了間際に伊藤優津樹が押し込んで追いついた(けれど延長戦で負けた)試合です。その優津樹のゴールをアシストしたのが曽田です。大森がゴール前に放り込み、曽田が頭で落としたボールを、優津樹が体を投げ出しながら押し込んだのでした(通算1アシスト=Jリーグ的には非公式記録)。

(7)2001.9.29 2nd-#07 札幌5-2神戸@厚別
 交代出場(80分、ウィル→曽田)

この試合はBS-1で見てました。ウィルと播戸の細かいパス交換がお見事だった、と、そんなことはどうでもいいとして、曽田は初めてウィルと交代していますが、そのときすでにチームは5得点してました。

(8)2001.10.13 2nd-#08 東京V0-1札幌@東京ス
 交代出場(59分、堀井→曽田)

都心の金券ショップでやたら安いチケットを買って入った、なんてことはどうでもいいとして、アダウトが点取って勝った試合です。このときは、一緒に観戦していた友人たちと、曽田のアジリティについて語り合った記憶があります。したがって、自分個人としては、すでに曽田のプレースタイルは十分に把握していたものと思われます。

(9)2001.11.17 2nd-#14 柏1-0札幌@日立台
 交代出場(89分、名塚→曽田)

いやそりゃないだろって交代ですね(^^;)。この頃、当時の岡田監督はいろんなことをやろうとしていて、この試合の後半途中からは中盤をフラットにした4-4-2をやってたんじゃなかったかなあ。ともあれ、僕は、曽田が初年度に出場した9試合のうち、7試合を生で見ていたことになります(<だから何?って自分でも突っ込みたくなるわ^^;)。

posted by issey11 |22:26 |

2007年05月06日

曽田がそんなに弱いわけない

さすがはミスターコンサドーレ、仙台サポーターにも強さは十分に認知されてます。

試合終盤、ホーム側のゴール前で曽田が倒れて試合が中断したとき、仙台サポーターがトラメガ使って「そだぁ~、そんなによわいわけねぇだろぉ~!」と(思わずわしもそう思う博士を呼びたくなるような)野次を飛ばしてました。

そういえば、いつだったか、仙台スタジアムで、曽田とリカルドが激突して大流血、両者とも頭をテーピングぐるぐる巻きにして戦った、なんてこともありました。

序盤、仙台のディフェンスはどこかびくびくしているようにみえました。白井の出場停止ゆえなのか、開始早々に(ボールを落とした中山のハンドで得点にはなりませんでしたが)ダヴィに豪快な一発を決められたからか、後ろでボールをまわしていても、落ち着きがないように感じられました。早い時間帯でのフリーキックからの先制点は、そういう意味では、幸運というより必然に近いゴール、だったように思います。

そういうところで点が取れる、取られてはいけないところで取られない、のが、今年のチームの強さです(でも、前節のザスパ草津戦は、やられちゃったんですけどね)。

でもでも、だからこそ、相手がびびってる(ようにみえた)前半のうちに、もう1点取りたかった。もう1点取れていれば、ずいぶん楽になったはずです。

それでも、最後までよく守りました。セットプレー崩れで攻撃している途中で芳賀がへんなところで転んでピンチを招いた場面だったと思うのですが、西谷が自陣ゴール前まで戻って相手の前に体を入れたのには、驚きました。

相手のカウンターに対しても、1対1の場面で不用意に飛び込むことなく、うまく間合いをとって攻撃を遅らせているうちに味方がカバーに入ることが徹底されており、感心しました。

ただ、(アディッショナルタイムに入ってからだったと思うのですが)カウエが相手選手のいるほうへドリブルを仕掛けてボールを奪われた場面をはじめ、試合の状況に応じたプレーの選択という点では、まだまだ、危なっかしいところだらけです。

それを補っているのが絶妙の選手交代。こぼれ球がほとんど相手ボールになっていた時間帯に大塚を入れたことで、多少なりとも拾えるようになりましたし(まあ、大塚の投入に関しては、見ている側も「そろそろ大塚入れるだろ」というタイミングがわかってきた今日この頃ですが)、最後のカウエ→池内の交代も、時間稼ぎのみならず、プレーが軽くなっていたカウエを引っ込めることで試合を引き締めてくれました(で、池内は、わずかな出場時間の中で一度だけ、バチンと相手に当たっていい仕事してくれました)。

その他、細かいことをいえばいろいろ不満がないわけではありませんが、連敗しなかったことはすばらしい。昇格するチームは、連敗しちゃいけないんです。

posted by issey11 |20:11 |

2007年05月04日

厚別開幕戦を振り返る(J2)

やっぱり厚別は特別です。雨が降ったり日差しが強かったりするとドームが恋しくなることもありますが、われらの聖地は厚別です。

そんな厚別でのシーズン最初の試合、これまではどうだったのか、J2での試合に限って並べてみましょう。

2006年
[前節終了時]
 5勝1分5敗(勝ち点16)5位<首位との差 9>
[厚別開幕戦]
 5月3日:札幌1-1仙台(50分菅井、89分石井)
 11,319人

2005年
[前節終了時]
 2勝5分4敗(勝ち点11)9位<首位との差 18>
[厚別開幕戦]
 5月14日:札幌2-0水戸(2分OG、65分中山)
 6,807人

2004年
[前節終了時]
 1勝4分3敗(勝ち点7)11位<首位との差 11>
[厚別開幕戦]
 5月2日:札幌1-2福岡(10分山形、30分古賀、67分清野)
 10,073人

2003年
[前節終了時]
 3勝1分5敗(勝ち点10)7位<首位との差 15>
[厚別開幕戦]
 5月5日:札幌0-0川崎
 12,190人

2000年
[前節終了時]
 5勝1分1敗(勝ち点16)3位<首位との差 4>
[厚別開幕戦]
 5月4日:札幌2v-1湘南(23分エメ、87分酒井、97分山瀬)
 19,450人

1999年
[前節終了時]
 2勝1分5敗(勝ち点7)9位<首位との差 13>
[厚別開幕戦]
 5月2日:札幌6-0甲府
(22分,27分,48分吉原、58分,70分アシス、77分リカルジーニョ)
 15,318人

こうやって並べてみて、2000年の19,450人には、あらためてびっくり。たしかに、あの日はかなり早く(当社比)厚別に行ったのに、すでにスタジアムの外にものすごい人の列ができていた記憶はあるんですが、満員だった記憶はなぜか飛んじゃってます。途中から出てきた山瀬(デビュー戦)の視野の広さに驚き、最後に相手GKを見ながらヘディングでVゴール決めたのは鮮明な記憶なのですが。

1999年の吉原のハットトリックとアシスのものすごいフリーキックとリカルジーニョの相手を茶化したようなゴールも覚えてますよ、はい。天気はよかったんだけど、風が強かったような(厚別だからいつも風はあるんですけど、とくに強かったような気がする<ここは曖昧な記憶)。

それにひきかえ、暗黒の2003年と2004年は、まったく記憶がないです。03年なんて、当時の試合記録をみても、まったく記憶が甦ってこない。この年とその前の年は、リーグ戦全試合を生観戦というバカな個人的記録を打ち立てた年だから、見てないことはありえないのに、思い出せない。その直前の鳥栖戦(アウェー)は、はっきり覚えているんですがね(曽田が前に行ったり後ろに戻ったり忙しかったから、というより、シーズン初勝利に沸く鳥栖スタジアムで、ものすごい屈辱感を味わったから、ですかね^^;)。

J2に限っていえば、厚別開幕戦で負けたのは、柳下監督1年目の2004年だけなんですね。さらにGW開催に限れば、入場者数は最低でも10,073人(2004年)。もっとも、2000年以前は、厚別開幕=札幌での最初の試合でしたから、ドームができた今とは意味合いも違ったんでしょうが(プロ野球もなかったし)。

posted by issey11 |23:05 |

2007年05月04日

マガジンに村野明子さん

札幌では本日発売のサッカーマガジン5月15日号の「蹴辺の人々」コーナーで、「コンサドーレ札幌選手寮『しまふく寮』寮母」村野明子さんが取り上げられています(文・写真=斉藤宏則)。そうなんです、写真つきなんです。

現在に至る経緯が綴られた前半は「村野さんファン必読」ですが(笑)、後半は、サポーター必読な内容です。まだ売ってる雑誌ですから、これ以上の内容はここには書きませんので、ぜひ、書店等でお買い求めください(買ってもらってもわたしの懐はまったく潤いませんが、この号が札幌ではやたら売れたってことになったら、それはそれでおもしろいじゃぁないですか)。

表紙がオレンジ色の「日本ダービー列島」と書いてある号です。お間違えないよう。

posted by issey11 |13:19 |

2007年05月03日

アクションサッカー大爆発

とてもよいお天気なのに家の中にこもってテレビ見てた、のに、ね…ま、群馬のほうであったことは、忘れましょ。選手にはちゃんと反省してもらわにゃいかんですけど、こっちはさっさと忘れてしまえばいいのさ。

そんなことが言えるのも、16時からの東京ヴェルディ1969-水戸ホーリーホックがとってもおもしろかったからです。ヴェルディが憎いわけでも嫌いなわけでもないけれど、水戸のはつらつとしたサッカーは見ていて気持ちよかった。しかも舞台は国立。いやぁ、水戸のゴール裏の人たち、楽しいだろうなあと、すっごくうらやましく思えたですよ。

先週水曜日、札幌の試合のなかった節は(たまたま東京にいたので)味スタのヴェルディ-徳島ヴォルティス戦を見に行ったんですが、監督の采配がどうこうというよりも(いや、監督の指示による部分もあるのかもしれないけど)、ヴェルディは「ハードワーク」からほど遠いのですよね。あの日の徳島なんて、スライディングタックルに行った選手がかわされてもすぐに立ち上がってボールを追いかけていたんですが、ヴェルディは、攻撃も守備も、とても優雅なのです。

それから気になったのがこれ。

20070503-00.jpg

試合が終わり、両チームの選手が挨拶してからも、ヴェルディのディフェンダーが一人、座り込んだままだったのですが、誰も彼に声をかけに行かない。余裕がないのはわかるけど、それにしても誰か一人ぐらいは声をかけて起こしに行く選手がいてもよかろうと思ったのですが、結局、彼は、しばらくこうやって座り込んでいた後、誰にも促されることなく、自分で立ち上がって、すでにバックスタンド前からゴール裏へとまわっていた味方の選手たちの後を追っていきました。

それにしても点取られ過ぎだわ。7試合ずっと引き分けることもなく負けているのもすごいけど、7試合で22失点ですよ。それなのに土屋と服部がフル出場中ってどうよ?ゴールキーパーだけ替えても、劇的には変わらんでしょ。

いやいや、ヴェルディはどうでもいいんだって。今日の水戸、とくに後半は、ものすごく強いチームに見えたんですけど、ま、サッカーは、相手があっての競技ですからね。でも、よくわからない社長交代があったり、平日とはいえ入場者数3桁だったりという中で、アクションサッカーを信じて応援してきたサポーターは、嬉しかっただろうなあ。選手がフラッグ持ってゴール裏を走るのはやりすぎだろうと思わないでもないけれど、気持ちはよくわかる。

札幌の次の相手が水戸じゃなくてよかったですよ。あの勢いで来られたら、怖いっす。


posted by issey11 |18:18 |

2007年05月02日

私生活でも宣伝活動(笑)

えっと、ちょっと前の、週刊アスキーです。

20070502-00.jpg

記事に添えられた写真で、赤黒のユニホームを着ているへんなやつは、不肖わたくしでございます。記事を書いたのは、ご覧のとおり、ファイターズファンとして知られるあの方ですが(近刊『サッカー茶柱観測所』もおもしろいです)、いろいろありまして、わたくし、記事本文中ならびに写真に、友情出演しております。

拡大↓

20070502-01.jpg

左の方は著名人なのでボカシなしで(いや、わたしの顔も誌面には載ってるんだからボカシ入れなくともとは思うのですが、ちょっと恥ずかしいもので^^;)。

週刊アスキー読んでる人のうちのどのくらいの人がこれを見てコンサドーレを意識してくれるかはわかりませんが、札幌に住んでてサッカーは見に行ったことがないけれど週刊アスキーは読んでる、という人が、これを見て「ああそういえばコンサドーレってあったねえ、たまには見に行ってみようか」と関心を持ってくれると嬉しい。

そんな人いるとは思えないけれど、そんな人いるわけないだろうと思ったらおしまいなので、思いは抱き続けましょう。

ま、この撮影のときは、自分から望んでこんな格好したわけではなくて(だってこれ3月ですよ、いくら家の中とはいえ半袖では寒いに決まってるじゃないですか)、カメラマンの方からのリクエストだったんですが。


posted by issey11 |22:01 |

2007年05月01日

メガホンよさらば

いまさらヴェルディ戦の話かよと思いつつ書いてしまいますが、あの日の終盤、スタジアム全体から自然発生的に沸いてきた手拍子を「あんなことは久しぶりだ」「かつての熱気が戻ってきた」と、多くの方が語り、書いていました。僕も、そのときは、そう思って、翌日とか、翌々日とか、そんなことを言ってました。

だけど、よく考えてみたら、久しぶり、ではないのだ。こんなのはじめて、なのだ。

札幌ドームができた頃までは、メインスタンドもバックスタンドも一斉にといえば、メガホンでした。いや、札幌ドームができてから、メガホンはうるさいからやめましょうってことで、だんだん減ってきたのかな。

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上の写真は、1997年JFL第19節(8月31日)のブランメル仙台戦で入場者に配られたミニメガホンです。メガホンの形をしているけれどメガホンの機能は持っておらず、「メガホン型の叩いて音を出すための道具」といったほうがいいグッズです。当時は僕はまだ東京に住んでましたから(というか、あの当時、10年後の自分が札幌に引っ越してるなんて思ってもみなかったですよ)、試合終了後は新千歳空港に直行するわけですが、空港で会った旧知の仙台サポーターから「1万5千人がメガホン叩くのは反則だろ」と苦笑されました。

当時は、みんなでメガホン叩くのが、楽しかったのでしょうね。チームができてまだ2年目、観客がどっと沸くのはボールを持った選手がドリブルで突っかけたときで、大きくあいたスペースへのサイドチェンジにはほとんど反応がなかった頃。厚別に集った人たちは、サッカーの試合を楽しむというより、イベントに参加している感覚だったのでしょう。そこで感じた喜びをまた体験するためにスタジアムへ足を運び、だんだんとサッカーそのもののおもしろさもわかってくる、という過程では、あのメガホンが果たした役割は、けっして小さくはなかったと思います。

さて、それから10年後、2007年4月22日の札幌ドーム。僕は、バックスタンドの上のほうに座っていたのですが、「こーんさどーれ(ぱぱん、ぱ、ぱんぱん!)」ではなく、間断なく続く手拍子に、じつは最初はビジュアルで気づいたのでした。目の前に見える、バックスタンドの前のほうで、まるでウェーブが起きたかのように、座っている人々が次々と動き出したのです。もちろん、みんな座ったままなんですが、けっして同時にでなく、少しずつ、手拍子を打つ人が増えてきたのです。

もっとも、J2降格を決めてくれた石川竜也のVゴールの軌道が、現場で見てたときはものすごくスローモーションだったのに、あとからビデオで見ると一瞬だった、という例もあるから、ウェーブのように見えたのは、僕の瞬間的脳内映像である可能性大。とはいえ、瞬間的にそういう風景が見えてしまって、感動して涙が出そうになってしまったのだから、妄想ではないでしょう。

今にして思うと、そういう熱狂の渦の中にいながら、こんなふうに第三者的視点になっている自分に寂しさを感じないでもない(^^;)。

その6日後、28日愛媛FC戦では、僕のすぐ後ろに、メガホンを持った方が座ってらして、試合開始前はゴール裏に合わせてメガホンを叩きまくりだったんですが、周囲の観客の冷たい視線を感じ取ったのか(そんな視線があったのかどうか知りませんが)、試合が終わる頃には、メガホンを叩かなくなってました(なってたような気がします)。「メガホンは持ち込まないでください!」なんてお達しを出してほしいとは思いませんが(こういうことは誰かに強制されると反発を招くだけですから)、あの人が次の試合ではメガホン持ってこなくなるといいなあと思ったことでありました。

といいながら、試合前にやたらメガホン叩いてたときには、席移動しようかなと思ったんですがね。そのぐらい、違和感のあるブツになってきたなあ>メガホン

これはピュアなメガホン。
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posted by issey11 |20:30 |

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