川崎戦に行ってきた。
安い航空券を手に入れるために、二ヶ月前から予約して。
箕輪さんの川崎凱旋試合、になる予定だった。
まさか、降格決定後の試合になるとは。
そして箕輪さんまでいなくなっているとは夢にも思わなかった。
しかも前節の柏戦…
降格が決まったことなんかよりも、試合後の選手の様子に愕然となり
しばらく考え込んでしまった。
このあと、選手が挨拶に来たとき、私はどんな顔で迎えるのだ?
私は応援できるのか?むしろしないほうがいいのか?
結論が出ないまま、あっという間に一週間が過ぎ、
浮かない気持ちのまま飛行機に乗った。
なにやってるんだろ自分…と、ちょっと鬱々としたまま。
等々力競技場で試合前、USから自分達の考えを説明したい、という話があった。
彼らは今日、応援をしないことに決めたという。
何があっても応援してきた彼らに、全くらしくない話だと思った。
その理由について聞き、彼らの気持ちも理解できた。
ただ、その説明を聞いている間、私の意識が変わっていった。
自分で応援しないでおこうか、とか暗~く考えていたくせに、
いざ人が「今日は応援しません」と言うのを聞くと、
「それは違う」という感情がむくむくと沸き起こった。
まともな理由としては、ビジョンを示せ、という要求に対して
「11月中に」とクラブは回答しているという。
なら待てばよい。せっついて答えを出しても意味がない。
もっと言うならば、小さいクラブである私たちは知恵を出し合い、
その都度何度でも話して、少しずつ改善していくしかないと思う。
その要求は試合とは別だと、私は思う。
何度でも話を重ねていけばいいのだ。それしかないのだ。
今季の降格も誰が悪いかといえば、みんな悪かったのだ、と私は思っている。
フロントも失敗があったし努力が足りなかった。
監督は全力でやっていただいているけど、足りないところもあったと思う。
選手も、己の技量を磨くことにもっともっと真摯であるべきと思う。
そしてサポーターも悪かったのだ。
私たちの「熱」が足りないのだ。
諦めてるように見える選手がいるならば、諦めることなんてできないと思わせる応援を、もっともっとできれば…
話を聞きながら思った。
「12」の背番号が入ったユニを着て、黙って見てることはできない。
わざわざ飛行機に乗って、地蔵になりに来たのではない。
この間は目もあわせず通り過ぎた選手たちだけど、
でも札幌の看板を背負って闘うのだから、背中を押してやらねば!
柏戦からのどんよりと落ち込んでいた気持ちが、ここではっきり変わった。
というか、自分の気持ちがわかった。
私は応援したいのだ、何があっても。
キックオフギリギリで解散となり、
私と友人は「応援しよう」と即決した。
同じく応援することを選択した人が多数いて、声と手拍子で応援した。
川崎の大応援団を向こうに回して、大声で叫ぶのは気分爽快であった。
そうなのだ、応援は楽しくてやっているのだ。
そして90分間応援し尽して、やりきったなぁ、という達成感もあった。
結果的にほとんどの人が応援してたと思うので
無言の意思表示を示したかった彼らにとっては誤算だったかもしれない。
でも、考えてみてほしい。
今までも何があっても応援してきたことを。
そして、多くの人が応援を「楽しい」と思っていること。
サポーターが応援をやめたら、ただでさえ厳しい世間の目が
「コンサはもう応援する人もいなくなった」と思われるかもしれない。
他の楽しそうなスポーツに、関心を全部持っていかれるのだ。
チームに力がないならば、「応援が楽しそう」というのは最後の砦だと思うのだ。
これからドームで浦和戦、鹿島戦がある。
去年まで夢見てきた舞台ではないか。
ドームで90分間、浦和や鹿島の応援を黙って聞いてるなんて、面白いわけがない。
サポーターにはサポーターの闘いも、意地もある。
来季は対戦できないのだ。
こんな舞台、放棄するなんてもったいない。
だから、だからこそ、
応援しない、と宣言した彼らに言いたい。
「みんなで一緒にやろう」と。
あなたも、私も、あの人もこの人も、
みんなチームに必要です。
みんなで束になってかかっていかないと、消えてなくなりそうなチームです。
とっても辛い状況だけど、でも楽しく応援したい。
「言った以上…」とか言わないで
みんなで一緒にやろう。
J1の優勝争いをかき回してやるくらいのこと
最後にやってやろうよ。
今思うのは、ほんとにそれだけ。