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2007年03月07日

この人達がシステムについて語っているので僕も語ってみる(上)

 WSPライター陣がシステム論を展開しています。西部謙司さんが書いた記事をきっかけに自然発生的に始まったみたい。時系列に沿って並べてみました。やっぱりでてますよ、あの人が。Jのチームで真っ先に浮かぶと言うことは、やはりシステマティックなサッカーを志向する監督の代表格と目されているんですね。
 

  1. 2007-01-31・西部謙司「マッチアップと守備のできるFW」
  2. 2007-02-07・山内雄司「選手が先か、システムが先か」
  3. 2007-02-14・戸塚啓「僕もシステムについて考えてみた」
  4. 2007-02-21・西部謙司「システムとフォーメーション」
  5. 2007-03-01・山内雄司「戦術に哲学が反映されているかが重要だ」
  6. 2007-03-07・戸塚啓「僕はシステムが先の方がいいと思う」

 
 それぞれ読み方があると思いますが、僕は守備に対する自分の考え方を整理するために読みました。
 
 とにかく「監督の哲学」(山内02-07)が見えれば僕もアナタも納得するわけでして、そんな「哲学」を、上記のコラム、限られた報道及び「サッカーにおけるセオリー(と私が思っているモノ)」を手掛かりに考えてみます。
 


 
 サッカーの基本として、「いい攻撃のためにはいい守備が必須」論(長いなコレw何かいい呼び方ないだろうか)というのがあります。要するに、守備というのはボールを「奪って」攻撃につなげるために行うものであって、ボールを「はね返して」相手の攻撃をしのぐためだけにやるものではない、という考え方です(そもそもサッカーってマイボールからプレーをはじめられるのはキックオフの時だけだもん)。だから、守備のトレーニングを重んじる三浦の方針には賛成です。
 ヘンな言い方になりますが、今年のやり方は「楽して守る」というところに主眼があるんだと思います。これは決して1on1の局面やルーズボールの競り合いに手を抜くという意味ではなくて、バランスよく人を配置して効率よくボールを頂戴してしまおう、という意図があってのことだと思っています。さっき書いた守備の目的からすれば、奪った時の選手間の距離・バランスが良い(三浦談。京都ではそんな場面一つもなかったが)ことに加え、攻撃に移る体力も残せますからね。その意味で、三浦は決して守備のことだけを考えているんじゃない、というのは押さえておく必要があると思います。
 ただ、この「楽して守る」やり方でも、最後の「奪う」のところでは個人の頑張りが必要なわけで、それが京都で出来なかったのは選手に問題があった(フィジカル・気持ち等々等々w)からだと考えています。だから、一試合だけでどうこう言うのは早い、と。
 
 長くなるので明日に続く。

posted by tottomi |22:56 | コンサドーレ | コメント(6) | トラックバック(0)