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2007年08月06日

読書管見・小松成美『中田英寿 誇り』

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 小松成美『中田英寿 誇り』(幻冬舎、ISBN:9784344013391)
 
 W杯2006・ドイツ大会から一年とちょっと。中田英寿の引退の真相、大会中の代表に起こった出来事を綴ったノンフィクション。正月に読んだ『敗因と』とあわせて読んでおくのも良かろうということで購入。


 
 もちろんあわせて読むことの意味は、『敗因と』に出てこなかった中田英寿の言葉を読むことにありました。
 
(注意:ここから先は内容に触れています)


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posted by tottomi |20:44 | 読書管見 | コメント(0) | トラックバック(1)

2007年01月15日

読書管見・『敗因と』


金子達仁・戸塚啓・木崎伸也『敗因と』(光文社、ISBN:4334975127)

 サッカーW杯2006・ドイツ大会における日本代表の「内部崩壊」、その真相に迫ったノンフィクション。
 
 まず断っておかなければならないのは、この本は「チームの内情」に焦点を絞った内容になっているため、ドイツにおける代表の戦いぶり、とりわけ戦術的な部分についてはほとんどページを割いていません。だからピッチ上での代表について読みたい人にはお薦めしません。が、それを差し引いても読む価値はあると思います。些か「ゴシップ記事集成」めいたところはありますが。

(ここから先は内容に触れています)
 


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posted by tottomi |23:59 | 読書管見 | コメント(0) | トラックバック(1)

2006年05月23日

読書管見・沢木耕太郎『杯(カップ)―緑の海へ』


沢木耕太郎『杯(カップ)―緑の海へ』(新潮社 ISBN:4101235163)

 ワールドカップまであと17日。「オレたちには札幌がある」と言いながらもさすがにそろそろ皆さんも気になりだした頃だと思いますが、今回紹介するのは4年前、日韓大会の観戦記です。

 作者の沢木耕太郎は、この世代の男性の多くがそうであるようにサッカーの競技経験がありません。ですから本書での試合に対する分析も技術的な内容にはほとんど触れていません。しかし陸上競技・ボクシングをはじめとしてスポーツの観戦経験は豊富なので、チームの状態や大会の流れに関する考察には「そうかな」と思わせる部分があります。例えばジダン一人に頼るところが大きかったフランスのグループリーグ敗退から、チームの地力よりコンディションを必要とする現代サッカーの特質を説くくだり、逆に一発勝負の決勝トーナメントでは慎重に戦う相手をねじ伏せる真の力が問われるという見解など、今回の大会を見るにあたっても考えておかなければならない点が指摘されています。

 ただ作者自身が「あとがき」で「観戦記であると同時に旅行記」であると述べているように、日韓大会を、それも韓国に軸足を置いて見て回った体験記である点にこそ本書の価値があると思います。とりわけ韓国における体験は、大会期間中ずっと日本にいて、しかも韓国人の知り合いを持たなかった私にとっては新鮮でした。また、旅の過程でのエピソードは、作者が日韓大会をいかに見たかということと同時に、出会った人がいかに見たか、ということも我々に伝えてくれます。

 今回、ドイツ大会を迎えるにあたって再読してみたのですが、4年前のことを思い出す良いきっかけになりました。メンバー発表の時のトルシエの振る舞いや、小野伸二の病気のことなど、忘れていたことも随分ありますね。前回が地元開催だったことも、ともすれば意識の片隅に追いやられがちです。そういえばアルゼンチン-イングランド戦……の日に大通公園に両チームサポを見物に行ったなあ。試合はテレビで見てました(笑

 「サッカーずれ」していない人が書いているので「素人くさい」という意見と「平易で読みやすい」という意見とに分かれると思いますが、ワールドカップのレポとしてではなく、我々と同じ「体験者」の話として読むのが良いんじゃないでしょうか。もっとも常人には不可能な、羨ましい体験ですけど(笑)。


 あと、(数日前からこっそりリンク集には加えていたのですが)別荘を建てたので、ココは札幌・サッカー全般・スポーツに関する話題、サッカーに関係のあるブック・シネマレビューに限定することにしました。ですから、サッカーはちんぷんかんぷんだけれど安否確認にココを使っているという方は別荘を覗いた方がいいんじゃないでしょうか。
 「本館より別館の方が立派」という温泉宿みたいなことにならないよう、こちらもきちんと書いていきますので、今後ともご愛顧の程を。ヒマを持て余している方は別荘にもおいで下さい。


posted by tottomi |21:14 | 読書管見 | コメント(3) | トラックバック(1)

2006年05月15日

読書管見・近藤篤『サッカーという名の神様』

 以前に書いておいたレビュー。もう少しチームの調子が良いときにアップしようかと思って取っておいたのですが、「実は今アップした方がいいんじゃないか」と思ったので、載せます。



近藤篤『サッカーという名の神様』(NHK生活人新書175・NHK出版 ISBN:4140881755)

 筆者はフリーのフォトジャーナリスト。『Number』等に掲載されたコラムと、若干の書き下ろしをあわせたエッセイ集。筆者が訪れた国で起こったこと、聞いたこと、サッカーをめぐる様々な風景が、控えめな筆致で描かれています。

 本書を読んで気付いたことは、「結局、世界中どこでもサッカーバカは似たようなこと考えてるんじゃない?」ということです。筆者が出会う人々はそれぞれサッカーについていろんな語り方をしているのですが、どれも日本の居酒屋で一度は聞いた気がする語り方ですし、「ファウルしてもいいからとにかく止めろ」というイタリア式の思考法は実は私のそれと結構重なっていたりします(笑)。本書を読んで「ああオレだけじゃなかったんだぁ。良かった」と思った方は、相当病んでいます、サッカーに(笑)。

 ブラジルを訪れて筆者が得た「現役サッカーオヤジの人数×真剣度=その国の代表チームの強さ」という公式は、オヤジに片足突っ込んだ私を大いに勇気づけてくれました。「選手が試合の途中でへこたれることを好まず、自分たちもへこたれることを好まな」いイングランドのサポーター。「へこたれそうになった選手は罵倒される代わりに、応援され、応援され、そして応援され」るスタジアムに行ってみたい、そして札幌もそうなって欲しいとも思いました。
 トリニダード・トバゴにおけるW杯最終予選を描いた一文が最も印象に残りました。サポートの仕方とか、方法論とか、そういうものを越えた根っこのところで「楽しむ」ことが出来ている世界がある…。とにかく、いろいろ示唆を与えてくれる一冊です。



 …と、ここまでが以前に書いた内容。で、あらためて読み返してみて考えたことがあるので書きます。

 ここで私は「根っこのところで「楽しむ」ことが出来ている」とトリニダード・トバゴについて形容していますが、「楽しむ」という言葉の意味について、さっき中田英寿がこんな意味のこと言っていたんですね。

「楽しむ」ってのはいい加減にやるという意味ではもちろんなく、厳しいトレーニングやプレッシャーを全部受け止めた上でのことだ。

別にトリニダード・トバゴの観客に対する憧憬が間違っていた、と言うわけでもないし、「「楽しむ」とは論」をぶつつもりもないのですが、どうも私は根底のところで中田の言う「いい加減」な気持ちを持っていたのかも知れません、少なくとも昨日の試合までは。それがこのエントリーにも滲み出ているような気がしたんです。イングランドみたいなスタジアムになって欲しいと言っておきながらへこたれてるじゃないか、と。

 昨日、この悔しさを糧にしなければならないと選手に向けて書いたのですが、どうやらこのことを肝に銘じなければならないのは私のようです。それとサポ全部。あんた達は「勝たせたい」のか「勝つところを見たいだけ」なのかどっちなんだ?後者ならチェルシーかどっかのファンやってろ!


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2006年04月03日

読書管見・『パリは燃えているか?』


ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール(著) 志摩隆(訳)『パリは燃えているか?』(上)(下)(新装版・早川書房 ISBN:4152086270(上)・4152086289(下))

 以前紹介した『さもなくば喪服を』のコンビ、コリンズ・ラピエールによるノンフィクション。映画化されており、そちらを御覧になった方もおられるのではないでしょうか。

 1944年8月25日、パリ解放。「敵の手に落ちる時にはパリの全てを爆破せよ」という指令に悩むドイツ軍パリ大司令官フォン・コルティッツ、ナチスドイツの手からパリを、祖国を取り戻すべく奔走するシャルル・ドゴールとその部下達、パリ解放により進軍が遅れることを憂慮しドゴールと対立する連合軍の元帥ドワイド・アイゼンハワー、そしてラステンブルクの地下壕に潜むアドルフ・ヒトラー…。しかし、本作の真の主人公はパリ解放を願い、またパリ防衛を遂行するために戦った市民・兵士一人一人であると言えるでしょう。

 本書には、1000人に及ぶ人々に対するインタビューの結果得られた「8月25日」に関わるエピソードが収められ、それらがリアリティ溢れるストーリーを織りなしています。登場するのはごく普通のパリ市民からレジスタンス、ドイツ兵とさまざま。「彼らにとってのパリ解放の意味」が実に丁寧に描写されており、歴史上の大事件の背後にある人々の営み・意思といったものを鮮やかに描き出しています。
 そこに関わる全ての人々にとって、パリ解放はそれぞれ独自の意味を有していた。その意味に向かった彼ら「一人一人の行動の集積」としてのパリ解放…。なるほど、先にこっちを読んでいたから受け止め方がああなったわけだ。昨日の『タイタンの妖女』と、ここでつながりました(独り言)。

 『さもなくば喪服を』に比べてかなり細かい場面割りが施されており、展開のスリリングさはこちらの方が断然上。訳文調に弱い、外国人の名前を覚えるのがちょっと…という方は、あまり一つ一つのエピソードに拘泥することなく流れに任せて読んだ方がよろしいかと。


 もう一つ、こっから下は本当の独り言。「巻末特別エッセイ」で作家の柳田邦男さんが言っている次の部分が印象に残ったのでメモ。

 書く対象の事件が大きなものであれば、事件発生のホットな時点で、各種のマス・メディアがセンセーショナルに大きく報道する。時にはうんざりするほど、過剰な情報が流される。(中略)ところが、五年、十年と経つうちに隠されていた秘密文書が見つかったり、沈黙していた関係者が口を開いたりすると、事件の姿形や内実が通念化していたものとかなり違うものであることがわかったり、感動的な秘話が明らかにされたり、事件の歴史的な意味が分かったりする。だから、事件当時に取材した記者が《あの事件については自分がみな知っている》と思いこんでいても、後になってノンフィクション作家による事件の再発掘や再検証をした作品を読むと、そこには知らなかった事実がぎっしりと詰まっていたということが、しばしば起こるのだ。しかも、年月が経っていても、かえって人物の一人一人が生き生きと描かれるようになる。
 このことはノンフィクション作品が担っている役割と重要性を示すものだ。その意味で、ノンフィクション作家は、ジャーナリストと歴史家の両方の領域に片足ずつを突っこんで仕事をしている表現者だと言えるだろう。

 「ノンフィクション作家が羨ましい」と時々思ってしまう自分を見透かされているような気分。そんなこと考えてちゃ仕事にならんぞ、と自分に戒め。



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2006年04月03日

読書管見・『タイタンの妖女』


カート・ヴォネガット・ジュニア(著)浅倉久志(訳)『タイタンの妖女』(早川書房 ISBN:4150102627)

 お笑いコンビ・爆笑問題の太田光がもっとも感銘を受けた本としてしばしば紹介しているSF小説。さっき「はてな」で検索かけてみたら、やはり『爆笑問題のススメ』最終回を見て購入した人が多いようです。私もそのクチですが。

 すべての時空にあまねく存在し、神のごとき全能者となったウィンストン・N・ラムファードは、戦いに明け暮れる人類の救済に乗り出す。だが、そのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨であった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する羽目になったのだ。最後の目的地タイタンで明かされるはずの彼の使命とはいったい何なのか?(裏表紙紹介文より)

 本作が言いたかったこと、漫画版『風の谷のナウシカ』とちょっとだけ重なっているところがあるように思います。(以下、ネタバレあり)



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posted by tottomi |00:36 | 読書管見 | コメント(2) | トラックバック(1)

2006年03月13日

読書管見・生島淳『世紀の誤審』&WBC・日本-アメリカ

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生島淳『世紀の誤審 オリンピックからW杯まで』(光文社、ISBN: 4334032591)
 柔道・フィギュアスケート・サッカー・ラグビーなど様々な競技の、主に国際大会における「誤審」の事例とその原因を、単に試合の中だけではなく競技の特質や背景に存在する問題にまで踏み込んで解説した一冊。

 「誤審の傾向と対策」について類型化した第九章はなかなか示唆に富んでいて興味深い。対策に挙げられた「観客が競技を見る目を養うこと」は、まさに身につまされる思いです。が、今日はこの対策についてではなく、「国際大会における誤審の傾向」について書かれている内容を紹介し、あわせてWBC・アメリカ戦で起こった「誤審」について私見を述べてみたいと思います。



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posted by tottomi |22:35 | 読書管見 | コメント(6) | トラックバック(1)

2006年02月17日

読書管見・L.コリンズ/D.ラピエール『さもなくば喪服を』

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ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール(著) 志摩隆(訳)
『さもなくば喪服を 闘牛士エル・コルドベスの肖像』(新装版・早川書房 ISBN:4152086432)

 スペインの生んだ伝説の闘牛士、"エル・コルドベス(コルドバ人)"マヌエル・ベニテスの半生を綴ったノンフィクション。


 マヌエル(マノロ)・ベニテス。1960年代のスペインで国民的人気を博した闘牛士。本書は、彼のマドリードでのデビューを軸に据え、彼及び彼の一家の遭遇した貧困、スペイン内戦、マノロの故郷からの追放、「マレティリャ(小さな旅行鞄。転じて闘牛士志望の若者のこと)」としての長い日々、故郷パルマ・デル・リオ凱旋などにまつわるエピソードで構成されています。
 特に、彼が闘牛士としてのデビューを果たした故郷パルマでの闘牛の場面は本書における一つのクライマックスであり、私が読んだ・見たスポーツの場面に関する描写でこれほど息を呑むような思いをしたのは、『一瞬の夏』のソウルでの試合・映画『運動靴と赤い金魚』の「マラソン大会」以外にありません。ここを読んで、あらためて巻頭のモノクロ写真を見るとその凄味が伝わってきます。
 そして、マノロはこのデビュー戦を境に「狂った夏」へと突き進んでゆくのです。

 「狂った夏」とは、彼が一気にスターダムにのし上がってゆく過程に冠せられた形容ですが、「なぜ国民を『狂わせる』に至る英雄になり得たのか」という問いに対する答えが、本書の序盤から周到に用意されています。
 第一に、マノロのような若者が数多く存在したこと。マノロと共に故郷を追われ、その後の行動を共にしたものの、一人前のマタドールとなることは出来なかったフアン・オリリョ。物語の途中、幾度となく登場するマレティリャ達。角傷を受け死に行く若者…。マノロは貧困から這い上がろうとする者達のシンボルだったのです。
 第二に、変わりゆく闘牛界・開かれてゆくスペインという国の象徴として彼が登場してきたことが挙げられます。英雄的闘牛士達の死の後を継ぎ、伝統的な優雅さではなく型破りな手法と類い希な勇気を披露する彼の登場は、内戦とそれに続くフランコ政権による「停滞」から脱却しつつあるスペインという国の縮図でもあった。何か我が国における力道山を彷彿させます。もちろん直接見たことはありませんが。

 本書の構成は、マドリードの闘牛場での一日と、マノロが闘牛士になるまでの道のりを交互に展開するというものになっています。ある象徴的出来事と、それまでのその人の歩みを交差させ、最後にその出来事にストーリーを収斂させてゆく、現在ではノンフィクションの「王道」となった手法です。マドリードで相対する牡牛の「欠点」を即座に見抜く卓越した能力から、いかにしてそれを身につけたかを語る次章へ。これから起こる悲劇を予感させながらも故郷への凱旋とデビューに話を移し、「狂った夏」における輝かしい成功の物語の後に、再び悲劇の舞台へと読者を引きずり込む…。

 タイトルにも用いられている、エル・コルドベスが故郷で闘牛士としてデビューする際に姉に語った次の一言は、これ以上ない程美しく、それでいて何とも胸に迫るものがあります。

 「泣かないでおくれ、アンヘリータ、今夜は家を買ってあげるよ、さもなければ喪服をね」


 余談その1。オフィシャルブログなので、一応札幌に関係のある気配を漂わせておこうかな、と(笑)。
 「英雄的存在」というのは、その人の資質だけでなく、時代背景など様々な要素が絡み合って「生み出される」ものだ、と思います。つまり、優れた選手であると同時に大衆がシンパシーを感じることの出来る歩み方を彼がしているかというのが、ただの良い選手と英雄的存在を分ける要素の一つなんでしょう。その意味で、三浦知良が、Jリーグ誕生といういい時期に日本に帰ってきたこと、「ドーハ」とフランス大会でのメンバー落ちという二つの「悲劇」によって広く大衆に知られる存在たり得ている一方で、奥寺康彦など「カズ以前の名選手」はサッカーファンの間でしか認知されていない。別に英雄扱いされたいという理由だけで選手はやっているわけじゃないでしょうけど。

 で、人気のためには英雄的存在がいた方がいいわけで。若貴世代引退後の大相撲はあの通り。プロ野球は長嶋・王を失ってからじりじりと人気を下げ、イチローが出てきたと思ったら向こうに行っちゃうし、挙げ句病に倒れた長嶋さんに未だにすがりつこうとする「人々」…。

 いなくても競技そのものの魅力で売れば良いのかも知れませんが、「これからを担う大事な存在」である子供にはそれが通用しないのではないかと思います。現に「カズさん」でサッカーを始めた世代が今Jリーグに入ってきていますからね。札幌にもそろそろそうした存在が欲しいところです。ただ、「選手を育てて売る」事に徹しないと生き残れそうにない札幌がそうした選手を持つことが出来るかどうかは難しい問題だと思いますが。

 中田英寿以降の日本サッカー、今のところそうした英雄的存在を持たない札幌…。うーん。


 余談その2。本書のBGMに、と考えて購入したのはNHKスペシャル「映像の世紀」のサウンドトラック(2枚)。本作を手掛けた作曲家・加古隆氏はドラマ「白い巨塔」のテーマでもおなじみ。一闘牛士の半生を綴る物語であると同時に、20世紀初頭から中期にかけてのスペインという国の歩みをも語る本書には、やはり20世紀を素晴らしい構成で語ったNスペ史上に残る名作「映像の世紀」のテーマが相応しいだろうと。理由はもう一つ。お気づきの方もおられるかと思いますが、メインテーマのタイトルは、コリンズとラピエールによるもう一つの名作のタイトルに用いられた言葉から来ているというのも選曲の理由です。

 そう、タイトルは、「パリは燃えているか」。

 こちらも近々読もうと思っているのですが、長いんだよなこれが(笑


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2006年01月21日

読書管見・桂米朝『落語と私』

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桂米朝『落語と私』(ポプラ社 ISBN:4591089673)
 著者は戦後上方落語の復興に尽力した「四天王」の一人、人間国宝・三代目桂米朝。落語の技法や楽しみ方・歴史に、自らの落語に対する認識等を織り交ぜて綴った落語論。以前も書きましたが、中学生の頃から米朝さんが好きで、ラジオでこの人の落語をよく聞いていました。


 最近秘かに落語がブームになっているようです。本書はもともと中高生向けに書かれたようですが、ちょっと聞いてからこの本を読むと、落語の奥の深さが理解できるのではないでしょうか。


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2005年12月30日

読書管見・沢木耕太郎『凍』

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沢木耕太郎『凍』(新潮社 ISBN:410327512X)

 『新潮』2005年8月号に「百の谷、雪の嶺」というタイトルで全文掲載された作品。登山家の山野井泰史・妙子夫妻がヒマラヤの高峰・ギャチュンカンに挑み、壮絶な体験の末に生還するまでを描いたノンフィクション。
 この本が「2005年で二番目に感銘を受けた本」となったのは、「誰か・何かと共に歩むこと」の一つの理想型というものを教えてくれたからです(以下、ネタバレあり)。



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2005年12月26日

読書管見・木村元彦『オシムの言葉』

20051226-00.jpg木村元彦『オシムの言葉』(集英社 ISBN:4797671084)

 サブタイトル「フィールドの向こうに人生が見える」。この言葉が、この本の、オシムという人の全てを言い表しているように思えます。


 いうまでもなく、イビツァ(本名イヴァン)・オシムは、90年ワールドカップでユーゴスラビアを率い、チームをベスト8に導いた後、EURO92を控えた時期に始まった内戦を受け代表監督を辞任、海外のクラブを渡り歩いた後に、市原(現在千葉)の監督として来日。限られた戦力を最大限に活かすその指導法で、千葉をJリーグカップ優勝に導いた名将です。陳腐な表現ですが「名将」以外に思いつかない。「知将」はちょっと違う気がします。

 この本は、「千葉でのチーム作り」と、「指導者としての祖国での経験・内戦により被った苦難」の二つのテーマに基づき書かれています。千葉というチームの戦術について語る資格はないし、実際に見ればいいだろう(再来年対戦する時に)、ということで、「なぜ千葉の選手はオシムを信じてあれだけ走ることができるのか」を知るために読んでみました。


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2005年12月01日

読書管見・五木寛之『みみずくの夜メール』

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五木寛之『みみずくの夜メール』
(幻冬舎 ISBN:4344407008)

頭がオーバーヒート気味・「ちょっと思い詰めすぎかな」と思った時にお薦めの本。


 タイトルは「ヨルメール」と読みます。朝日新聞に連載されていたエッセイの文庫版。
 この本を読んでまず感じたのは、五木寛之という作家は、結構いい加減な人なんだな、と(笑)。


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2005年11月26日

読書管見・沢木耕太郎『彼らの流儀』

彼らの流儀

沢木耕太郎『彼らの流儀』
(新潮社 ISBN:4101235120)


 「ノンフィクション作家」と紹介されることの多い彼ですが、コラムも結構書いています。これがその一つ。対象に真摯に向き合い、かといって過度にのめり込まない彼のスタイルは、長編もさることながらコラムでこそ活かされるのではないか、と思っています。
 『彼らの流儀』でも、「発光体は外部にあり、書き手はその光を感知するに過ぎない」(「あとがき」より引用)という彼のコラムに対する定義が貫かれています。
 スーパースターを父に持った野球選手の想いとそれを見守る母を描いた「ナチュラル」、大晦日に新しい手帳の連絡先に誰の名前を書き込むか考える独身女性の心を綴った「手帳」、あるヨット乗りの自死をめぐる「来信」と「返信」、有名人の芸名と同じ名前を持つ男性の率直な感想からなる「我が名は…」…

 ただ、私にとって最も心に残っているのは「表紙」と、それにまつわる私の体験です。


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2005年11月10日

「クレイになれなかった男」の今

内藤利朗/写真 沢木耕太郎/文『カシアス』
(スイッチ・パブリッシング ISBN:4884180151)


 昨日、逝ってしまった人の話を書きました。その時、この人の話も併せて一つの文章にしたかったのですが、うまくまとめられそうにないのでやめました。
 カシアス内藤という人の話です。

 私は、さる友人に紹介されて以来、沢木耕太郎さんの一連の作品を読み漁っています。その中に『一瞬の夏』という作品があります。カシアス内藤というボクサーの再起のプロセスを描いたノンフィクションです。しかし、ただその過程を取材したというものではなく、沢木さんはカシアス内藤のジムの移籍問題やマッチメークまで携わっており、トレーナーのエディ・タウンゼント、カメラマンの内藤利朗と共に一つのチームとして「一瞬の夏」を駆け抜けていくのです。私より上の世代には、自らの青春を重ね合わせて読んだ方もおられるのではないでしょうか。


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posted by tottomi |23:23 | 読書管見 | コメント(0) | トラックバック(1)