2006年05月11日
気づいたこと
ここのところ7,8件のことを並行して進めざるを得ない。 もちろん、それらのシゴトが、全て気持ちよく進められるとは限らない。 我ながらよくやるよ、という感じで、まるで他人を見ているような自虐的な?気分になっている。 やれやれ、である。 そんな中で出かけた、6月の保育実践検討会打ち合わせ。 乳児期後半の3項関係の成立に関わる、なかなかステキな実践。 出発直前に話した、mousanのアイデアも借りて「ヒト志向/モノ志向」という整理を試みる。 結果、当日に面白い議論ができそうな雰囲気になった。 実践をまとめたひとりである、卒業生mizukiの成長にも感心。うんうん。
帰宅してから、久々に元気になった自分に気づいた。 やっぱり、本質的な話ができる人たちとともに、 子どもの話や、保育の話をしているときがあれば、元気になるのだな。
posted by housan |22:46 | 研究 | コメント(0) |
2006年03月30日
Freedom evolves
発達・理論研究会の仲間で、デネット『自由は進化する』を読み、進化的な観点から自由ということを考えた。「こうなったこと」の説明としてはすぐれた議論である。一方で、「これから」についてはかなりの楽観主義だなあ、という感想がぬぐえなかった。進化的な説明とは、そもそもそういうスタンスに立脚しているものとして理解する必要がある、ということなのかもしれないけど。ただ、このことは同時に、普段進化的な枠組みを用いるわけではない我々が、「自由の未来」について今後研究者として考え、実践する余地があるということでもある。 ところで、発達・理論研究会の通称は「ぽっちり研」である。 それは、単に発達と理論のあいだがぽっちりしているという意味であると思っていたのだが、最近は『人間のあらゆる部位はぽっちりしているであろうことから名づけられた人の心理に関する研究会』であるとか、『変態研究者しか入会できない地下組織』だとか、『世の中のぽっちりしたものに関心を寄せる研究者の集まり』だとか諸説あふれているらしい。ふむふむ、なるほど。えっ!? メンバーの中には今をときめく発達心理学者もひそかにいたりする一方で、まあ一部に変人がいることも確かに否定できない(笑)。でも、フツウにステキなヒトもそれなりにいる、ような気もする>(なぁ:ウェイユ) ……それはともかく、一応、年2回まぢめに理論的心理学の議論を重ねてきた証として、みんなのぽっちりした成果は、1年後に出版されることが正式に決まった。まずは1次原稿:8月までが勝負ですな。 というわけで、時間の経つのを早く感じた3日間でした。 もう少しがんばってみよう、いい研究を続けようと思えるのは、 いつもみんなのおかげです。ありがとう!! 今回カゾクのように松本家を支えてくれたウェイユにも大感謝です。助かった&嬉しかったよ。 思ったとおり、智の気持ちの酌みとりが上手なので感心しました。 みなさん、これからも、よろしく! そうそう、あとから思ったのだけど、 英文タイトルは "Freedom evolves" つまり、ふりーだむは進化する!ですよ!!>マコ
posted by housan |00:02 | 研究 | コメント(4) |
2006年03月09日
2歳児の心
いつものホイクエンに伺った。
今回は2歳児。
しばし遊んで、カンサツして、そのあといつもどおりの実践検討のぢかんである。
今日の話題の一つは「できる(だろう)のに、やらない」ということ。
オトナの場合、できるのにやらないコトがあるとすれば、何か理由があって意識的に抑制している、と考えるのがフツウかな、と思う。
では、「行動調整?なに?それ?」の2歳児の場合はどうなのだろう。
やらないのは、できないのか、やりたくないのか、はてさて……
先生方と話したのは、できる/できない、の世界と、やる/やらないの世界がきれいに2×2で組み合わさっている「オトナの軸」とはちょっと違ったかんぢの何かがあるかもね、ということ。
やらないのは、「できない」もしくは「(何かの理由で)やりたくない」のどちらかってわけではなく、それ以外の世界がある……!?
担任保育者いわく「気持ちが向かわない」って何なんだろうね、ということを、みんなで話したのでした。
別に「やりたくない」わけでも「できない」わけでもないけれど、何となくハイになったり、オトモダチをみて楽しくなった自分の気持ちに呑み込まれたりして「やること」がどこかに吹き飛んでしまって、結果として「やらない」、ってことがあるかもしれない。
外から見ると、それが、できるのにやらない、ように見えたりするかもしれないけれど……
こんなふうな、感じて、心揺れて、また感じて……、の世界があるよ、と思って2歳児を見てみると、また違った姿が見えてくるかもしれない、という気がするなあ、というのが、今、何となく俺の考えてること。
まだあんまり自信がない&曖昧なかんぢなので、またしばらく考え続けてみよう。
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友だちと一緒にたっぷり感じながら、豊かな心と感じるコトバを身につけていく2歳児には、エガオたっぷり、ナミダたっぷり、喜びたっぷりの、感じる力をたっぷりもった保育者がよく似合う、と思う。
そんな保育者と過ごす毎日があれば、きっと子どもたちにとって、2歳の1年間は素敵なものになるんでないかな~。
posted by housan |21:44 | 研究 | コメント(2) |
2006年02月16日
前に進もう
昨日帰ると、暖さんと共同で出した
研究助成の審査結果が届いていた。
残念賞。
ご丁寧に簡易書留で通知が届いていた。
採択率は18/103とのことだが、審査内容は非公表とのこと。
まあ仕方ない。まだのぞみは(一応)2つ残されているし。
机の上にウェイユが残したラクガキを想い出した。
「過去は振り返らない同盟 前に進もう☆」
というわけで、まずは懸案の5年越しの原稿に専念することにする。
2月中には、ですな。
ここを越えれば、新しい道に踏み出すことができそうだから。
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心配事が一つ終わりました。
笑顔でできれば、それでよし!
posted by housan |13:56 | 研究 | コメント(2) |
2006年02月12日
1ヶ月記念
K式の鈴を鳴らしてみて、泣きやむ姿なんかを撮影してみた。追視も少々。
授業で使うかな。このビデオ。笑
「ステラ おばさん」のクマと。
Thanks!>ウェイユ
posted by housan |15:09 | 研究 | コメント(0) |
2006年02月09日
キケンはそこに
先月飛ばしてしまった保育園との勉強会。
“忘れないように 遅れないように 元気に 行ってきまぁす”の助言!?を守り、1ヶ月健診の智(初ジムニー)を送った後、高速を飛ばしたらかなり早く着くことができた。
保育観察をして子どもとだいぶ遊んだ3歳クラスは、本来14名のところ8名欠席(うち4名インフルエンザ確定)、6名中2名微熱、4名病み上がり、保育者1名も発熱中、このクラスに入ったオトナはみな具合が悪くなる……というなかなか硬派なクラスだった、と知ったのは、保育観察を終えた後だった。笑
ま、そんなこともあるか。
ここ数日の生活を振り返ると、もろもろ締め切りに追われてるし、
睡眠は智の帰宅以来(当然)不規則だし、疲れ気味だし……と、
どう考えてもインフルエンザに好意的な要素しか見あたらないので、
カナシイ気分を越えて達観!?する。やれやれ。
とりあえず、家人にウツすわけにはいかんので、帰宅直後に全身着替えてみた。どうなることやら。
肝心の勉強会の方はまあまあなのでよかった。
新しいシゴトも決まり、またこれからだね。
posted by housan |22:26 | 研究 | コメント(0) |
2006年01月29日
我慢して、我慢して……
昨日の最終講義の後、懇親会で先生が最後に引用した
I=P=パヴロフのコトバが頭を離れない。
「チェルピエーニェ チェルピエーニェ チェルピエーニェ」
(だったかな?)
「我慢して、我慢して、我慢せよ」
または
「忍耐、忍耐、これ忍耐」
という意味らしい。
なんかいかにも北国らしいコトバだけど。。。
最近とみに感じる不条理や失望、やるせなさ、あきらめ等々を
今日もまた感じざるを得ない中で、つい想い出してしまう。
休日出勤なので疲れ倍増だね。でも「我慢」だね。
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智は眼が合うようになりつつある。
手を前に突き出すようになる。
いつかの柔らかい手とは、少しちがう。
すごいなあ。
家族との大変さは、
同じ大変でも、間違いなく「幸せな大変さ」である。
ウチに帰って救われた。
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そして、ようやく懸案の原稿を送りました。
よし、次もう一本いってみよう~!
posted by housan |01:42 | 研究 | コメント(0) |
2006年01月28日
タイムマシン
今日は俺のただ一人の「先生」の最終講義。
というわけで入試も休みをいただき、一路東京へ。
開始までは30分ほど余裕があったので、
かつての最寄り駅から歩いて大学へ向かうことにした。
8年を過ごした4畳半のアパートは、
時代に取り残されたかようにそのままの形で残っていた。
最終講義。
直前まで、なぜかあまり行きたくなかったのだけれども、
いろいろな意味で行ってよかったな、と思う
懐かしく、不思議な時間。
タイプも、研究業績も全然違うはずなのだけど(笑)、
ああ、自分の仕事は、研究も教育も、笑ってしまうくらい
このヒトの型を知らす知らずに身につけてしまったのだな、
ということを再認識させられた。
親、とはそういうものかもしれない。
更によかったのは「ここは決定的に違うよな」と
薄々感じていた部分を再認識できた、ということ。
本人は「教育者としてはボクは問題があったかもしれない」と
おっしゃっていたが、越えるべき課題を考えさせてくれた、
という意味で、少なくとも俺にとってはよかったなあと思う。
ま、本人はそれを意識してないと思うけど。
そして先生は、意外に?気にしてくださっていると
いうことがわかった。感謝しなくてはね。
そう、いろいろなヒトに出会った。
このブログを読んでくれているはずの、
いつもの仲間に会って話せて嬉しかったり、
(本気で)もう2度と会わないだろうな、と
思っていたヒトに会って話せて嬉しかったり、
俺の在学中から時間が止まったようなヒトに出会ったり……
]なぜか、また来たい、とは全く思わなかった。
実際にそういうことは、少なくともしばらくないだろう、と思う。
アパートに足が向いたのは、もしかしてもう二度と来ることはないだろう、
と感じたからかもしれない。
最終の新幹線でナゴヤに降り立ったときに感じたのは、
ここに俺の家族がいて、俺がこれから生きていく場なのだなあ、
ということだった。
ふるさとがなくても、今の俺にはこの街がある、のだ。
posted by housan |01:09 | 研究 | コメント(0) |
2006年01月12日
やってしまった
スキのない毎日の中でついに起きてしまった。
連絡の行き違いで、来週と思っていた保育園との勉強会が
実は今週であったことが判明。
冷静に考えるとこちらだけが原因とは言えないのだが、
10日のメールを出産の中で斜め読みしかしていなかったのは
確かである。申し訳なさと、今後のことを考えると
全身から力が抜ける。
なんか難しいね。
有給のない=仕事とプライベートの境目がない仕事に
特有の問題をどう乗り越えるか。
ドライにやればいいのかもしれないが……。
今できることから、もう一度やり直すしかない、
と思えるまでは、少し時間がかかった。
家族に感謝。
#写真は新生児微笑?
posted by housan |23:20 | 研究 | コメント(0) |
2006年01月08日
たどりついた
原稿、何とか形になりました。
細かいチェックや要約等が残っているけど、すこしすっきり。
次の原稿のメドもほぼたったし。
書いているときはいろいろ考えるが、
終わってから振り返ってみるとあっけないものだ。
というわけで、原稿は直接chen先生とやりとりすれば
いいかな?>暖さん