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2009年05月08日

水のチカラ

世間的には連休終了!であるが、個人的には後半。
娘×2が無事保育園に出かけ、授業もなく、
これでようやくデスクワークできるぞ!と思ってしまうところが
いろいろな意味で情けない(苦笑)
自分の職業を疑ってしまうところである。
このままでいいのか?と思わなくもない。

少し振り返ってみれば
1/2月はアッチの腹立たしさやコッチのビョーキに振り回され
比較的机に座れる3月にかなり追い込んでしまったまま4月に突入。
オリエンテーション期間中に集中講義という
フシギな展開その他に耐えながら新年度に突入した中で、
最後に心科研で心身ともにトドメを刺され撃沈、というかんぢだったなあ。
ちょっと自己コントロールすべきだね。>俺

それだけに、今回の連休前半はありがたかった。
3歳児&0歳児のオカゲで、休日に変にシゴトを
引きずるのが不可能なのが幸いしているかも知れない、と思う。
ありがたや、である。


5/2-3 6期1年カゾクと川へ 宿確保以外無計画で無為に過ごす。
 タエコと“シャボン玉inシャボン玉”に必死になるがアレは無理だったね。笑
 
 「みんなに逢いたかったから来た」というさっちゃんのヒトコトが素敵だった。
 みんなもそうだよ。もちろん、俺も。
 その想いと行動力があれば、きっと何かが拓けるはず!

 あ、写真載せました。ココをクリックしてな!
 パスワードは……“シャボン玉inシャボン玉”にチャレンヂしてた
もう一人のあのヒトの愛称にしてみます。
 ほら、トランプ持ってきたあのヒト! 学籍番号いちばん頭だよぉ。
 わからなかったらメールで聞いてくれい! 

5/4 Kanakoと恒例のプール愛好会(あれ?また水だ。)
 Tomoは少しの時間で浮き輪で浮かべるようになった。
 
 やっぱ物理法則以上に信頼感がカギなのだなあ。
 条件が表面的に整っても、ヒトを支えるのは所詮ヒト

5/5 激しく掃除洗濯 雨なのですべり台できずTomoは残念

5/6 4期1年カゾクとお食事 この日も雨
 あゆにはいつも感謝である みんな元気
 Nonと呼吸を合わせYoh-chanのハナクソ採掘!
 同好の士が身近にいたとは……(笑)
 
 帰り道で今更気づいた(!)のは、朝青龍に似た赤ちゃんが多いのではなく、
朝青龍が赤ちゃん顔をしているのだということ(ん?)
 だからそれでいいのだよ>ちえ

 こちらも写真を。ココをクリック。
 パスワードはもちろん最年少参加者のあのヒトで。
 わからなかったらメールでね!


というわけで、何かと水づいていた連休で
乾きを癒し喉を潤すことができました。
みんな本当にありがとう~!

社会復帰?まであと丸2日。
校正原稿は終わったので、あとふたシゴトは何とか!(→よくばり)
みんなもいるし、まだまだあきらめずにやってみます。
どこかに進める道があるはず!

posted by housan |00:06 | 研究 | コメント(2) |

2008年09月13日

できる/できない

投稿しないうちにyohは3か月越え。
ブログはとことん性に合わないメディアなのだろう。笑


Tomoはパズルマニアである。
その昔研究で使っていた50ピースのジグソー:アンパンマンに
自ら手をつけ始めたのはたしか1歳11か月(←ちょっと変)
飽き足らなくなって50ピース弱のパズル(カーズ>アマネちゃんパパのパズル)と、
ビミョウなつくりの木のジグソー(セントレアフレンズ)を手に入れたのはこの夏。
カーズは4~5歳児程度?で、某保育園の5歳児クラスにあるのと同じものらしい。
最近も変わらず引っ張り出してはせっせと取り組んでいる。フシギ。

ここまではなんということはない話なのだが、
ふとしたきっかけで、園では最近ある保育者に、できないのに難しいパズルを出す子、とみられているようだと知って、なんかちょっと面白いと思い授業でしゃべってみた。

Tomoはパズルができるのか/できないのか?

ヤツは、何をどこに置くか、という水準はほとんどわかってやがる。笑
この点だけからみれば、アンタほんとに2歳8か月?というかんぢ。
しかし、ヤツのパズルは多くの場合、一人では達成されない(→精神間機能?)。
ピースを探すことをすぐにあきらめちゃったり、既にできたパズルが汗で手にくっついてずれたとき
「ズレチャッタ!!」と素早く気持ちが乱れちゃうから。
オトナ(←俺)がそばにいて、さりげなく当該のピースを近づけたり、
「ずれても直せばいいだろ!!ぢんせい長いんだから」とか支えられて、はぢめて達成できるのだ。

こういう「くずれちゃってももう一度!」ってのは、やっぱり内言あってこそだよねぇ、
と最近しゃべってみた。ちなみに4歳児の講義。
パズルができる力とは、表面的には「絵を理解して、ピースとピースの関係を知る」ということなのだろうけど、実際にはそれに加えて「自分で根気よく探す」「ずれても直して回復させる」力が含まれる。
だから、あのパズルが4/5歳用と書かれているのには、
結果論としてはそれなりの妥当性があるのだよ~ということ。

で、結局ヤツはできるのか、できないのかについて。
家では「できる」/園では「できない」というのは、どちらも正しいだろう。
だって、2つの「できる」は違うものを指しているのだ。
オトナがそばで付き合ってパズルをする環境では、ヤツは「できる」のだし、
オトナの援助を内化させて、1人ですることが求められる環境では、今は「できない」のである。
どちらの「できる」も肝心。まぁそれだけの話。


乳児の有用性研究、というのは発達心理学の中でいまだに盛んで、
これまで1歳半の力といわれていたものが、実は13か月からできるのだ!/9,10か月といわれていたものは、6か月児にもできた!という種の研究成果が、国際的学会誌にわらわら掲載されている。
「成果」としてきわめてわかりやすいという事情があるんだろうけど。

そういう研究の多くって、率直にいって「面白くないな―」と思っていたんだけど、なんで面白くないのかなというのを、これまで自分としてはなんかうまく説明できなかったわけです。
なんだけど、今回のパズルのことがあって、ちょっとハッとしました。

そうか、表面上は同じ行動の「できる」を問題にしている研究でも
実は、まったく違うレヴェルの「できる」を扱っている可能性があるな、ということ。
ある行動の、より発達早期の達成を謳う研究の場合、
その現象を成り立たせるために、綿密に組み立てて実験するうちに、
子どもの達成にとって決定的なサポートを知らず知らずのうちに
与えている可能性ってあるんだろうな、と。

家庭での「できる」と、園での「できる」、検査場面での「できる」の違いも、
もしかして同じようなことから説明できるのかも。

たいした気づきではないが、ほっとくと100%忘れそうなのでメモしてみた。
9月は次から次へいろいろやってくるので
次から次へ忘れてしまうなあ。

写真はワル2名。いわゆるワル自慢(笑)

073108


posted by housan |00:32 | 研究 | コメント(5) |

2007年02月22日

一区切り

いい話を二つ聞いた。よかった!
そして全くの偶然だが、こちらも今日、一つのシゴトに区切りをつけることができた。
まぁ、こちらはこれからがはぢまりなのだが……。
今の環境の中ではベストを尽くしたとは思うのだが、
はぢまりが、一瞬で終わらないことを願いたい。

よし、また明日が待っている!

posted by housan |01:32 | 研究 | コメント(0) |

2007年01月19日

インドぢんも

びっくり、という時間ですが……


とにかく、一日確保できるのは今日だけだ、という思いもあり
自分を追い詰めて、性に合わない働き方をしてみる。
数ヶ月に一度こういう日があるが……健康に悪いなあ。
そういえば、以前これに近い働き方をしたのは、あの原稿に終われていた夏のある日だったなあ。
あれも体と心に悪かった。ははは。

身を入れて原稿を書くと、「鶴の恩返し」の鶴になった気がします。
何かが抜き取られて削られていくような……。
一応、もの書きもシゴトのひとつのはづなのだけれど、そんなわけで、
なんでこんなシゴト選んだのだろう、とこんなとき、ふと振り返ったりするわけです。笑
イヤではないけれど、合わないかも、と思ったり。

もの書きにおいて、集中力があること、はほめコトバだろうけど
それは、気配りができなくなること、と同義かもしれないなあ。


書くべきメールも書かず(ごめん)、電話もせず(すまぬ)
かかってきた電話にもアタマぽわっとしながら出て(もうしわけない)
家事もせず(すんません)、ようやく終わりました。やれやれ。
この間tomoとフロに入った記憶しかないなあ。

インドぢんにびっくりされねばいいが……大丈夫だと思うが……
とりあえず、10日間はこの原稿を忘れられるのが嬉しい。
なんせ7年がかりの子ですから。笑

寝るか。おやすみなさい。
みなさん、今日の分は明日取り戻しますので、ごめんね。

posted by housan |02:01 | 研究 | コメント(0) |

2006年11月07日

パパ

園から帰りの車に乗ったときに「パパ」と言ったよ、とmousanから聞いた。
俺がいないところでの出来事だから、コトバとして使われたわけではないけれど。
(そう考えると、初語ってどう認識されるのだろう。なかなかアヤしいものだ。笑)

要は、ぱぱぱぱぱ……というのを止められるようになった、ということだと思う。
止められたことにより、コトバへぐっと近づいたのだ。
 「出す」より「止める」
 「つかむ」より「はなす」
 「すすむ」より「もどる」
注目され、目につくのは前者だけど、
発達において後者のもつ意味は、実はすんごく大きいのだと思う。

posted by housan |10:24 | 研究 | コメント(0) |

2006年09月07日

出会い

出張で広島へ来ている。
だいぶ追われる日々だったので、新幹線の席に腰を沈めるとなぜか少しほっとした。
京都―新大阪で深い睡眠をして回復する。


思わぬ方と飲む。保育園の園長。
名古屋出身のその方は、今日の昼間、なんとtomoの園の主任先生と会っていたとのこと。
世の中狭いのだ。
初対面にもかかわらずあれこれ話す。
日照訴訟の話が面白い。こんなヒトが味方にいたら、きっと裁判だって楽しい。笑

枠組みにおさまらない人材をどう見いだし育てるか、という話をした。
教育が「うまくいく」とは、言い換えれば先回りして理解できるようになる、ということだから、それが繰り返される中で、徐々に「予想外のことが起きる」余地は狭まってしまう。
障害児保育でもあるよね。先回りされすぎて、自分から動く機会がなくなってしまう、ということが。

何もしない自分を「自主性を尊重している」と正当化する教員は空しいけれど、
そのいっぽうで教えるとは、とにかく一生懸命働きかけることだ、というのも、同じようなものだろうなぁ。
考えた結果、放り出してぢりぢりしながら結果を待つことも、あるのだ。
どんなヒトに出会えるかは、現実的には、やっぱりかなり重要なのだろうな。
「教育のカリスマ」とは全く違った意味で。

というわけで蒸し暑い中、ビールの旨い広島の夜でした。

posted by housan |04:07 | 研究 | コメント(0) |

2006年09月02日

「集団」を語る

ヒロッコから突然のcall。大学行って話したかったが……残念。
というわけで午前中は苦しみつつ準備に没頭し、午後はあわてて保育園へ。

いつもの、になりつつある実践検討会。
行く前はどうなるかな、と思ったが、行ってみるととてもよい時間がもてた。
本を書きたくなるような保育実践に出会えるのは幸せである。
(オマエ他に原稿あるだろう!!というのは脇において。笑)

そして、大変なことはままあるだろうが、こういう集団で働ける保育者も、こんな人たちに子どもを支えてもらえる保護者も幸せだぁね!と心から思う。
子どもたちの話から始まって、「集団」ということばのイメージ、さらには自分たちがどんな職員集団をつくっていきたいか、って好きなように議論できる職場なんて、そうないのではないかなー、と。


思ったこと/触発されて気づいたことを覚え書き。
保育の議論には直接関係ないが……。

  • 「集団=全体主義」というイメージはある世代までの産物となりつつある。
  • 「科学的」という表現も同様。(>心理科学!?ん!?)
  • 「科学的」にいぢめられた世代がやったことは、やっぱり実践的と称して柔らかいコトバへの置き換えなのかな。やれやれ。
  • そして時が過ぎると、消えてはいないことも、消えたことにされつつある。

今の立ち位置から進みつつ、できることはまだあるのだ。


「飲み会」のみなさんと別れて、渋滞の中ウチへ。
カゾクがいてよかったなあ、と思った。

posted by housan |00:20 | 研究 | コメント(0) |

2006年08月28日

響き合い

ガクさんによれば、子どもの泣きを耳にして
いたたまれない気分になるのは、どちらかといえば父らしい。
やむを得ないとはいえ、今朝は若干しんどいはぢまりであった。
Kanakoせんせいにあづけられて、ほっとひといき。


いつもの名古屋港での、ぽっちり研究会の2日間が終了。
本の形が徐々に見えてきた。いやはやすごいことです。
3月出版は間違いない展開、というのがすばらしい。

自分の原稿のデキはともかく、みんなで書けることが嬉しい。
もう一歩、磨き上げてみよう!

#みなさん、おつかれさまでした。

posted by housan |01:55 | 研究 | コメント(2) |

2006年06月03日

サカチュウ

ピカチュウの間違いではなく、サカチュウ=坂元忠芳先生の話題である。
東京からの賓客=サカチュウ先生を迎え、ワロン「子どもにおける性格の起源」の第1回検討会が開催された。

なんかめいっぱいであまりアタマがまわっていなかったのだが、
今日の議論から考えた/理解したことを忘れないうちにキロク。

  • 個々の人間にオリジナルな意識:社会的関係を前提とした「そのヒトらしさ」=性格がいかに現れるかを、科学的・心理学的に説明しようとしたオハナシ。
  • 「性格」は普遍化/法則化して捉えられるものではない。でもそれを承知で普遍的に記述しようと試みたときに、今(当時)の学問の中でどのように記述することが可能か/どんな道具立てが必要となるのか、という問題提起。→linearな説明を避けつつ、かつ「説明する」とはどういうことか? "Romantic science"等のMagic termsを用いずに、あくまでScienceを保てばどのような説明が可能なのか?

こんなかんぢかな……。
というわけで次の発表を何となく引き受けてしまい、頑張らねばらならなくなってしまったのでした。
また、考えてみよう。

その後はサカチュウ先生とみんなで、ウドンやへ。
そして、センセイのお花もいつもどおりでございましたとさ。
おしまい。

#おつかれさまです>ダンヂリ氏


posted by housan |11:11 | 研究 | コメント(2) |

2006年05月22日

中断期間

午前中は学生とホイクエンに出張→大学経由で帰宅。
午後からようやく研究日らしく時間を使いはぢめる。
1ヶ月手をつけられなかった原稿をもう一度開くと、何を書くつもりだったのかを見事に忘れていた。他人の原稿のようだ……。あと少しなのになあ。苦笑
エイゴ頭に切り換えるのもしんどく、効率を考え、次へのあたりだけつけて整理し、週末に手をつけることにする。また明日からは別の日常が待っているしね。

週末といえば、ヒミツのホタルがそろそろ見頃だろうなあ、ということに気づく。
こちらは、忘れずにヨアソビいってみよう!

#夜は「精神と自然」を読む。急にまた読みたくなった。
 大きいシゴトするときは、まずは原点から、と言い訳して。

posted by housan |00:15 | 研究 | コメント(0) |