2006年01月28日
タイムマシン
今日は俺のただ一人の「先生」の最終講義。
というわけで入試も休みをいただき、一路東京へ。
開始までは30分ほど余裕があったので、
かつての最寄り駅から歩いて大学へ向かうことにした。
8年を過ごした4畳半のアパートは、
時代に取り残されたかようにそのままの形で残っていた。
最終講義。
直前まで、なぜかあまり行きたくなかったのだけれども、
いろいろな意味で行ってよかったな、と思う
懐かしく、不思議な時間。
タイプも、研究業績も全然違うはずなのだけど(笑)、
ああ、自分の仕事は、研究も教育も、笑ってしまうくらい
このヒトの型を知らす知らずに身につけてしまったのだな、
ということを再認識させられた。
親、とはそういうものかもしれない。
更によかったのは「ここは決定的に違うよな」と
薄々感じていた部分を再認識できた、ということ。
本人は「教育者としてはボクは問題があったかもしれない」と
おっしゃっていたが、越えるべき課題を考えさせてくれた、
という意味で、少なくとも俺にとってはよかったなあと思う。
ま、本人はそれを意識してないと思うけど。
そして先生は、意外に?気にしてくださっていると
いうことがわかった。感謝しなくてはね。
そう、いろいろなヒトに出会った。
このブログを読んでくれているはずの、
いつもの仲間に会って話せて嬉しかったり、
(本気で)もう2度と会わないだろうな、と
思っていたヒトに会って話せて嬉しかったり、
俺の在学中から時間が止まったようなヒトに出会ったり……
]なぜか、また来たい、とは全く思わなかった。
実際にそういうことは、少なくともしばらくないだろう、と思う。
アパートに足が向いたのは、もしかしてもう二度と来ることはないだろう、
と感じたからかもしれない。
最終の新幹線でナゴヤに降り立ったときに感じたのは、
ここに俺の家族がいて、俺がこれから生きていく場なのだなあ、
ということだった。
ふるさとがなくても、今の俺にはこの街がある、のだ。
posted by housan |01:09 | 研究 | コメント(0) |
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