2006年09月11日
……ということ
まとめて仕事ができる日だったのだが、疲れがたまっているのかはかどらない。 貴重な一日だったのだが……reviewのmailできなくてすまぬ>暖さん やれやれである。 ということで、夜になって別の仕事に手をつけた。 校正している中で気づいたのは「……ということ」という表現がおおいなあ、ということ(>これはわざと)。 特に苦しんで書いた部分がそうなっているような……。 出す前に気づけてよかったです。 我がことは、なかなか見えないもので。
posted by housan |00:18 | なんもなんも | コメント(2) |
2006年09月10日
8ヶ月
8ヶ月不安の峠はもう越えた。 モノのむこうにヒトが見えてくる一歩手前のようだ。 歯も生えてきた。 こちら側に、着実に、一歩一歩近づきつつある。
posted by housan |00:33 | family | コメント(0) |
2006年09月09日
そしてまた
保育士養成セミナーでの報告が終わった。 研究発表でも講演でもない、授業実践からの問題意識を短時間で報告することは、正直いってなかなか焦点のあてどころが難しかった。 汗かきながら発表をこなす。 その後討議しているなかで自分の考えを整理でき、伝えたいことも口にでき、次への課題も見つかり…と、終わってみればよかったかな。 やっぱり、問題意識があるならコトバにしておくのがだいぢなのだ。いろいろな意味で。 養成セミナーは、あんまり面白いと思うことがなかったけれど、今回はちょっとよかったな、と思う。 養成は、なんだかんだ言っても性に合うのだろう。 もすこしがんばるかな。 そして新幹線が大雨で遅れている。 この夏二度目のこのパターン。 帰り着けるだろうか…。
帰りました。結局45分遅れで到着。 終電2本前に間に合いました。あーよかった
posted by housan |21:50 | hoiku | コメント(0) |
2006年09月07日
出会い
出張で広島へ来ている。 だいぶ追われる日々だったので、新幹線の席に腰を沈めるとなぜか少しほっとした。 京都―新大阪で深い睡眠をして回復する。
思わぬ方と飲む。保育園の園長。 名古屋出身のその方は、今日の昼間、なんとtomoの園の主任先生と会っていたとのこと。 世の中狭いのだ。 初対面にもかかわらずあれこれ話す。 日照訴訟の話が面白い。こんなヒトが味方にいたら、きっと裁判だって楽しい。笑 枠組みにおさまらない人材をどう見いだし育てるか、という話をした。 教育が「うまくいく」とは、言い換えれば先回りして理解できるようになる、ということだから、それが繰り返される中で、徐々に「予想外のことが起きる」余地は狭まってしまう。 障害児保育でもあるよね。先回りされすぎて、自分から動く機会がなくなってしまう、ということが。 何もしない自分を「自主性を尊重している」と正当化する教員は空しいけれど、 そのいっぽうで教えるとは、とにかく一生懸命働きかけることだ、というのも、同じようなものだろうなぁ。 考えた結果、放り出してぢりぢりしながら結果を待つことも、あるのだ。 どんなヒトに出会えるかは、現実的には、やっぱりかなり重要なのだろうな。 「教育のカリスマ」とは全く違った意味で。 というわけで蒸し暑い中、ビールの旨い広島の夜でした。
posted by housan |04:07 | 研究 | コメント(0) |
2006年09月03日
同窓会
教員はみな出席ということで、不調を押して出かける。 街で偶然すれ違ったゆみつ平をちょっとからかいつつ……。笑 我がことを振り返ってみれば、同窓会、というものに行った記憶がない。 旅人生?でふるさとがない、ということもあるだろうけど、 そういう生き方なのだろうなあ、と思う。 そんなわけで、貴重な体験でした。
3日前から、アイツは「ばぶばぶ」「あうあう」と言うようになった。 アゴと音声が連動して、カイヂュウからベイビイになりつつあります。 新しい芽生えのなかで、ふと気づくと、 以前は必要だったものも、顧みられなくなっていくのだ。 発達してるとは、そのくりかえし。
posted by housan |00:56 | meitan | コメント(2) |
2006年09月02日
「集団」を語る
ヒロッコから突然のcall。大学行って話したかったが……残念。 というわけで午前中は苦しみつつ準備に没頭し、午後はあわてて保育園へ。 いつもの、になりつつある実践検討会。 行く前はどうなるかな、と思ったが、行ってみるととてもよい時間がもてた。 本を書きたくなるような保育実践に出会えるのは幸せである。 (オマエ他に原稿あるだろう!!というのは脇において。笑) そして、大変なことはままあるだろうが、こういう集団で働ける保育者も、こんな人たちに子どもを支えてもらえる保護者も幸せだぁね!と心から思う。 子どもたちの話から始まって、「集団」ということばのイメージ、さらには自分たちがどんな職員集団をつくっていきたいか、って好きなように議論できる職場なんて、そうないのではないかなー、と。
思ったこと/触発されて気づいたことを覚え書き。 保育の議論には直接関係ないが……。
- 「集団=全体主義」というイメージはある世代までの産物となりつつある。
- 「科学的」という表現も同様。(>心理科学!?ん!?)
- 「科学的」にいぢめられた世代がやったことは、やっぱり実践的と称して柔らかいコトバへの置き換えなのかな。やれやれ。
- そして時が過ぎると、消えてはいないことも、消えたことにされつつある。
今の立ち位置から進みつつ、できることはまだあるのだ。
「飲み会」のみなさんと別れて、渋滞の中ウチへ。 カゾクがいてよかったなあ、と思った。
posted by housan |00:20 | 研究 | コメント(0) |
2006年09月01日
ナミダに
ナミダを眼にいっぱいためたヒトを前にして、はて、何がいえるか、何ができるかを考える。 毎年のことであるが、毎年考えてしまう。 とりあえずいえることは…… まだ何も終わっていなければ、まだ何も始まっていない、ということだね。 見えないかもしれないが、拓くべき道は前にあるのだから。 ……とまあ、ヒトのことはよくわかるのだ。笑