2008年09月29日
ハタチの頃
ラヂヲを聴いていたところ、 ハタチの頃なんて、人生目をつぶって綱渡りしているようなものですけどね、 と、あるヒト(52歳)がさらっと話すのを耳にした。 むむー。なるほど。言われてみれば。 そんなハタチの頃も、そんなふうに振り返られる52歳も素敵だなあ。 ただいまこちらは、その折り返し地点に立っているのだ。
posted by housan |00:38 | なんもなんも | コメント(2) |
2008年09月13日
できる/できない
投稿しないうちにyohは3か月越え。 ブログはとことん性に合わないメディアなのだろう。笑
Tomoはパズルマニアである。 その昔研究で使っていた50ピースのジグソー:アンパンマンに 自ら手をつけ始めたのはたしか1歳11か月(←ちょっと変) 飽き足らなくなって50ピース弱のパズル(カーズ>アマネちゃんパパのパズル)と、 ビミョウなつくりの木のジグソー(セントレアフレンズ)を手に入れたのはこの夏。 カーズは4~5歳児程度?で、某保育園の5歳児クラスにあるのと同じものらしい。 最近も変わらず引っ張り出してはせっせと取り組んでいる。フシギ。 ここまではなんということはない話なのだが、 ふとしたきっかけで、園では最近ある保育者に、できないのに難しいパズルを出す子、とみられているようだと知って、なんかちょっと面白いと思い授業でしゃべってみた。 Tomoはパズルができるのか/できないのか? ヤツは、何をどこに置くか、という水準はほとんどわかってやがる。笑 この点だけからみれば、アンタほんとに2歳8か月?というかんぢ。 しかし、ヤツのパズルは多くの場合、一人では達成されない(→精神間機能?)。 ピースを探すことをすぐにあきらめちゃったり、既にできたパズルが汗で手にくっついてずれたとき 「ズレチャッタ!!」と素早く気持ちが乱れちゃうから。 オトナ(←俺)がそばにいて、さりげなく当該のピースを近づけたり、 「ずれても直せばいいだろ!!ぢんせい長いんだから」とか支えられて、はぢめて達成できるのだ。 こういう「くずれちゃってももう一度!」ってのは、やっぱり内言あってこそだよねぇ、 と最近しゃべってみた。ちなみに4歳児の講義。 パズルができる力とは、表面的には「絵を理解して、ピースとピースの関係を知る」ということなのだろうけど、実際にはそれに加えて「自分で根気よく探す」「ずれても直して回復させる」力が含まれる。 だから、あのパズルが4/5歳用と書かれているのには、 結果論としてはそれなりの妥当性があるのだよ~ということ。 で、結局ヤツはできるのか、できないのかについて。 家では「できる」/園では「できない」というのは、どちらも正しいだろう。 だって、2つの「できる」は違うものを指しているのだ。 オトナがそばで付き合ってパズルをする環境では、ヤツは「できる」のだし、 オトナの援助を内化させて、1人ですることが求められる環境では、今は「できない」のである。 どちらの「できる」も肝心。まぁそれだけの話。
乳児の有用性研究、というのは発達心理学の中でいまだに盛んで、 これまで1歳半の力といわれていたものが、実は13か月からできるのだ!/9,10か月といわれていたものは、6か月児にもできた!という種の研究成果が、国際的学会誌にわらわら掲載されている。 「成果」としてきわめてわかりやすいという事情があるんだろうけど。 そういう研究の多くって、率直にいって「面白くないな―」と思っていたんだけど、なんで面白くないのかなというのを、これまで自分としてはなんかうまく説明できなかったわけです。 なんだけど、今回のパズルのことがあって、ちょっとハッとしました。 そうか、表面上は同じ行動の「できる」を問題にしている研究でも 実は、まったく違うレヴェルの「できる」を扱っている可能性があるな、ということ。 ある行動の、より発達早期の達成を謳う研究の場合、 その現象を成り立たせるために、綿密に組み立てて実験するうちに、 子どもの達成にとって決定的なサポートを知らず知らずのうちに 与えている可能性ってあるんだろうな、と。 家庭での「できる」と、園での「できる」、検査場面での「できる」の違いも、 もしかして同じようなことから説明できるのかも。 たいした気づきではないが、ほっとくと100%忘れそうなのでメモしてみた。 9月は次から次へいろいろやってくるので 次から次へ忘れてしまうなあ。 写真はワル2名。いわゆるワル自慢(笑)