2006年12月23日
“育てる”とは
天皇杯:甲府戦をテレビで応援する。勝った! “札幌のイギータ(!?)”佐藤優也選手は、 本家イギータにはさすがに?及ばないものの、 今日もスペクタクルなプレーを連発してくれた。 このヒトは今日もなかなかやるのである。はらはらひやひや。笑 そう、佐藤優也選手には、素敵なお父さんがいるらしい。 育てるとは、心でぢりぢりしながらも、 見えないふりして、そっと見つめて待っていることかなあ、と思う。 なんだかいい父さんではないか!
posted by housan |00:24 | consa | コメント(0) |
2006年11月08日
勝利
コンサドーレのゲームが珍しく全国中継(VSジェフ)されていたので一生懸命(笑)見る。 危ないシーンは多々あり、12人目のDFゴール・ポスト選手の活躍もあったけれど、走りまくってなんと勝利! いいねえ~今年の北海道スポーツは。 ということで、夕方の会議の“言いたい放題タイム”につきあわされたストレスがすっきりしたのでした(^-^)
3項関係が達成されて以降、急速な変化を見せるともちゃん。 特にここ2週間の変化が大きい。 「はらぺこあおむし」を、よめよめとせがむようになった。 そして、土曜日のチーズとサラミの穴に指をつっこむのがおきまりである。笑 今日は、犬が出てくる本を見て“ワンワン”と吠えてました。 身近にモデルがいる環境の意味は大きいのだ。
posted by housan |10:38 | consa | コメント(0) |
2006年04月29日
10年前
「しまふく寮通信」にあったのは、「10年前、どんな時間を過ごしていましたか」のヒトコト 10年前は……。 23歳。大学4年。 進路。 今までやったことを無駄にしたくない、という単純な理由(だったと思う)から、 「勉強」を「研究」にしてみることを決意する。 幼稚園に行き始め、子ども結構楽しい、と思い始めた頃でもあった。 オリエンテーリング。 考えすぎて、思ったとおりに走れなかった3年目。 できる努力をしていなかった自分を振り返り、最後の一年、後悔のない準備をしようと思い立つ。 トレーニングの質を変えよう、と、しょっちゅう山に走りにいって、自分を追い込もうとしていたなあ。 今振り返ると、なぁんだ、というようなことだけれども(笑) そのときなりに、一つ決意をして、実行に移したことを想い出した 一つの転機となったのだと思う。 もちろん、そのころ、札幌や名古屋と縁ができるとは思ってもみなかった。
10年という時間。 それは、確実に何かを変えていくことができる時間。 さて、怒濤の4月も終わりです。
posted by housan |07:48 | consa | コメント(2) |
2006年02月17日
システムとヒト
一応?「コンサドーレブログ」にもかかわらず、サッカーに関することは最近ほとんど書いていないので、今日のさわりはそのことから。
サッカーに関する新聞やテレビの報道を見ると、必ず眼にすることに
システムについての話題や議論がある。
そう、3-5-2とか3-6-1とか4-4-2とかのアレね。
最近は日本代表のこととかあって、特に多いよね。
どのシステムが望ましいか、とかさ。
端的に言って、なんか貧しい議論だな、と思うんだよね。いつも。
それは、まずあるべき「型」が存在して、それにヒトを合わせているような印象があるから。
それは本来逆であって、それぞれのヒトのいいところを、
より活かすためにできたものがシステムなわけだよね。
もちろんそれは、相手によっても変わってくる。
そう考えると、システムというのは、その時々で変わってくるのは当然で、先に「型」ありきってどうよ、ってことになると思うのだけど。。。
システムが人を縛るサッカー(懐かしのトルシエ?)
役人の考えた制度が民を縛るクニ(逆だよなあ)
相手を考えず「あるべき型」から始まる指導法・教育論 et al.
親和性ある、よなあ……。
サッカーの報道見てると、報道の描き方に
日本人のメンタリティがよく表れている気がするのだ。
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ただ、「あるべき型」とは別の意味で、
ヒトは完全に自由意思により動いているか、というとそうではなくて
役割に制約されつつ動いていることもまた事実である。
このときに、自分の意思だけで動いていると勘違いすると、
それはそれで、重大なミスを犯すことにつながるかな、と思う。
役割に縛られつつ、役割に縛られない生き方を志向するのは
なかなかムズカシイし、正直実践していてわからなくなるときもある。
「こういう言い方は立場上すべきではないかな」と思ったり、
「いや、ここはストレートに思いを伝えた方がいいかな」と思ったり。
何のためにそれを伝えるか、によっても変わってくる。
相手に合わせて投げかけたつもりでも、そうならずに、
不適切だったり、いやな思いをさせたりすることもあるだろうな。
そのときは、ホント申し訳なく思うけど。。。
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リスクのない仕事も、人間関係もありえないから、
その現実を受け容れつつ、
同時に、自分から作り上げていけるヒトでありたいなあ、と思い
また今日も葛藤しながら実践するのです。
なんて、たいへんなシゴトを選んでしまったものだなぁ(苦笑)
(いや、俺のやりかたの問題かな。)
posted by housan |00:32 | consa | コメント(0) |
2005年11月26日
Saturday Night Fever
面会は20時までの筈なのに、なぜかいつもの音楽&アナウンスがかからないので、21時頃までいられた。病院も意外に人間味あるんだな(たまたま?)。
コンサも勝った。
Saturday Night Fever!?
おかげで昼間の泥のようなつかれが少しとれて、久々にゆっくり眠る。
posted by housan |00:28 | consa | コメント(0) |
2005年11月23日
甲府戦
勝ちたい同士がぶつかっても、勝つのは一つだけである。
そして勝つのが「頑張った方」とは限らない。
サッカーに限ったことでないね。
また、次へ向かって走ればよいのだ。
ヒトは死なない限りは、生き続けなければならないのだから。
posted by housan |00:07 | consa | コメント(0) |
2005年11月19日
今からが
再び勝負を賭けた京都戦も引き分け。残念だが仕方ない。
「頑張れば勝てる」ほど、ヒトの世界は単純ではないし、またそうならないところにヒトの美しさがある、かもね。>演歌の流行る理由か?
#でも教育系ののっかっているモデルって、突き詰めるとやっぱり「単純モデル」に近いような。。。
ただ、社長日記にもあるように、どんな結果であっても、次に向けてスタートすることはできるのだ。
試験の終わったウェイユからcallがある。
心なしかはずんだ声を聞くと、なんだかこちらも温かくなる。
今日は泣かなかった。
そう、形に残る結果がどうであれ、前を向いて一歩を刻むことはできるのだ。
コンサドーレも、みんなも、俺も、形に残るものだけではない一歩を重ねていきたいものだなー。
そんなことを考えさせられました。