コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2015年12月25日

コンサドーレ札幌 契約合意選手発表はいつ? 過去履歴あり

2006年末は、年明け1/4でした。
2008年末は、12/20と早かったものの少なくて、年明けに2回目がありました。
2014年末は、休業日より遅い12/30に発表。

昨年の流れを汲むと、12/29か30になりそうですね。


2015末:休業日12月26日(土) ⇒?/?契約合意選手発表

2014末:休業日12月27日(土) ⇒12/30契約合意選手発表
http://www.consadeconsa.com/2013/12/30/180520/
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2015017606/

2013末:休業日12月28日(土) ⇒12/30契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/12/015896.html

2012末:休業日12月29日(土) ⇒12/28契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2012/12/013723.html

2011末:休業日12月29日(木) ⇒12/28契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/12/011667.html

2010末:休業日12月30日(木) ⇒12/28契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2010/12/009829.html

2009末:休業日12月30日(火) ⇒12/29契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2009/12/009039.html

2008末:休業日12月30日(火) ⇒12/20契約合意選手発表なし
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2009/01/008474.html
※1/17にも追加発表。1回目は少なかったので
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2009/01/008474.html

2007末:休業日12月29日(土) ⇒12/25契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2007/12/007872.html

2006末:休業日12月29日(金) ⇒1/4契約合意選手発表
http://www.consadole-sapporo.jp/news/2007/01/007438.html
※年末まで天皇杯関連の更新があったので、それどころではなかった模様
※始業日:1月3日(水)

2005末:休業日、契約合意選手発表ともになし
※12月の更新内容がほとんどないので不明

2004末:休業日、契約合意選手発表ともになし
※更新頻度自体が今より少ない。


余談。
2009年末に発表された
2010コンサドーレ札幌 契約合意選手について(12/29現在)
を見ると、今でも札幌に残っている選手は、以下の5人でした。
MF砂川(2015引退)、MF上里、MF古田(2015移籍)、FW上原、FW内村
来季は3人のみ!

当時は今よりもユース卒選手が少なかったとはいえ、
5年後も残っている選手って、どのくらいいるんでしょうね。

posted by sca25 |02:35 | 札幌クラブ分析&選手分析 | コメント(0) |

2015年12月25日

しばらくブログ更新してないのにアクセスランキング上位に載るのはなぜか!?

12月15日号 週間アクセスランキング
集計期間 12月8日~12月14日 【 】内の数字が一週間のアクセス数です。
28コンサBizラボ 【1218】⇒更新なし★(最終更新(12/4)
週間アクセスランキングより

この週間アクセスランキング上位ブログの更新頻度と
1記事あたりの平均アクセス数を調べてみました。
1

自分は、1記事平均500~700くらいのアクセスです。
コンスタントに1000を超える方は、すごいなあ。


アクセス上位かどうかはともかくw、「コンサbizラボ」をしばらく放置してるのに
アクセス数が1000を超え、アクセスランキングに載っていました。

本音としては、最低でも週間4000は超えてほしいのですが、こんなものでしょう。

「更新してなくてもアクセスを増やす」というのは、当ブログの狙い通りであり、
毎日更新とか、ネタ切れとか、時事ネタを早くといった風潮に対して
真っ向から対抗する姿勢と成果を表しているものと思っております。

「サポーターが記事をアップし→アクセス(PVとUU)を増やす→広告価値を高める
 ⇒広告料収入の一部がクラブに還元される」
というコンサドーレ・オフィシャル・ブログのコンセプトに感銘を受けて始めた当ブログですが、
自分のブログを開設当時に感じた課題に対する対策を考慮した上で、記事を書くようにしています。
その課題とは・・・
「アクセスが少ない」→PVが増えない→広告価値減→クラブ収入が増えない
「いつも同じメンバーが閲覧してる」→UUが増えない→広告価値減→クラブ収入が増えない
※PV=Page View →Webページにアクセスされた回数。同じ人が2回見たらカウント2。
※UU=Unique User→Webページにアクセスした人の数。同じ人が2回見たらカウント1。

では、いつもと同じ人以外に読まれて、アクセス数を増やすにはどうすべきか?
最も効果があるのは、2つ。
1)Yahoo!トピックスの関連記事としてリンクが張られる。
2)SNSでリンクが拡散される。

1)は、3回載りました。(レコンビン、小野、Jsgoal)
年3回を目指していただけに、自分の力不足にガッカリ。

2)は、煽ったタイトルの時に、誰かが拡散したようです。
自分はSNSを使用しないので、いつどの記事が拡散してるか押さえていませんが。
直近では都倉邪魔ネタはコメントがたくさん。

でも、これらは基本的にタイムリーなネタで攻めたときしか効果は期待できません。
これを追求してると、○キサカ、○ットボールチャンネルあたりと対抗することになるので、得策ではありません。
1分1秒を争うほど張り付いて記事UPできませんし。

ならば、それとは真逆の発想で対応する必要があると考え、
「更新してなくてもアクセスを増やす」
という方針となりました。
ここで打ち出した方針が、「1度読んだらそれで終わりの記事」ではなく、
「毎年1度は多くの人の目に触れられる記事」でした。
サッカーのリーグ戦は毎年行われ、1年の中で決まった時期に決まった話題があります。
1月体制発表と移籍と新入団、2月キャンプ、3月開幕、4~6月試合
7月夏の移籍、8~10月試合、11月シーズンクライマックス、12月移籍、など。
これが毎年繰り広げられるわけですから、そこで毎年注目される記事をUPしておけば、
毎年一定のアクセスがあると考えたわけです。
あとは、それにたどり着くプロセスを研究するだけでした。

プロセスは「検索」に見出しました。
具体的には「サッカーの検索キーワード上位」で「検索結果のtop10に表示」されること。
たとえば「コンサドーレ 小野」みたいな感じです。
ただ、検索されやすいワードだと、○キサカなどのメディアが書いた記事に負けますから、
それらのメディアが報じない=ニッチなネタに着目したのです。

それが何なのかは、今は公表しませんが、サッカーやJリーグやコンサドーレにまつわる検索をすると、top10に当ブログの記事が表示され、そこでアクセスされることを目標としてきました。
なので「ある日だけ瞬間的に2000アクセス」のような記事ではなく、
「毎年決まった時期に1か月で2000アクセス」のような記事を書くようになりました。
その研究のため、コンサブログのトップページに来ることは滅多になく、
検索してコンサブロガーさんの記事がヒットすると、コメントを残すようになりました。

このようなアプローチで考えていると、
「コンサ好き以外の人がコンサドーレの話題に触れようとしても、なかなか思うように行き着かない」
というのが分かってきました。
もう少し厳密に言うと
「クラブやサポーターが伝えたいことと、そうでない人が知りたいことにギャップがある」
というものです。
ここを適切に埋めるため、「コンサドーレ札幌」をキーワードに検索する人は、
コンサドーレ札幌の何を検索したいのかを分析し、自分のブログ記事のタイトルに活かす事になります。
つまり、私が書きたいことと、コンサ好きじゃない人を結びつけるために、
検索でヒットしやすいブログタイトルをつけるようになったのでした。


posted by sca25 |02:23 | オフィシャルブログの存在意義と価値 | コメント(3) |

2015年12月25日

12月24日は北海道サッカーの歴史が変わった日。北海道のクラブが初の日本一に。

12月24日は北海道のサッカーの歴史が変わった日です。

北海道コンサドーレ札幌アドベントカレンダー2015に参加しています。

当初は「サポーターが負うべき毎年のノルマとは?」をテーマにしようと思いましたが、こんな話をしても盛り上がらないので、今年自分が注力した「北海道のサッカー史」について触れることにしました。

自分が調べていたのは、
「北海道サッカー界全カテゴリの過去の全国大会で、最も好成績だったのは、どの世代のどのチームだったのか」
というものです。

コンサドーレ札幌サポーターなら、
2012年のJユースカップでコンサドーレ札幌U-18が優勝し、
北海道の全カテゴリーにおいて初めて日本一になったことは記憶に新しいところです。

では、過去どこまで惜しいところまで行ったのか?
実はそれ以外にも優勝してるのでは?
それを確かめるために、4種(小学/ジュニア)、3種(中学/ジュニアユース)、2種(高校/ユース)、1種(社会人、大学)の全カテゴリのあらゆる全国大会の成績を調べるという膨大な作業になりました。
でもまあ、同じこと考えてる北海道民が1人くらいいるだろうと調べていたら、
JスポーツのJリーグ中継プロデューサーでおなじみ、土屋さんがすでに調べておられたので、そちらを中心に抜粋します。本文読まれたい方は↓からご覧ください。
http://www.jsports.co.jp/football/jleague/blog/log/staff-blog/post-18/


■小学生。
全日本少年サッカー大会の北海道勢最高成績は、
2000年の第24回大会で札幌FCが挙げた準優勝。
決勝で山田大記(磐田)を擁する浜松JFCに敗れ、あと一歩で頂点を逃す。


■中学生。
全国中学校サッカー大会の北海道勢最高成績は、
2013年 第44回大会で伊達市立伊達中学校が準優勝しています。
http://www.jfa.or.jp/match/matches/2013/0824chugaku_taiiku/
次に惜しかったのは、2002年の第33回大会で登別市立緑陽中学校が挙げた3位。
準決勝で桐蔭学園中に1-6で敗れて決勝進出ならず。
登別の緑陽中といえば現在コンサドーレ札幌に所属するCB櫛引一紀の出身中学ですね。

もう1つの中学年代日本一を決める
高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会の北海道勢最高成績は、
コンサドーレ札幌U-15が2002年、2003年、2008年と
3回の決勝進出でいずれも敗れた準優勝。
2002年は西大伍(鹿島)とハーフナー・マイク(甲府)を、
2009年は昨日の高円宮杯プレミアにも出場していた
堀米悠斗、中原彰吾、神田夢実、深井一希らを擁して、決勝にチャレンジしましたが、
3回とも1点差での惜敗。優勝には届いていません。


■高校生。
全国高校サッカー選手権大会の北海道勢最高成績は、
1978年の第57回大会で室蘭大谷が挙げた準優勝。
決勝で古河第一に敗れ、優勝はなりませんでした。
また全国高校総体、いわゆるインターハイでは
こちらも室蘭大谷が1981年と1985年に記録した準優勝が最高成績。
1985年と1986年の室蘭大谷は
2015年現在ロアッソ熊本U-18の監督を務める財前恵一と、
ヴィッセル神戸U-18の監督を務める野田知の2人を擁していましたが、
インターハイは前述の準優勝。
選手権も86年は国見に準決勝で敗れ、3位に終わっています。

また、高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の北海道勢最高成績は、
2005年にコンサドーレ札幌U-18が挙げた準優勝。
キャプテンの藤田征也(新潟)、西大伍(鹿島)の2人も
東京ヴェルディユースに抑え込まれ、4-1で完敗。

高円宮杯プレミアリーグ・イーストは、
コンサドーレ札幌U-18が制覇したのが、
2011年(奈良竜樹、荒野拓馬、小山内貴哉、榊翔太、前貴之がいた)の札幌U-18。
この年のプレミアリーグ・チャンピオンシップで敗れて惜しくも日本一にはなれず。
翌2012年はプレミア・イースト2位でした。

さらに、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会、通称"クラ選"は
2001年にコンサドーレ札幌U-18が挙げた準優勝が最高位。
Jリーグユース選手権大会、通称"Jユースカップ"は
2000年と2002年にコンサドーレ札幌U-18が挙げた
決勝トーナメント1回戦が最高位。

・・・の後、2012年のJユースカップでコンサドーレ札幌U-18がガンバ大阪ユースを
5-1で破って、初の日本一のタイトルを獲得しました。
この時の中心選手、堀米悠斗、中原彰吾、神田夢実、阿波加俊太、永坂勇人(決勝は出場停止(12/25訂正))はその後トップ昇格。
なおトップ昇格した内山裕貴(2年)は出場停止(12/25訂正)、深井一希はケガのため、決勝戦に出場していません。
この決勝戦が行われた日こそ、2012年12月24日だったのです。


■大学生
全日本大学サッカー選手権大会、通称"インカレ"は
1976年の第25回大会で札幌大学が3位に入ったのが最高位。
総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントは決勝進出がいまだにないことだけはわかっています。
ちなみに2015年の全日本大学サッカー選手権で準優勝した阪南大に現在2年生の松尾選手が札幌U-18出身の選手として初めて途中出場しました。
チームレベルでは厳しいかもしれませんが、選手個人レベルで優勝を経験するのも近いかも?


■社会人
日本のトップディビジョン、JSL1部とJ1でも北海道に本拠地を置くクラブが優勝した経験はありません。
天皇杯では2006年の第86回大会でコンサドーレ札幌がベスト4へ入ったのが最高位。
このとき私は、もう2度とこんなすごいことはないだろうと思い、エコパへ行ったものです。
天皇杯3位(準決勝敗退)は、ビッグな親会社がいない地方クラブとして天皇杯最高成績でしたが、2014年に山形が決勝進出し準優勝したため、塗り替えられてしまいました。
Jリーグ開幕以後、リーグ、リーグカップ、天皇杯のいずれかでビッグな親会社がいない地方クラブが「優勝」したのは、大分トリニータのみです。


・・・とまあ、北海道勢の準優勝とか準決勝敗退してる歴史がいろいろ出てくるわけです。
こう見ると、サッカー不毛の地というほど、まるで実績がないわけではなく、各世代とも惜しいところまでいってることが分かります。

改めて分かるのは、北海道サッカーが盛り上がった第一期が室蘭大谷の財前+野田時代が最も好成績だった頃。この頃の室蘭地区はカテゴリを問わず北海道サッカーの中心として長く君臨し、その頃を知る人材がコンサドーレ札幌のフロントにも多数いることからも影響が大きかったことがうかがえます。
続いて、コンサドーレ札幌が創設されて初昇格~2度目の昇格+札幌ドーム開業+W杯札幌開催あたりが第二期。
これら2つの間にはJリーグ開幕ブームで年4試合程度開催された時期もありましたが、北海道サッカーが盛り上がったというより、全国規模のブームに乗っかっただけというのが正しいかと。

その後、北海道全体がサッカーで沸くような時代が訪れるのでしょうか?
そのときの中心にいるのが、北海道のサッカークラブが初めて日本一になった2012年前後のコンサドーレ札幌U-18の選手たちとなるのでしょうか?そうであれば物語として出来すぎです。
Jユースカップで優勝直後、当時主将を務めていた堀米悠斗はこう言いました。
「札幌の良さというのは、ユースからの選手が多いところ。時間はかかると思いますけど、僕たちがしっかりとプロで通用できるレベルになれば、明るい未来は待っていると思います」
明るい未来にするためには、北海道サッカー協会が掲げる「日本代表とオリンピック代表を2015年までに輩出する!! 」という目標を来年のリオデジャネイロ五輪で実現することが絶対に必要です。
もしかしたら、来年が北海道サッカーにイノベーション(革新)が起きる、最後のチャンスかもしれません。

それを実現するために「クラブを大きくする」(野々村社長)ことが必要であり、
今いるサポーターたちの財布からさらに搾り取るのではなく、
サポーターが多くの人へ「パスを出す」(野々村社長)ことが求められる。
でも無理強いするのではなく、サポーターができうる範囲でできることをやる。

そこから生まれたのが、2つの目標でした。
1)1試合につき1人のライトユーザーをスタジアムへ連れていく(有料=無料招待しない)
2)1年につき1つのサポートシップパートナー、または松山光1口を斡旋する(1年につき1増)

これができれば、あなたは「パートナー」です。
これができなければ、サポーターとしてそれと同額の金額を何らかの形で自腹で払ってくださいw
来年、北海道サッカーに新たな歴史を作るのは、コンサドーレ札幌のパートナーの皆さんです!


おまけ。
「サッカー」ではなく「フットサル」ですが、北海道勢は過去3度も日本一になっています。
■FUTSAL地域チャンピオンズリーグ
2006年 D.C Asahikawa Futsal Club(北海道リーグ)
2008年 D.C Asahikawa Futsal Club(北海道リーグ)
2009年 エスポラーダ北海道(北海道リーグ)
from Wiki

フットサルの少年カテゴリでは4度も!
■全日本少年フットサル大会(バーモントカップ)
 2回(1993年) 室蘭大和サッカー少年団(北海道)
 6回(1997年) 札幌アグレ厚別・信濃FC(北海道)
 7回(1998年) 日新・本輪西ドリームクラブ(北海道)
11回(2002年) 北海道室蘭八丁平フットボールクラブ(北海道)
http://www.jfa.jp/match/vermontcup2015_jan/history.html

posted by sca25 |01:57 | 札幌クラブ分析&選手分析 | コメント(7) |