コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年06月20日

6/20 ワールドカップ日記

 遅くなりましたが、日本×オランダの総評。

 悔しい。しかし、負けは負けなのだ。だから余計に悔しいのだ。監督、選手もきっと同じ気持ちだろう。

 オランダは不調だったというメディアもあった。だから善戦したんだろうと言いたいのだろうが、これは違うと思う。

 オランダは本来の出来ではなかった。それは本当かもしれないが、ワールドカップで言い訳など通用しない。どんな調子だろうがワールドカップという場で、オランダに対して日本が善戦をしていたことも事実なのだ。

 ただ、オランダと日本で一つだけ違うことがある。どんなに出来が悪かろうがオランダは「決め手」を持っていた。スナイデルのシュートに関してはGKの川島を責めることはできない。それだけ見事なシュートだった。つまり、オランダはそういう「決め手」を持っていた。そして、どんな悪い内容でも勝ち点3を奪った。

 日本も、そしてオランダにも「あそこを決めていれば・・・」という場面は何度かあった。しかし、チャンスを確実にモノにするという点でオランダに分があった。

 この差はこれから経験が確実に埋めていくと思うし、次のデンマーク戦ではこの試合の悔しさをバネに活かしてくれると信じている。頑張れ、ニッポン!!

posted by あっぺとっぺ@管理者 |23:17 | フットボール | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月19日

プレイバック コンサドーレ その1

 中断期間ということでワールドカップの話題が続き、コンサの話題が全然出てこないのもアレなので、「プレイバック コンサドーレ」ということで過去に観戦した試合をピックアップして、中断期間中の不定期ではありますが当時の状況等を語っていきます。 

 まずは、98年Jリーグの対浦和レッズ戦。コンサが初めてJリーグへ昇格した年です。コンサのホーム扱いでしたが会場は私の地元、仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)での試合でした。コンサのホームゲームとしてはこの年、この浦和戦と鹿島戦で仙台スタジアムが使用されました(鹿島戦も観戦しましたが、この試合のことは後日)。

 なぜ、仙台スタジアムがホーム会場として使われたか。ご存知の通り、当時、札幌ドームは無く、春先のゲームは雪で道内の会場が使用できないという、このチームならではの問題があったためです。そのため、短期間仙台でキャンプも張っていました。見学した仙台キャンプでの練習試合の際、当時ブランメルの越後とコンサの後藤義一がジェフ時代のチームメイトということもあり、仲良く話していたことを覚えています。

 ただ、当時高校生だった私は浦和レッズの当時の「28番」の選手を見たさに仙台スタジアムへ行った記憶があります。そう、この「28番」こそ、この年ルーキーとしてものすごい注目を集めていた現清水エスパルスの小野伸二でした。彼のダイレクトプレーに一喜一憂しながら見ていたことを覚えています。とはいえ、この試合は確か2-0でコンサが勝ちました。当時はバルデス、マラドーナ、吉原といった各ラインに「計算できる選手」が揃っていたので、Jリーグでもある程度通用していました。

 この年はワールドカップイヤーでしたし、いくら活躍をしていたとはいえ、まさか小野がこのまま98年のメンバーに選ばれるなんて思ってもいなかったし、あのカズ落選の「二ヨンの悲劇」も衝撃的な出来事ととして今でも強く記憶に残っています。

 コンサに関しては言えば、この仙台開催の開幕直後あたりはそこそこ頑張っていたのですが、最終的には降格という結果になってしまいます。というより、未だ私はおかしいと思っているのですが、当時翌年のJ1・J2制度開始にあたり、下位のチームはJ1参入決定戦に回るというものでした。ただ、この順位の付け方が前年と勝敗ポイントを合算して計算するというもので、昇格組のコンサは前年のポイントが無く、この年の勝敗だけなら残留できたはずなのにこの昇格チームに不利で不可解なシステムにより降格という憂き目を見てしまうのでした。

 そして翌年、コンサは前日本代表監督の岡田武史氏を招聘することになります。 

posted by あっぺとっぺ@管理者 |00:39 | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月18日

6/18 ワールドカップ日記 ドイツ×セルビア

 今日、3回目の更新。「またかよ」って思わずお付き合い下さい。

 ドイツ×セルビア戦の総評。

 クローゼの退場は痛かった。02年大会でブレイクした彼に今回も期待していたが・・・

 セルビアは1人有利な状況でも無理をしないで、隙あらばカウンターを狙っていたことが功を奏した。実際にカウンターで決定機を何度か生み出していた。むしろ、前がかりになっていたのはドイツの方だ。いや、正確に言えば1人退場して1点先制されて何が何でも点を取りに行かなくなくてはならなくなったからだ。

 ドイツが得た最大のチャンス、PKはGKのストイコビッチがビックセーブ!! 逆にポドルスキは完全にこの試合ではブレーキがかかっていた。

 試合はこのまま1-0でセルビアが勝利。かつて「東欧のブラジル」と呼ばれた旧ユーゴスラビアの系統を受け継ぐこの国がこのグループを面白い展開へと持ってきた。
 

posted by あっぺとっぺ@管理者 |22:59 | フットボール | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月18日

6/18 ワールドカップ日記 ~こぼれ話~

 話題としては気の毒な話だが、元アルゼンチン代表のバティストーゥタ氏が南アフリカの宿泊するホテルで盗難に遭ったそうだ。何でも現金とクレジットカードで盗まれたそうで、意外!?にも本人はひょうひょうとしている様だ。ちなみに南アフリカへはワールドカップのTV解説者として訪れていたらしい。

 が、この話題で私が注目した点は何を隠そう「バティストゥータ」という名前だ。私の世代なら知らない者などいないだろう。長くアルゼンチン代表のエースストライカーとして活躍し、92年のキリンカップ、95年のインターコンチネンタルカップ(現在のコンフェデレーションズカップ)、そして98年のワールドカップのいずれも日本戦で得点を挙げているため、日本にとっては非常に嫌な相手だった。

 正に彼は「ストライカー」という名がふさわしい選手だった。そして、彼が決めたゴールは「バティゴール」とも言われたほど。イタリア・セリエAで得点王にもなったことがあり、在籍したフィオレンティーナでは今でも英雄である。ローマではスクデットも獲得し、晩年はカタールリーグで過ごした(ここでも得点王獲得)。晩年にJリーグに来てくれないかぁ、と願っていた一人だ。

 そして、このバティストゥータが現役代表の頃の02年に彼、というかアルゼンチン代表にとって「屈辱的」な事件が起こる。アルゼンチン代表は02年ワールドカップは福島のJヴィレッジでキャンプを張っていた。ここで練習試合の相手になったのがベガルタなのだ。ここで結果2試合やるのだが、2試合ともベガルタが1-0で勝ってしまったのだ。しかも、本当は1試合だけの予定だったのに、アルゼンチンがベガルタに頭を下げて再戦したが、またもベガルタが勝ってしまった。特に2試合目は本気だったらしい。

 そう考えると、当時のベガルタって世界レベル!? そんな訳はない。あれは事件か事故レベルの話だと思うが、かかわっているチームがチームなだけに面白い。

posted by あっぺとっぺ@管理者 |15:39 | フットボール | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月18日

6/18  ワールドカップ日記

 昨日のアルゼンチン×韓国の総評。
 
 やはり、アルゼンチンは強かった。メッシだけではない。イグアイン、テベスを含めた攻撃陣の強襲はあまりの迫力に観てる方にも恐さを感じさせた。

 何よりもすごかったのは攻守の切り替えの早さ。ボールを奪ったら素早いパスで繋ぎ、メッシやテベスが突進する。フィジカルも強いし、技術もあるから韓国も簡単にはボールを奪えない。そしてメッシがボールを持てば、そこに2~3人でないと韓国ディフェンス陣も止められないし、そのメッシによってスペースを生み出し、そこをイグアインやテベスが使う。

 また、守備意識もアルゼンチンは高かったと思う。1失点は別として、前線からのフォアチェックは韓国を苦しめていた。韓国がボールを保持しても、素早いチェックにもたつき、結果奪われてしまう。韓国としてはアルゼンチンが前ががりになったところの裏のスペースを狙いたかったが、うまく狙っても個人能力に勝るアルゼンチンにボールを奪われることが多かった。

 やはり、あれだけポゼッションされてしまうと苦しい。日本に置き換えれば、オランダ戦をどうしても見据えて比較してしまう。オランダもほとんどポゼッションを握るだろう。日本は少ないチャンスを確実にモノにする、奪ったボールは絶対疎かにしないことが勝利への鍵と考えている。

posted by あっぺとっぺ@管理者 |13:49 | フットボール | コメント(0) | トラックバック(0)

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