コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年06月19日

プレイバック コンサドーレ その1

 中断期間ということでワールドカップの話題が続き、コンサの話題が全然出てこないのもアレなので、「プレイバック コンサドーレ」ということで過去に観戦した試合をピックアップして、中断期間中の不定期ではありますが当時の状況等を語っていきます。 

 まずは、98年Jリーグの対浦和レッズ戦。コンサが初めてJリーグへ昇格した年です。コンサのホーム扱いでしたが会場は私の地元、仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)での試合でした。コンサのホームゲームとしてはこの年、この浦和戦と鹿島戦で仙台スタジアムが使用されました(鹿島戦も観戦しましたが、この試合のことは後日)。

 なぜ、仙台スタジアムがホーム会場として使われたか。ご存知の通り、当時、札幌ドームは無く、春先のゲームは雪で道内の会場が使用できないという、このチームならではの問題があったためです。そのため、短期間仙台でキャンプも張っていました。見学した仙台キャンプでの練習試合の際、当時ブランメルの越後とコンサの後藤義一がジェフ時代のチームメイトということもあり、仲良く話していたことを覚えています。

 ただ、当時高校生だった私は浦和レッズの当時の「28番」の選手を見たさに仙台スタジアムへ行った記憶があります。そう、この「28番」こそ、この年ルーキーとしてものすごい注目を集めていた現清水エスパルスの小野伸二でした。彼のダイレクトプレーに一喜一憂しながら見ていたことを覚えています。とはいえ、この試合は確か2-0でコンサが勝ちました。当時はバルデス、マラドーナ、吉原といった各ラインに「計算できる選手」が揃っていたので、Jリーグでもある程度通用していました。

 この年はワールドカップイヤーでしたし、いくら活躍をしていたとはいえ、まさか小野がこのまま98年のメンバーに選ばれるなんて思ってもいなかったし、あのカズ落選の「二ヨンの悲劇」も衝撃的な出来事ととして今でも強く記憶に残っています。

 コンサに関しては言えば、この仙台開催の開幕直後あたりはそこそこ頑張っていたのですが、最終的には降格という結果になってしまいます。というより、未だ私はおかしいと思っているのですが、当時翌年のJ1・J2制度開始にあたり、下位のチームはJ1参入決定戦に回るというものでした。ただ、この順位の付け方が前年と勝敗ポイントを合算して計算するというもので、昇格組のコンサは前年のポイントが無く、この年の勝敗だけなら残留できたはずなのにこの昇格チームに不利で不可解なシステムにより降格という憂き目を見てしまうのでした。

 そして翌年、コンサは前日本代表監督の岡田武史氏を招聘することになります。 

posted by あっぺとっぺ@管理者 |00:39 | コメント(0) | トラックバック(0)