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北海道から出発してどんどん西へ向かい 2018年はついに国外へ出てしまったが また西の端へ戻ってきた。 9歳、11歳、14歳、そしてhousanと いっしょに暮らしています。 このブログでは日々のつぶやきを 公開中。

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シゴト

2007年07月05日

木曜日。週末まであとひといきだ。
しかし実は明日が一番ヘビーなスケジュールだったりする。

うちのマンションの隣にある喫茶店にhousanと二人でよく行く。
お店の人もわたしたちが隣のマンションの住人だということに気づいているらしい。
昼間から夫婦で喫茶店にきているなんて、いったいどんな仕事をしている人間だと思われているのだろうか。
フリーライターとか?
パソコンや原稿を持って行ったりしているし、ね。
出勤の時間に融通がきいて仕事の場所を選ばないという点で今の仕事は気に入っている。
そのかわり、いつでも、どこででも、仕事をしないといけないのだけれど。

その喫茶店は、ランチの時間帯だと近くの不動産会社の社員がきているが、それ以外は老人ばかりである。


post by mou3

16:37

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気分

2007年07月03日

テンプレートを変えてみた。
飽きたらまた元のに戻そう。

今週は忙しい。
でも今週が終われば一段落するだろう。
何もかも…?


post by mou3

12:48

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おもしろさ

2007年06月30日

本のプロットを二つ書き上げる。
昨日の夜はtomoが珍しくよく寝ていてくれたので(夜中に起きなかったのは初めてかも知れない)おかげで締め切りに間に合った。


今日のtomoはよく歩いていた。
歩くことに自信がついてきて、歩くのが楽しくなってきたようだ。
そしてちょっと歩くたびに「みてみてー!あるけるよー!」とアピールの視線。しりもちをつくと「あー」とがっかりした顔。
最近明らかに、相手を意識して、表情をつくったりポーズをとったりする。

語彙爆発の時期に入ったらしく一日に何個という勢いで語彙が増えている。
ときには二語文どころか複文も言ったりする。
絵本を見て単語の復習したり、わからなくなったら大人に聞いて確認することもある。
おもしろい。いろいろなことをすごく意識的にやっているみたいなのだ。

このあたりは父親に似たのか、と思う。
あれほど頭の形が似ているのだから行動傾向が似ても当たり前だ。
所詮人間は細胞からできているのだから。


何をおもしろいと感じるかはひとそれぞれだ。
子育てでも、研究でも。



実験も終盤を迎えた。
来週は忙しくなりそうだ。


post by mou3

22:20

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クララはなぜ歩けないか

2007年06月29日

tomoが1歳5ヶ月にしてようやく歩き始めた。
発達的には通常範囲内だと思うが、最近の子どもは立つのも歩くのも早くて1歳前に走っている子もざらだから、他の子どもと比べるととても遅く感じられる。

なぜ歩くのが遅れたのか。
おそらく表象の発生と関係がある。
tomoの場合は運動発達に比べて認識の発達の方が早かった。
ふつう歩き始めの子どもは「行き先は足に聞いてくれ」といった感じで、とにかく考えるよりも先に体が動いて、転んだりぶつかったりを繰り返して歩き方を覚えていく。
tomoは、そんなふうに「考えずに動いて覚える」前に表象が発生してしまったから、歩いてもうまく移動できない、とか、立ったらコケるとか、体を動かすより前に考えてしまうのだ。

だからあのハイジに出てくるクララは歩けないのだ。
どうせわたしは歩けない、って歩く前に考えてしまうから。

始歩が1歳半より前にくることには実は理由があるのではないか。
確かめることはできないけれど。


post by mou3

12:25

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決意と宣言

2007年06月28日

甘いものを断つことにした。
お客さんがきてみんなで一緒に食べるケーキ以外は甘いものを食べません。

昨日体重を量ってみたら微妙に増加傾向であった。
せっかくやせたのだからこれをキープしなければ。


post by mou3

16:52

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ふるまい

2007年06月18日

実験初日。

実験を組むのは実に修論以来だ。
実際にやってみると、ああそう、こんなんだった、と思い出してくる。

今回はnacchanが助手として活躍してくれたのでいろいろなことがスムースに進んだ。
nacchanありがとう。
前はほとんどひとりでやっていたから。孤独だったな。


そしてこれまでの実験と決定的に違ったのはお母さんと話をするのが本当に楽になったということ。乳児が対象の実験にはお母さんの協力が欠かせないのだが、どのくらい協力してもらえるかは実験者の対応にかかっている。今回は被験者募集も電話での日程決めも当日の進行も驚くほど楽にできた。
それは自分が母親になったから、母親的ふるまいが可能になったからだ。

学生のときは、母親であるという条件だけでつくられる集団に違和感を感じていたのだけれど自分もいつの間にかその中に入ってしまっていた。でもそのおかげで実験が楽にできるのだからこれに越したことはない。



最近「母」というのは恐ろしい存在だな、と思う。
全てを飲み込んでしまう底なしの沼。だれも母親という存在から逃れることはできない。身体的にも精神的にも。


post by mou3

16:54

研究 コメント(2)

雨、ふたたび

2007年06月14日

朝から雨。今日から東海地方も梅雨入りらしい。

夜泣きは相変わらず続いている。
ここ何日かは「宝箱」効果で比較的早く泣きやむようになった。宝箱というのはこまごましたおもちゃを入れてある缶の箱なのだが、これを開けて見せてどれで遊ぼうか、と誘うと泣きやむ。そうして少しおもちゃで遊んで落ち着いてから、抱っこして外に出てユラユラゆすってやるとまた寝る。


昨日はわたしが家電に出ている間にtomoがわたしの携帯から勝手に電話をかけていた。相手がIくんだったからまだよかった。Iくん、変な電話をかけてごめんなさい。

今朝、携帯をよく見たら色鉛筆で色が塗ってあった。
最近は勝手にいろいろやっているのでおもしろい。


post by mou3

15:19

子ども コメント(2)

長い一日

2007年06月12日

とにかく最悪の一日だった。

午前中の仕事はまずまず。
お昼にスタバでココナッツなんとかフラペチーノとやらを頼んだら甘すぎた。おなかが気持ち悪いなぁと思いながらデパートで化粧品を購入。疲れた足取りで帰路につく。
そして地下鉄乗り換えの時。ベンチに座って、買ったばかりの化粧品が入った紙袋をなんとなく忘れそうだなぁ…と思っていたら本当に忘れてしまった!
気がづいたのは終点で地下鉄を降りた瞬間。ない。座席を見ても、ない。
血の気が失せた。
とりあえずまた地下鉄に乗ってさっきのベンチまで戻ってみることにした。その間5分。こんなに心臓がどきどきしたのは久しぶりだ。こんなことでどきどきなんてしたくない。
紙袋はベンチの上にポツンとあった。

バスに乗って帰宅。
今度は鍵がない。持って出かけるのを忘れたのだ。
ああ朝食を食べた後の片づけも夕飯の支度もできない…と思ってもどうしようもないので近所のコメダへ。
コメダは店内改装のため臨時休業だった。
今日はもう、こういう日なのだ。暑い日差しの中、重いカバンをぶら下げて別の喫茶店へ行く。

10年ぶりにananを熟読した。こういう啓蒙型の雑誌って今どきどうなんだろうと思っていたら1970年創刊だった。これも全共闘の遺物なのか。遺物だけれどちゃんと今も生きている。そのことも考えておくべきだろう、と思う。

さすがに1時間もしたら読み終わってしまったのでスーパーへ移動。仕事帰りのhousanに車で迎えてきてもらい、1週間分の食料を買ってようやく帰宅。休む間もなく夕飯を準備しtomoに食事をさせ、お風呂に入れて寝かせる。洗濯物を干し食器を片づけ自分がお風呂に入っていたらtomoが泣き出したので途中で出る。


このところ毎晩夜泣きの度にtomoを抱っこしてマンションの廊下に出る。
23時をまわると車通りも少なくなってくる。さくら不動産の明かりが消えた。今頃帰る人もいるのだ。長い一日が終わった。


post by mou3

10:09

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勇気

2007年06月10日

若い友人の壮行会。
彼女は今月、青年海外協力隊員としてアフリカに旅立つ。

現地へ行くまでの準備や研修の様子を聞き、若い情熱をなつかしく感じた。
その瑞々しい感性を応援したいと思う。


post by mou3

22:56

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カクメイ家とオタク

2007年06月07日

被験者集めは思いの外順調にいった。
あとはもうひたすら実験をこなしていくだけだ。
実験って始めちゃうと楽しいのだけど、それまでが面倒だなぁ。



立花隆「中革vs革マル」講談社文庫、読了。
正確に言えば途中で読むのをやめたので読了ではない。
上巻の終わりくらいからだんだん飽きてきて下巻はあとがきだけ読んで終わりにした。

思ったのは、こういう形の運動は現代日本ではもう起こり得ないのだろうなぁ、ということ。この本を読むまで全共闘というのは大衆運動だと思っていたのだが、実際のところそれは大衆ではなく知識人による運動だった。なぜならこの時代は「文字」が情報の媒体として圧倒的な力をもっていたからだ。文字を読めない人(文盲という意味ではなく)は現代においてもそれなりにいるはずだが、情報の方が大衆化したから、文字=情報=思想=知識人が大衆を啓蒙するという図式はもはや成立し得ない。

全共闘は知識人の「『高尚な』部活動」だった、というのがわたしの感想だ。
「部活」というのは、そこに属する者だけに内輪的楽しみを与える。「中革vs革マル」は隠語や省略語の嵐だった。この本が書かれたのは全共闘が終焉しつつあった75年だから、その当時読めばこれらの隠語も省略語も「リアル」に感じられたのかも知れないが、現在のわたしにはそこからなんらかのニュアンスを読み取るのは難しい。
当時の一般大衆もそんな感じで全共闘を眺めていたのではないか。内側にいる者にとっては真剣な思想闘争も、外側から見ればオタクの戯言にすぎない。革命家ってオタクに似ているのだ。

今は、スガ秀実「革命的な、あまりに革命的な:「1968年の革命」史論」を読んでいる。これは部活の内側にいた人が書いたもの。もちろんカクメイ用語満載である。


post by mou3

13:00

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