2007年05月28日
メタ読み
東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生:動物化するポストモダン2」講談社現代新書 1883 読了。 「オタク」がどのような志向(嗜好)性をもつ人々なのかはいまいちよくわからないし、この本で紹介されている小説もゲームもひとつも知らなかったが、そのことは措いておいても、現代(日本)社会の潮流を考える上でのヒントが得られる。 私たちの世代(30代前半より下の世代)は、目の前に提示されたモノをそのままの意味で受け取ることはしないし、できない。 必ずメタ読みしてしまうのだ。 「徹底的に原因を究明してほしいですね」ということばにも、それはその通りなのだけど…とそこに言外の意味を読み取ってしまう。ベタな言説にうさんくささを感じてしまう。 そうして「真意」を探るためにメタ読みのメタ読みのメタ読み…と無限後退することに疲れ果て、それでもなお相手と何かを共有したいと願うとき、人々は身体性に回帰してしまう。「泣ける」「笑える」というレベルでしか私たちはもはや共通理解を得ることはできないのだ。 このような説明は決して新しいものではないが、このポストモダン的傾向を現代の「物語」消費の現状において見出した点が興味深かった。 複数のありえる可能性の中でその一つを選択するということは、残りの可能性を見捨てることである。このように考えることができるのは、主体が現実をメタの視点から眺めているからだ。 「選択することの痛みを引き受けよ」「選択を拒否し永遠の幻想を生きることの肯定」「選択による痛みを受け入れつつ瞬間瞬間の生に永遠の幻想を見出す」などが現代の「物語」の主題になっているという。 このような精神構造を直接、現実の社会現象(ニートとか)に結びつけるのはあまりに短絡的だと思うけれど。 しかし現代を自覚的に生きるのは苦しいなぁ。
posted by mou3 |12:37 | 雑感 | コメント(2) |
2007年05月26日
なまえ
タイトルとは関係ないが、昨日tomoが初めてひとりで立った。 つかまりだちではなく座っている状態から自分で立ち上がったのだ。 そして2秒くらい立っていた。 両親の方が興奮した。
今日は保育園の父ちゃん会がある。 園内の修繕活動をしたあと居酒屋に飲みに行くらしい。 父ちゃん会には強烈なキャラクターの父ちゃんがひとりいる。 福祉関係の仕事をしているそうで保育にも熱心で父母会でもたくさん発言する。 それはいいのだが、その発言がびみょーに80年代的なのだ。 園内の修繕活動協力者募集のタイトルは「父ちゃんのちょっといいとこ見せてみたい」だった。 その父ちゃん、うちでは密かに「死語.com」と呼ばれている。 あだ名と言えばもうひとり。 わたしが今ある意味最も注目する人物。 それはNHKの夜9時のニュースキャスター(男の方)だ。 名前は知らない。 なぜ注目しているのかというと、とにかく発言が陳腐だから。 得意技は、誰がどう見ても悪いと思うような事件に対するコメント「なぜこういうことが起こったのか徹底的に原因を究明してほしいですね。」だ。 こんなことそこらのおばちゃんにだって言えるよ。 キャスターとして金もらって言う発言じゃあないだろう。 しかも自分は正しい・自分は頭いいと思っているのがみえみえなところが嫌悪感を増幅させる。 彼のことをうちでは「THE凡庸」と呼んでいる。
posted by mou3 |12:43 | 雑感 | コメント(0) |
2007年05月25日
雨
今日は雨。 授業日ではないが研究室に来る。 仕事を円滑に進めるうえで優秀な事務員がいることは極めて重要だと思う。 その人が親切だとなおよい。 最近tomoは1歳半の壁を越えたようだ。 それはいろいろなところから感じられる。
- スプーンの使い方が上手になった。すくうという目的達成のために向きや力加減を工夫するようになった。
- 障害物を回り込んでモノを取りに行くようになった。
- おもちゃや友だちを支えにして気持ちを切り替えられるようになった。朝、あまり好きではない先生が受け入れのときにもお気に入りのおもちゃがあれば保育室に入っていける。
子どもの発達の力にただただ感心してしまう。 もっと系統だった記録をつけられるとよいのだが…。 週末友だちが遊びに来る。tomoと同い年の子どもを連れて。 今からとても楽しみだ。
posted by mou3 |09:49 | 雑感 | コメント(0) |
2007年05月21日
ポストモダンな食
スローライフ、スローフードが趣味になるようなご時世なので、ただ生きているだけでは自分が食べているものがいったい何でできているのかすらわからないようになってしまった。 子育てにおいて一番大事なのは実は食事だ、と思っている。 何を、どんなふうに、いつ食べるのか。 これをきちんとしておけば他のことは後から自然についてくる。 自分で食材を選び、自分で料理して食べ、自分の身体を維持できる人間になってほしい。 そういう人間はいろいろなことに自覚的であると思う。 だから食卓に並んだものがどのような過程をたどってここまできたのかを幼いうちからできるだけ知らせたい。 決まった時間にバランスの良い食事を楽しい雰囲気で食べさせたい。 ある意味、高度な思考能力をもった自覚的な人間は動物的につくられるのだ。 それにしても東浩紀は太ってしまったねぇ‥‥。
posted by mou3 |10:16 | 子ども | コメント(0) |
2007年05月20日
世代から考える
東浩紀・北田暁大「東京から考える:格差・郊外・ナショナリズム」NHK Books 1074 読了。 同世代の人間が書いたものはいろいろな意味でおもしろい。 何歳のときにどんな出来事に出会うか、ということが人格形成における大きなファクターであることを改めて感じる。 我が家では世代間の違いについて話題になることが度々ある。世代で切るのはおもしろいしわかりやすいのだけれど、それは現象の説明にはなっていないのだよなぁと自省していた。しかし本書に『日本では社会的対立の軸は「世代」くらいしか機能していない』とあり、世代論についてもう少し肯定的に捉えてもいいのかもしれないと思った。 それにしても前の投稿から1カ月も開いてしまった。 楽しみにしていた連休も今となってははるか昔の出来事だ。 この1カ月ブログを書く余裕もなかったはずなのだが、研究がいっこうに進んでいないのはどういうことか。やれやれ。