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北海道から出発してどんどん西へ向かい 2018年はついに国外へ出てしまったが また西の端へ戻ってきた。 9歳、11歳、14歳、そしてhousanと いっしょに暮らしています。 このブログでは日々のつぶやきを 公開中。
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2008年02月06日
今、清家竜介「フランクフルト学派の批判理論」(仲正昌樹ほか著『現代思想入門:グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』PHP)を読んでいる。そこでは、ハーバーマスが、フランクフルト学派第一世代が乗り越えられなかった「主観・客観図式」をいかに乗り越えようとしたかについて説明されている。ここでいう「主観・客観図式」とは、巨大な自己反省する主観、つまり理性が客観である自然を表象し、それに働きかけることで目的合理的に利用していくという理論モデルのことである。 理性がいかに自然(身体)を統制していくか。 実はこれは2歳児の発達課題なのではないかと思う。 乳児は身体的情動や欲望をことばという理性によってコントロールすることで幼児になってゆく。 今朝のtomo。 母が先に起きていなくなった布団の中で夢うつつに母を捜して動いているうちに頭をベッドの柵にぶつけてしまった。ぶつけて頭が痛かったのと母が自分をおいて行ってしまったことに対して泣いて激しく訴えた。「ママがいなくなったからわたしが頭をぶつけて痛かったんだ」と。 そんなこと言われてもこちらとしては、早起きでもして準備をしなければ朝ご飯も食べられないし保育園にも行けないし、困るのはあなただよ、と言いたいのだけれど、それはさておき。 ここ何日かは、激しい怒りにとらわれるともう自分でも何を言っているのかわからなくなり相手のことばも耳に入らない状態になってしまっていたtomoだったが、今朝は母が「わかったよ。ママがいなかったから頭ごんごんしていやだったんだね」と言うとスッと気持ちがおさまったようだ。そしてそこから自分で泣くのをやめていくことができた。情動をことばで表象することで方向転換させたのだ。 これは理性が身体を統制する、その未発達な形態なのではないか、と、ふと思った。 おそらく気質的に「あきらめること」が苦手な上に、発達上の課題も重なり、その上さらにじんたろう(仮名)が出現したという、彼女にとって今はとても苦しい時期なのだ。そんなわけで今、母を独占したい気持ちが最高潮に高まっているtomo。そんな我が子をかわいいと思う反面、そのあまりの激しさに負けてしまいそうになる。 育てる側にも理性と自然の葛藤がある。 こういうことをもう少し情緒的記述ではない方法で説明してみたい。
2008年02月01日
tomoは小さい頃から年齢の特徴が割とはっきり表れる子どもだとは思っていたが、最近の彼女はまさにterrible two。教科書の事例に最適と思われるようなエピソードが山ほどある。 得意技は「‥‥じゃないよ」 「××じゃないもん、○○だもん、ぺー」という変則技もある。 両親が「無いよ」と言えば「あるでしょ」 「××しなさい」と言えば「今tomoちゃん○○してるから××しないでおく」 …本当にこの子2歳0カ月だろうか? おもしろいのだけれど親としては腹が立つことも多いのだ。 泣いて怒るときにも「tomoちゃん××イヤだったんだよー」と気持ちをことばにするようになってきた。 つい先日も「靴下を履いたまま寝る」と言ってきかないので、寝入った頃を見計らって脱がせたら、それで目が覚めてしまい手がつけられないほど大泣きして怒った。手がつけられないほど、というのは決して大げさな言い方ではない。床に転がって手足をバタバタし金切り声で泣き叫ぶのである。たかが靴下を脱がされたくらいで?とこちらは思ってしまうのだが、彼女にとっては「たかが」ではないらしい。「くつしたはくー、イヤだったんだヨー、ぱんぱんぱん」と言いながら父を叩いていた。脱がせたのは母だったが。 次の日、父がこの様子を保育園の先生に伝えると、それを聞いていたtomoの表情がみるみる曇り、父と別れるときにはわんわん泣いていた。自分の失態を他人に知られるのがいやだったのか。 こうやって心のひだが折り畳まれていくのだなぁと思う。 せつないけれど、心のひだをたくさんもっている人の方がこの世界を何倍も豊かに生きていけるだろうと思うのだ。 Gさんならこういう子どもの姿を「自我」ということばで分析していくのだろうか? housanはかわいそうなことをしたとしきりに反省していたけれど、マイナスの感情を経験するのもそう悪くはない。 ところで鼻炎の方はだいぶ良くなってきた。 昼間は強い薬を使わなくても鼻づまりしなくなってきた(立位の方が鼻の通りがよいのだ)。 昨日耳鼻科に行ったとき医者に「風邪ひかないようにね、風邪ひくと悪くなるからね」と言われた。 これって風邪からくる症状じゃなかったんですか?
2008年01月29日
鼻炎をあなどってはいけない。 いや、一番あなどっていたのはわたし自身だった。 耳鼻科に処方してもらった薬をさすと一時的に楽にはなるのだが、3、4時間もするとまた鼻がつまってくる。そして目の奥から鼻の両脇、上顎にかけての顔面痛が発生、さらには首筋までも痛くなってくる。匂いも味もしないのでもちろん食欲もなくなる。特に夜になると症状がひどくなるので、ぐっすり眠れず体力が落ち、つわりまでもどってきた。 最悪だ。 昨日も耳鼻科に行って来た。 前回処方された薬は効果が高い分、鼻の粘膜を荒れさせてしまうので頻回に使うとよくないらしい。ということで今回はもう少し軽い点鼻薬をもらってきた。今は内服薬が使えないから外用薬と通院処置を根気強く続けるしかない。 昨日に比べると今日は少し調子がよい。 とりあえず締め切りのある仕事に手をつけた。 民間療法というのは一般に根拠無く行われていることが多いように思うが、鼻炎・蓄膿に関する民間療法も昔からあって、housanは幼い頃鼻炎を治すのに紅茶を鼻からすすれと言われたそうだ。あとは丸太のまくらで寝るとか。 いくらなんでももう少しましな方法があるのではないだろうか? わたしはこの話を聞いたとき大笑いしてしまったのだが、housanは「虐待だよ!」と憤慨していた。 子どものためとはいえ、親の権力でむちゃなことを強制してはいけないよなぁ。 鼻は実は精神活動の中心点なのではないかと思う。 鼻がつまって顔面痛が起こってくると、思考は完全に停止される。 鼻が悪い人って頭悪そう、と(本当に失礼だけれど)昔思っていたが、こういうところからきているのだろう。 ま、それは現在のわたしですが。 というわけで「鼻セレブ」である。 housanがこういうときは贅沢した方がいいよ!と言ってくれたので、高級ティッシュを買いました。 鼻セレブはカシミアより使い心地いいです。ゴマちゃんもかわいいし。 あまり落ち込まずに明るく考えた方がいいですね。
2008年01月25日
ずばり蓄膿になりました。 前回の投稿後、咳は治まったが鼻水・鼻づまりはいっこうに良くならず。 水曜日午後から顔面が痛くなり、夜中は頭痛と吐き気でほとんど眠れなかった。 チビのこともあるし、まずは産科にかかることにした。 診察の結果→急性副鼻腔炎。 胎児に問題はなし。 人生で初めて耳鼻科にかかった。 耳鼻科の診察室には細長い恐ろしそうな器械がたくさん並んでいた。 処置は悲鳴を上げそうなくらい痛かったが、終わった後はびっくりするほどすっきりした。 これが正常なんだ!鼻で息ができる!においがする! 初めてコンタクトをつけたときと同じくらい感動した。 ひどくなる前に早く耳鼻科に行けば良かったのかも知れないが、まさか風邪から鼻炎になるなんて思わないし、蓄膿なんて自分とは全く無縁の病気だと思っていた。 炎症を抑えて鼻腔を広げる薬をもらって帰ってきた。 鼻が詰まってきたらさす。 今は命の次くらいに大事な薬だ。やれやれ。
2008年01月18日
先週末の三連休はtomoが風邪をひいて寝込んでいたので、とてもつまらない休みになってしまった。 特に何かを計画していたわけではないのだが、子どもが具合悪いと家中の調子が狂う。 「ママ病」もさらにひどくなり、パパは完全に排除されていた。 近づくだけでも怒り出すってちょっとひどすぎないだろうか。 そんなtomoも昨日あたりから調子を取り戻しつつあるが、代わりにわたしが風邪をひいた。 顔前10cmの距離から咳を浴び続けていたのだから伝染らない方がおかしいというものだ。 熱はないが咳と鼻水で本当に苦しい。 土日はゆっくり休みたいが、休めないだろうな。 病院へ行って来た。薬を飲めば少しは楽になるだろうか。 ところで、バスや電車の中でよく見かけるものに女性の化粧姿がある。 非常勤先へ通うのにいつも決まった時間帯のバス・電車の乗るのだが、ほぼ毎回見かける。 同じ女性として、どのような手順で化粧をするのかには興味がある。 大学生と思われる女の子はクリームファンデーションを全面的に塗りたくった後にコンシーラー(と思われるもの)をニキビ跡にべたべた塗って終わり。 化粧の仕方ももう少し勉強した方がよさそうだ。 40台とおぼしき女性はバスの中で手早くさまざまな工程をこなしていく。 揺れるバスの中での化粧にも年季が入って熟練の技を身につけたのか。 しかし、40台にもなって公共交通機関の中で堂々と化粧をするのは、いかがなものか。 年をとれば分別がつく、というものでもないのだな、と改めて思う。 (最近では暴走老人ということばもあるくらいだし。) 化粧というのは描画や制作に似ている。 絵を描くのが上手な人はきっと化粧も上手だろう。 そういえば、tomoもこのごろ「おけしょー」なんて言って、顔にぺたぺた何かを塗るマネをする。 母のヘアバンドとチタンネックレス(肩こり予防)を首にぶら下げて「ママになっちゃったー」とうれしそう。 子どもにとっての化粧は「ママ」の象徴なのだろうな。
2008年01月11日
昨日1月10日はtomoの2歳の誕生日であった。 我が家の最も大切な記念日だ。 保育園からも誕生日のお祝いカードをいただいた。 たくさんの人から愛されている子どもで本当によかったなぁとしみじみ思う。 そういえば昔、S科研集会でNさんがtomoを見て「愛されてるって感じで腹立つなぁ」と言っていたのを思い出した。 ちょっとひねくれた表現がNさんらしい。 tomoのリクエストで「おっちいぷーる(温泉)」へ行ってきてから、家でちらし寿司とおでんという微妙な取り合わせでお祝いした。 (tomoの好きなもの、と思ったらこうなった。) もちろん丸いケーキに2本のろうそくも立てて誕生日の歌も歌った。 tomoはふーっとしたけれど、まだろうそくの火を消すことはできなかった。 来年は消せるかな。 プレゼントは、じーじ・ばーばからチーズとクッキー、カード、洋服、両親からレインコートと絵本。 絵本は「そらいろのたね」「てぶくろ」「ゴムあたまポンたろう」の3冊。 「ゴムあたまポンたろう」最高! しかし、最近のtomoはますます頑固。そしてますますママ独占モード。 あと6ヶ月、じっくりこれにつきあいますか。
2008年01月07日
いつにも増して落ち着かない年明けを迎えた。 tomoは年末最後の28日朝から咳をしだし、案の定出かける当日早朝に熱を出した。 しかし7度1分では飛行機その他のチケット全てを諦める決心がつかず、とりあえず出発してみる。 が、車の中で熱はどんどん上がり、神奈川県に入ったあたりで北海道行きを断念。山梨へ向かうことにする。 tomoは熱があるのに、泣きながら「オウチ、カエラナイ、サッポロ、イク」と言い、みんなが悲しい気持ちになった。 tomoだって大好きなkanakoとパパとママと旅行に行くのをとてもとても楽しみにしていたのだ。 まだ1歳なのに。せつないなぁ。 結局12月29日から1月2日まで山梨の実家にいて、3日名古屋へ戻ってきた。 病気の子どもを抱えての旅行は本当に大変だったけれど、kanakoがいてくれたおかげで楽しいこともたくさんあった。 温泉にも行ったし。 札幌へはまた行こう。 tomoは年が明けてまた少し成長した。 何かしてもらったときに、うながされなくても「ありがとう」と言うようになった。 housanの肘とtomoの頭がぶつかったときには「パパだいじょうぶ?ともちゃんはいたくないよ」なんて言っていた。 年末に風邪薬を飲んだことを覚えていて、帰ってきてから、イヌの人形に「おくすりですよ。だいじょうぶよ、すぐなおるからね」などと言いながら薬を飲ませるマネをして遊ぶようになった(このイヌは頭が痛くなったり、腹や足から血を流したりと毎日かなりの重傷を負っている)。 子どもの成長には感心せずにいられない。 名古屋に戻ってきてからおかしな夢をたくさん見る。 わたしはいろんなことに対してとても腹を立てているようだ。 思い通りにならないことにイラついているのだろうか。 ふだんの生活の中で思い通りにならないことなど、そうはないのに。 2008年、やりたいことはたくさんある。 それとは別に生活目標として今年は「ひとにやさしく」というのを考えてみた。 自分が損するなんて思わないで周りの人に親切にしよう。 そして身近な人こそ最も大切にしよう。 Yさんの年賀状に「子どもの成長はあっと言う間でしょ。今を大切にしてあげてね」と書かれていた。 子どもの今は二度と来ないのだ。
2007年12月21日
今日はhousanの誕生日だ。 でもこういう日に限って集中講義の仕事が入っており、また明日もあるので、気持ち的にはあまり楽しくはないだろう。 とりあえず今日はプレゼントを渡しケーキを食べ、明日本格的にお祝いする。 誕生日にホールケーキは欠かせない。 housanは昨日からずっとtomoに「明日何の日か知ってる?」と聞いている。 何歳になっても誕生日は祝われる日なのだ。 今日は一日体の調子がよくなかった。 昨晩housanの集中講義の準備の手伝い(といっても実際には話を聞いていただけ)をしつつ家事をやっていたので少し寝るのが遅くなったのと、tomoが夜泣きで再び眠りにつくまでに時間がかかったのとで寝不足だったからだ。そして腹の中のチビも今日は居心地が悪そう。 みんなママに頼りすぎだよ。
2007年12月17日
今日はとても寒い一日だった。 家の中でマフラーを巻いて仕事をしていた。 機会あってNさんとお昼をご一緒した。 豊富な臨床経験をおもちの方なので話を聞いていて勉強になることが多かった。 そのなかでこれまで自分なりの仮説だったことのひとつを少しだけ確かめることができた。 それは「白ごはん仮説」。 どんな形であれ発達に遅れの見られる子どもには一般的に偏食が多い。 特に「白いごはんしか食べません」という子どもが多いような気がするのだ。 また、遅れの指摘がない子どもであっても「白ごはんのみ」という子はちょっと神経質な気がする。 ただの経験則に過ぎない。 でもNさんの経験から言ってもこれはあながち的はずれではなかったようだ。 食事というのは五感の全てが使われる活動だ。 そう聞いて非常に納得した。 だから他の活動よりもその子どもの認知的特徴(弱さ)がはっきりと表れてしまうのだろう。 今日の会食では臨床の方ももっと勉強したいな、と刺激された。 来年あたりから某園で自閉症圏の子どもの共同注意行動に関して組織的な観察をしてみたいと考えている。
2007年12月13日
12月もまだ中旬なので早い気もするが、2007年を反省したい。 まず研究の面では、投稿論文が1本掲載され新しい実験を始めたので、1歩前進というところだろうか。 しかし相変わらずその歩みは遅い。 とはいえ、焦ってもしょうがないのでまずは一歩ずつから。 仕事面では、前期はまぁまぁだった。 時間割がよかったのでhousanと話したり一緒に食事をする時間が多くとれた。 一方後期はコマ数も出かける日数も前期と変わらないのだけれど負担感が大きい。 車や電車で遠くまで行っているというのもその一因だろうが、それよりも学校の違いが大きいように思う。 とにかく授業が楽しくない。疲れる。 疲れるのは妊娠中だから、だけではない。 大学で常勤として働くことの意味を真剣に考えてしまった。 高等教育っていったい何なのだろう。 あとは教科書の原稿を2本書いた。 同じ時期に同じ内容の原稿が重なったのが辛かった。 加えて妊娠がわかったこと、それにともなってtomoが荒れたこと、 housanも同じ原稿を抱えていたことで、うちはとんでもない状況になった。 11月はいったいどうやって毎日を過ごしていたのか覚えていない。 今となっては原稿を書いてよかったと思うし、TM先生に言われたように、こういう形で自分の研究を別の角度からまとめたことは自分の力になったのだと思う。 そしてこんなふうにしてでも仕事をしなければ結局何も生み出せないのだ、とも思う。 だから仕事をくれる人には感謝しなければならない。 でも…すさんでいたなぁ…あの1カ月は。 原稿を書くのに苦労したのは自分の中にストックされている知力(?)が底をつきかけているからでもある。 今年は全く本が読めなかった。1冊もまともに読んでいないのではないか。 新しいことを考えられなくなったら研究者は終わりだ。 本が読みたい。研究会で議論したい。 今は頭の中まで乾燥しているみたいだ。 最後に生活について。 tomoは1歳からもうすぐ2歳になろうとしている。 0歳の時もそうだったけれど、とにかく寝ない子で、今でもほぼ毎日夜泣きがある。 そのおかげで、わたしも続けて眠れない体質になってしまった。 でも早寝早起きが身について、朝の時間が少しずつ使えるようになってきたのはよかったことのひとつ。 tomoにとって、わたしは母親だが、パパは友だちもしくは兄弟みたいな存在のようだ。 2人で本気になってケンカしているのを見ると、この家に大人は1人しかいないのだ、と思ってしまう今日この頃。 3人の子どもを抱える肝っ玉母ちゃんになるには、わたしはまだまだ神経が細すぎる。 あと今年中に残っている仕事は2つ。 ひとつは研究会のレポーター。これは本当に楽しい仕事だ。 もうひとつは集中講義。まぁこれも何とかなるだろう。 これらが終われば年末の旅行。 体調は気がかりだが、これを楽しみに今までがんばってきたのだから絶対行きたい。
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