2006年09月05日

「美しいサッカー」の意味

日本選抜のオシム監督が、最近何回か次のように言ったのを
記憶している。

「残念だが、今は美しいサッカーでは勝てない」

正確な言葉遣いはわからないが、少なくとも2、3回は
こういう言い方をしたと思う。

「美しいサッカー」という言い方は、素人のオイラにも
その意図するところはわからなくはないような気がする。

例えば、ここに冷蔵庫がある。
冷蔵庫の役目は食品を低音に維持し、長期保存をすることだ。
だから、「良い冷蔵庫」たらんとすれば、とにかく食品の鮮度を
保てるようにきちんと冷やすこと、これ以外にはあるまい。
これこそが冷蔵庫が冷蔵庫であるための「存在理由」である。

だが、冷やす能力が高ければ「冷蔵庫」として唯一無二の存在
たりえるのか?
冷やすためには電気が要る。冷やすために電気をいくらかけてもいい
と考えれば、冷蔵庫の機能は高くても家計から電気代はうなぎ登り
になり、せっかくの冷蔵庫の低温で保存するための食品を購入する
こともままならなくなる。これでは本末転倒だ。
また、冷やすためには触媒が要る。その触媒の能力が高ければ高いほど
冷蔵庫の低温維持機能は向上するが、その触媒がフロンでは困る。
リサイクルも出来ず、環境破壊を呼んでしまっては、高機能な
家電も厄介者になりさがってしまう。

結局、能力と消費電力とがコストパフォーマンス上適切であること、
さらにはリサイクル時に環境に害を与えない材料で作られていること、
などなどの諸要素をきちんとクリアしている冷蔵庫が、もっとも
求められるのであろう。
そして、これが「美しい冷蔵庫」なのだろう。

サッカーも、そういう意味で「美しいサッカー」という言い方が
あるのだろう。

目の前に試合に勝つことは、もちろんサッカーチームとして
求められることで、負けて良しとはいくまい。
冷えない冷蔵庫は無用の長物なのと同じだ。

だが同時に、勝ちさえすればいいというものでもあるまい。
優秀な選手をかき集めればチームは強くなるが、それは電気代が
かかりすぎる冷蔵庫。家計が裕福ならいいかもしれないが、苦しく
なったときに重荷になることは確かだろう。
(いつなんどき、ユベントスのような窮地が訪れるともかぎるまい)

観客を度外視してカテナチオを徹底すれば負ける危険は回避できるが、
そんな試合を観客は見たいはずもなく、次世代にサッカーの魅力を
伝えて新たな才能の開花を期待する上では害毒ですらあろう。
まさに壊れた冷蔵庫の、フロンの垂れ流しと同じだ。

さて、オシム監督はあの通りの毒舌家ゆえ、おそらくは二重三重の
意味がこもってはいるだろうが、彼が「美しいサッカー」と言った
意味はそれほど違わないと思う。
華麗なプレイで観客を魅了する、そのためにチーム各員が全力で
走り、フォーメーションを組み立て、豊かな発想でアクションの
選択肢を増やす。
そしてそれは、札幌の目指すプレイでもあるはず。

サウジアラビア戦の敗戦で、早くもオシム監督を揶揄する記事が
夕刊フジに載った。さすがにイエロージャーナリズムの本家本元
と言えるだろうが(笑)あまりにもその調子良さに苦笑せざるを得ない。
勝つことにしか興味のない、相手チームに対して優越感を持てれば
いい、というような最近猖獗する軽薄な国家主義の流行に載っかって
サッカーを捉えていれば、外国チームに1回負けただけであたかも
国家の(そして自分の)矜恃が汚されたごとくに感じるのだろう。

「美しいサッカー」を見たい、という気持ちなど無意味だ、勝つこと
だけに意味があるのだ、という考え。
それは「高性能だが実はヤバイ冷蔵庫」を、その高性能なところだけに
目を奪われてありがたがっているだけではないか。


長くなりすぎた(汗)申し訳無い。

オイラが求めるものは、札幌には愚直に「美しいサッカー」を
追求して欲しい、ということ。
今季は確かにイマイチだったかもしれん。
しかし、ノンフロンの冷蔵庫がやや冷却機能の効率で劣るように
時間はかかるかもしれないが、やがてそれがリサイクルされる時に
きちんと次世代につながるようになるには、これが一番なのだろう。
世界の趨勢では「勝てない」と揶揄されるのかもしれないが、
そんなことはあるまい。

もちろん、最終的には「美しいサッカーで勝つ」
札幌には当然、これを目指すことを期待したい。

posted by FT |21:05 | サッカーから見えること | コメント(0) | トラックバック(0)

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