2006年06月30日

祝祭としての試合(4)

昨夜のエントリに関して、オイラ自身も少し調べようとしたもの
の、あまりうまくいかなかった(汗)

ご助言も無かったので、果たして「バスク地方のサッカーチーム
の選手が、スペインのナショナルチームの一員になることが
あるのか?」という疑問は残ったままです。

ま、リーガ・エスパニョーラのファンの方々には常識のようなこと
である可能性もあるのだが、例えば「バスクの選手は選ばない不文律が
ある」とか、逆に「選ばれても応じない」とか、「実は全く障碍はなく
何の問題もなく選ばれてる」とか、いろんなパターンが脳裏に浮かぶ。

何でこんな事を気にするか、というと、サッカーというプロ競技が
他のスポーツにも比して「地域との密着性」によって成り立っている
面が強いことはしばしば言われることで、それがサッカーの「祝祭性」
を高めている、という仮説をオイラは考えているわけだが、その前に
大きな壁があるのだ。

祝祭性を裏打ちする最大の要素が「地縁」だ。
同じ土地に住む者が、その環境に即した生活性を確立し、それが
結束をうむ。

「コンサドーレ札幌」を応援するサポの多くは、札幌在住であったり、
または札幌を離れているものの何らかの形で札幌に関わりがあったりする
者であろう。全く「札幌という土地」に縁もゆかりもない者が「コンサ
ドーレ札幌」というチームを応援するサポになる、というのは、
いくばくかの例外はあろうが、あまり多くはないだろう。
だからこそ、ホームの試合は「祭」になる。地縁の結束を確認し、
その力で祭を祝福されたものとすること(つまり勝利)を願い、
地域共同体全体の幸福とする「祭」に。

その構造は他のJリーグのチームも(そもそもそれがJの理念であった)
また、海外の大多数のチームも同じであろう。

だが、そのチームで活躍する選手はどうか。
彼らは祝祭の主役であり、地縁を代表する者こそ、祭を主宰する
にふさわしいはずだ。祭において御輿をかついだり、神楽を奉納
したりする、つまり土地の神々と交感するのは、「地元の衆」の
役割であろう。

しかし、皆さんご存じの通り、札幌に限らず、どのチームにおいても
そこには経済の論理、パワーバランスの拘束、そして個人の野望、
といった要素が絡んだ結果、選手の多くはその土地と「地縁」の
無い者の方が多いわけだ。選手は己の「実力」を発揮する試合の
機会を求め、それに見合った報酬と名誉を求める。言わば
個人事業主のビジネスライクな契約と履行の中にいる、と言えるわけだ。

地縁を何より重視し、その祝祭としての「試合」から神々の祝福
を求める「氏子」としてのサポ。
一方、その神との介在役…「シャーマン」であるはずの選手が
地縁とは関わりのない、異邦人であること。

この二つがどう整合性を持つのか。
もちろんここで折口民俗学的な「マレビト」「貴種流離譚」的な
分析をしていくのが常套であろうが、はたしてどうか。
なぜなら、チームの多くが地元の人間であり、その中に異邦人が
少数混在することで一種の化学反応が起こり、共同体の活性化に
つながる、というのであれば上記の「異人論」は成り立つと思う
のだが(実際、そういうチームもあるし、過去にあった)
しかし、実際のチームの大多数が「異邦人」である実態に
当てはまるのだろうか?

謎は深まる。
その分析のきっかけに、バスクの2チーム、レアル・ソシエダと
ビルバオがいかなるチームとして成り立っていて、それが代表チーム
とどんな相関関係になっているのか、やはり知りたい。
識者のお教えを引き続き、乞う。

posted by FT |20:09 | サッカーから見えること | コメント(4) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:祝祭としての試合(4)

こんばんは拝田と申します。
リーガに関して詳しい訳ではないのですが少しだけ。

>バスク地方のサッカーチーム
>の選手が、スペインのナショナルチームの一員になることが
>あるのか?」という疑問は残ったままです。

あります。
今回で言えばシャビアロンソ、デルオルノがバスクの出身です。
デルオルノはケガでリタイアしてしまいましたが・・・。
というより昔は『GKと言えばバスク人』というのがスペインでは定説になっておりました。最近はそうでもないですが・・・
少し前では、ウルサイス、エチェベリア、ハビゲレーロ、エスケーロなどが代表には言っていましたし、これからではジェステ、アランスビア、オルバイスなんかも入るでしょう。
バスクの代表的なチームではアスレティックビルバオ、レアルソシエダ、アラベスがあります。
ビルバオはスペインでもマドリー、バルサとともに2部に落ちた事がない名門です。そしていまだにバスク人純血主義を貫いているチームです。ただし監督に関しては積極的に外国人を登用します。バスク人にない面を外国人に補ってもらおうという考えからだそうです。
レアルソシエダは純血主義でもなく普通のバスク地方のチームです。
ちなみにシャビアロンソのお兄さんはこのチームでプレーしています。お父さんもこのチームの選手でした。アラベスに関しては・・・良く知りません。(苦笑)
結論を申し上げますとスペイン代表チームにはバスク人でも普通に入ります。というかだいたい数名は選ばれてます。逆にバスク人が選ばれなかった事はないんじゃないでしょうか?はっきりとは分からないのですがそう思います。
私の知識ではこの辺が限界です。
参考になりましたでしょうか?

posted by noboru | 2006-06-30 20:30

Re:祝祭としての試合(4)

私も触発されてウィキペディア程度ですが調べてみました。
『GKと言えばバスク人』は確かに出ていました。具体的な名前も数人紹介されています。
あと、純血主義のアスレティックビルバオに元フランス代表のリザラズ選手がプレーしています。
フランス国籍のバスク人だということで。
余計なことかもしれませんが、1998年のフランスが優勝した時のキャプテンでボランチの選手だったディディエ・デシャン(今はどこかの監督だったと思います)、彼もバスク人だそうです。
バスクという響きで、以前読んだシドニー・シェルダンの『時間の砂』を思い出し、懐かしかったです。

posted by equip| 2006-06-30 22:00

Re:祝祭としての試合(4)

ありがとうございます。
たいへん参考になりましたが、と同時に一筋縄ではいかない
個々の事例の差異もあり、単純化するのは難しそうですね。
しかしこの多様さを元に、どのように考えて札幌のことに
応用した分析ができるかどうか、楽しくもなっています。

返す返すも、ご教示に感謝いたします。

posted by FT| 2006-06-30 22:00

Re:祝祭としての試合(4)

時間差になってしまいましたが、コメントありがとうございます。

バスクのチームの中でも、やはりビルバオは地縁血縁に
傾斜した特徴があるところなんですね。おもしろい例に
なりそうです。デシャンは懐かしい名前ですが、彼が
バスク人であることは恥ずかしながら初耳でした(汗)

バスクのみならず、分離独立をかかげる地域と、それを
現状として包括する国家との関係は、微妙で複雑、しかも
危うい要素もありますが、だからこそサッカーと、その
チームを応援することの意義の提要があきらかになる
鍵になるんではないかと思います。

いろいろ考えていきたいと思います。
ご教示感謝いたします。

posted by FT| 2006-06-30 22:00

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