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2008年09月22日

サッカーという無情

厚別3
   前半14分。箕輪のPKで全て決したゲームだったと思います。  勝ち点3しか念頭にない札幌はいつも以上に高いラインを引き、攻めの姿勢を見せました。ところが、その高いラインの裏を突かれて、慌てて箕輪が追いかけてPK。  ここで審判は、PKを与えたのだから、箕輪にはイエローであってもよかったと思います。レッドを出さないことで何も非難されはしないでしょう。まして降格という危機を背負ったチーム同士の直接対決です。  この運命的な試合に臨むにあたって、最後までイーブンな状態で両チームの持てる力の全てを出させてやろう、とは審判は考えなかったようです。レッドを出しても出さなくても、非難されなかった状況で、出せば一方の側に大きく試合が傾くにも関わらず、審判は躊躇無く退場を宣告しました。そして私は、このことに何とも言えない無常感を感じました。    その後、一人少ない中札幌は善戦し、2度も追いつきました。しかし、残りわずか時間でダヴィが2枚のイエローで退場。そして終了間際に突き放されます。  確かにゲームは前半のPKで大きく変わりましたが、あそこで箕輪がイエローですんでいれば、と思うこともあります。しかし、スタジアムで見ていて、危機的状況の中で、さらに人為的に足を引っ張られた札幌イレブンの怒りに近い反発心と良い意味での開き直りが、千葉を追い詰め、拮抗したゲームを作っていたようにも思いました。  こうしてゲームは人数の少ない札幌の優位のまま、ロスタイムに入ります。ここで少ない人数ながら逆転打を放り込めば、97年にバルデスが見せた厚別の奇跡の再現だったでしょう。私は密かに、そのことを期待しました。  ところが、起こったのはダヴィへの2枚目のイエローカード。確かに悪いのはダヴィでしょうが、退場を意味するイエローカードに値したかどうか。このカードを見たときに、ピッチの選手たちは、自分の力ではどうしようもない、勝利への壁のようなものを感じたのではないでしょうか。緊張の糸が切れる、プツという音が聞こえたようでした。  ハリウッド映画であれば、正義はかからず勝利するし、努力は最後に必ず報われるでしょう。しかし、実際の人生は不条理なもので、努力とか頑張りとは別なところで、運命が決まってしまうことは多々あります。  だからアメリカの人は、ゲームから極力不条理を排除すべくスポーツのルールを組み立て、旧世界であるヨーロッパの人々はゲームの中の不条理を許容していったといいます。というのも、今日の試合で不条理に襲われたとしても、明日は助けられるかもしれない。長い目ではイーブンだというのですね。  まぁ、次は札幌が審判に助けられることを期待しましょう。97年の厚別の奇跡、あのロスタイムの長さは、相手にとってはきっと不条理以外の何ものでもなかったはずですから。  
あつべる


posted by hibari |00:27 | コンサドーレあれこれ | コメント(4) | トラックバック(0)