2008年12月09日

サポにニワカもコアもない

色々と考え出すと眠れない。
明日も当然仕事なのに。

とあるブログで、自分はサポになりたいけど、
サポになれていない。
そんなブログを見かけた。

コメントもトラックバックも出来ない状態で、
それでもどうしても伝えたいことがあって。
同ブログの管理人さんが見てくれることを祈って、
それを書き綴ります。


以下本題。


どこからがにわかファンで、どこからがファンで、
どこからがサポなんて、そんな線引きはありません。

"コンサドーレを応援したい"その気持ちがあれば、
その瞬間、誰でも"コンササポ"です。
そこに上も下もなく、皆が平等です。

ゴール裏爆心地で声をあげ、必死で選手を鼓舞し共に闘う人。
少しでもコンサの強化に繋がれば、と基金を行う人。
少しでも多くグッズを買ったり、シーチケを買ったりする人。
遠い地から電波を通じて、コンサドーレを応援する人。
そして、ブログを通じてコンサドーレへの想いを綴る人。

どんな形であれコンサドーレを思う気持ち。
それさえあれば、例えお金を落とすことは出来なくても、
試合を生で観に行くことが出来なくても、
ただ試合を観ているだけでも、コンササポだと私は思います。
その中で誰が偉いだとか、誰が正しいとか、
誰も決めることは出来ないし、決めてはならないと考えています。
サポは全部が集まって"1人"の、"12番目"の選手なんです。


また、批判的な書き込みに戸惑っているようにも見えましたが、
ネットとはそういうものです。

叩かれるべくして叩かれることもありますし、
些細なことで叩かれることもあります。
そして全く理由もなく叩かれることもあります。

貴方のブログは貴方のものです。
他人の意見に対して、取捨選択は貴方の自由です。
そのまま全ての意見を鵜呑みにする前に、これは意見に値する意見だろうか、と
判断してみては如何でしょうか。
これはいらないと判断したものは気にせずスルーすれば良いです。

これからは、堂々とコンササポを名乗り、
共に応援していきましょうと思わずにはいられません。


以上、某ブログの管理人さんへ伝えたいメッセージ。
以下、そのブログを見て思ったこと。

やはりどうしても、ゴール裏は"怖いところ"と一見さんに
思わせてしまう現状の雰囲気をどうにかしないといけないと考えます。
自分に出来ることはあるのか、何が出来るのか、何をすればよいのか。
来期開幕まで時間はあるので、より良くするためにはどうすれば良いか
これからゆっくりと考えていきたいです。


そして朝になる( ゚Д゚)

posted by consa_fs |02:25 | その他 | コメント(2) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:サポにニワカもコアもない

同感です。
あるとしたら、サポーターとイベント見物人の違いでしょう。
自分なりの別の言い方を許されるなら、選手を、サッカーという職業を選んだ同じ社会に生きる仲間、特殊な才能を持った同じ人間と認識しているか、画面に映るキャラクターと捉えているかの差

コンサのゴール裏は、余所と比べ依然として平和な方ですが、昔と決定的な違いがあります。

以前は大人による良識によって保たれていたが、最近はネットによる風評の影響が強い。つまり、「怒っちゃイカン、暴れたらイカン」というヤツ。

たしかに暴力はいけません(これ100回言ったことにしといて下さい、さもないと人のことを暴力肯定者だと勘繰る読解力不足がいるもんで)。

でも、人の家で宴会やるのはまだイイけど、他人のドンチャン騒ぎにわざわざ何回も何回も拍手して(最初と最後くらいはイイけど)更にヘラヘラしてる両親を見たら、気持ちの強い子なら自分の親に失望しませんか?

失望しない子なら、他人から軽く見られる一生をおくる可能性が、かなり高くなります。

大人なら、紙に書いてあるフェアプレー精神や平和主義を事務的にではなく、シッカリ解釈して受け入れないと、さもないとネットに操られ?

posted by OWLS| 2008-12-09 11:27

Re:サポにニワカもコアもない

はじめまして。
どこかでお名前を見た気もします。
"例えHNであろうとキチンと名乗れない奴は何もいう資格は無い"みたいな書き込みを見ました。
別人ならすみません。
その点については、同感を覚えました。

閑話休題。

> でも、人の家で宴会やるのはまだイイけど、他人のドンチャン騒ぎにわざわざ何回も何回も拍手して(最初と最後くらいはイイけど)
> 更にヘラヘラしてる両親を見たら、気持ちの強い子なら自分の親に失望しませんか?
●例えば、葬式(降格)にも関わらず拍手したりヘラヘラしているならば、失望の一つでもするでしょうね。
 ただし、祝辞(優勝)の時に、いくら他人に対しおめでとうと言おうが、
 大変申し訳御座いませんが、失望する理由が判りません。
 葬式と祝辞が同時に来ていたのならば、話は別ですが既に葬式は終わっている状態です。

 もし宜しければ、失望する理由についてもう少し詳しく書いてくだされば嬉しいです。
 私の考えとしてはおめでたいことにおめでとうというのは、普通に行われることだということ。
 毎度毎度やられたら、ウザクも感じるでしょうが、一年に一度きりのことに
 目くじらを立てる必要性は感じません。

 一部札幌サポからは反感を買ったのはドンチャン騒ぎが長すぎたから、と言う認識ですが、
 長引いたのは鹿島サポのせいではなく、準備を手間取った協会側です。
 セレモニーが終わった後は鹿島サポは、サンクスウォークを静観してくださり、
 なおかつ、池内、西澤コールまでしてくれました。
 上記のことに関して、私は鹿島サポーターに対し感謝の気持ちしかありません。

 また相手チームとは完全な他人なのでしょうか?
 鹿島サポーターの中で、秋春制の署名に快く応じてくれた方もいたと、
 ブログで書いている方がいます。
 都合のいい時だけ仲間だと受け入れ、それ以外の時は他人だと
 突き放すなんて調子の良いことは私は出来ません。

 以上のことをすべて踏まえ、鹿島におめでとう一つ言えない一部のサポーターに、
 残念だという気持ちがあります。
 ただこれは考え方の相違でありますので、おめでとうを言わなかったことに関して批判する気はありません。

> 失望しない子なら、他人から軽く見られる一生をおくる可能性が、かなり高くなります。
●読解力がなく大変申し訳御座いませんが、なぜそうなるのか全く理解できません。
 もし宜しければ、なぜそのようになる可能性が高いのかもう少し具体的に教えてください。

 私は、逆におめでたいことをおめでとうと言えない子は、
 他人を軽く見てしまう一生を送ってしまうのでは?と考えてしまうのですが
 その点についてはいかがお考えでしょうか?

posted by いぐ| 2008-12-09 15:52

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