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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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2006年05月09日
GWは厚別にも笠松にも行かず、韓国に行ってきました。 といっても、お仕着せのパック旅行なぞ出来ない人間(仕事でやったことはある)なので、釜山とソウルの2泊3日ですが、しっかりサッカーは観てきました。それも赤と黒の縦縞を着たチームが5-1で勝つという、痛快な試合でしたが。ちなみに赤黒にはチェ・ヨンス(崔龍洙:市原→京都→磐田)がいたりします(出てませんでしたが)。 ここから先は話の方向性がまったく変わりますので、ご注意ください(笑)。
その夜、韓国のTV放送でW杯を見据えた特集があったのですが、2002年を振り返る内容で、ゲストがユ・サンチョル(柳想鐵:横浜FM→柏→蔚山現代→横浜FM)でした。そのとき、2002年の韓国チーム並びにヒディング代表監督の映像を見ながらふと気付いたことがあります。 韓国人の国民性として攻撃的なことを好むという特徴があると思います。韓国国民が好戦的というわけではありません。というのも韓国で人気のあるサッカー選手を見ると、MFから前の選手の人気が非常に高いです(パク・チソン、アン・ジョンファンetc)。日本でいうところの宮本とか中澤とかの位置にいる選手はあまり注目されず、マスコミも取り上げず、ファンはレアな存在のようです(日本でもDFのファン層は前の選手に負けるかもしれませんが、ある程度の層はあります)。 韓国代表にはかつて洪明甫という世界に誇るDFがいたのですが、やはり前の選手には叶いませんでした。 そういう韓国の国民性に対してヒディングが取った戦略は、先制点至上主義といいますか、何が何でも先に先取点を取ってやる、というスタイルだったと思います。だからあれほどの人気があったのだと、今になって思います。 だからこそ、イタリア戦でそれまでの戦術や守備位置を無視してどんどん攻撃的な選手を投じて、むちゃくちゃな戦い方をして勝ってしまったのだと思います。多分、トラパットーニのメモリにはあんな戦い方への対応はなかったのだと。 なにを今更、と思う人がいるかと思います。でも多分、もしヒディングが日本代表監督でトルシェが韓国代表監督だったら、多分お互いに2002年6月まで持たずに解任させられていたのだろうと思います。フラットスリーなどという後ろ向きな考え方は受け入れられないだろうと。 サッカーの監督という立場は、10人のフィールドプレーヤーを攻撃のときに何枚使い、ディフェンスで何枚使うのか、ということを最初に考えないと普通は思います。そのバランスを見つつ選手交代をしていくものだと。しかしヒディングはあの時、その考え方を捨てました。 翻ってコンサドーレを見るとき、柳下監督で3年目の今年、戦術的には完成されていると思います。ここの選手が何をする必要があるのか、理解して動いていることが観客席でもわかります。ただ、選手のあるいはチーム全体の調子にもムラがありますし、想定外の状況になったときの臨機応変は弱いような気がします。黄川田賢司がサイドバックをやっているのと同じ光景をもう一度見たいと思いませんが、何が何でも点を取ってやるという気迫に満ち溢れたプレーを見てみたい気もします。 なんだか長文の上、まとまりがなくてすいません。
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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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