2008年04月23日
裁判とは。
一応、法学部卒業のなおしです。 まあ、いろんなところで語られている今日の判決ですが、世論が少々感情論に傾いているのに若干の違和感を感じます。 もちろん、被告のやった行為は絶対許されることではなく、量刑も妥当だと思います。即日上告したということ自体も腹立たしい限りです。 しかし、彼の取った行動の残忍さのあまり、ややヒステリックになってはいまいか。 彼が取った行動が、法律や世間一般の人々が持つ道徳に照らした時に、どのような裁きを受けるのが妥当なのか、という論点が少々抜けている気がしてならない。 感情論的な論理であっても、法律論的な論理であっても、おそらく結論は同じ「死刑」なのであろう。そして裁判所は法律のっとって量刑を決めたのでしょう。自分もその結論は正しいと思う。 今回の事件については、その感情論が導く結論は、たまたま法律的な論理との間で矛盾は生じないかもしれない。でも、感情論で導かれる結論が、本当に正しい結論なのかどうか、今一度考えてみる必要はあるかもしれない。 (もちろん今回の事件は、その疑問の余地はないと自分も思う) 感情論に走りすぎて、冤罪を生むなんてこともありえる。 残忍な事件こそ、みんなで冷静に考える必要があると思う。 そしてもう一つ言いたいことがある。 それは被告の弁護団だ。 おおよそ裁判で求められるべき「事実の究明」や「被告の刑罰への検討」という点が、彼らの中ですっぽり抜け落ち、被告の死刑を回避するために、ありとあらゆる『法廷テクニック』を駆使しているとしか見えない。 今回の事件のように、被告がこの犯罪を犯したことに疑いの余地がないのであれば、その事実を真摯に究明し、被告に彼が起こした行為の重大さを理解させることが彼らの役割のはずだ。 それが、最高裁の口頭弁論を欠席したり、荒唐無稽な答弁を被告にさせることで心神耗弱を狙っているかのような、おおよそ専門家でないと考えつかない法廷テクニックで極刑を回避しようとしている姿勢は、姑息であるとしかいいようがない。 いったい誰のため、何のための裁判なのか。
posted by なおし |01:05 | ニュース・時事ネタ | コメント(2) | トラックバック(0)