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2008年04月07日

文章を書く、読む

文章を書く、ということについて最近思ったこと、ふたつ。

ひとつは、さまざまな商品の説明文や町内会だよりなどの、いわゆる一般的な書類の文章。
読んでみると、これが結構、意味不明なのだ。
この間買ったお米についての説明文。このお米は粒が小さいのが特徴で「よく見るとかすんで見えることから『おぼろづき』の名前がついた」とある。
「よく見ない」方がかすんで見えるのでは? 細かいことだけど‥‥。

読者にきちんと意味の通じる文章を書くのは意外に難しいことなのかも知れない。
とはいえ、読者もいちいち細かいことなんて気にしないで読んでいるのだろうけれど。
大量消費社会では「文章」すら右から左に流れるだけだ。


もうひとつは、プロが書く文章。
一応自分も文章を書く仕事をしている部類に入るのだと思うが、論文と小説では「書き方」が全く異なる。
小説家は、いったいどんなふうに文章を書くのだろうか。想像がつかない。
架空の「物語」を使って何かを伝えるのってものすごく難しそうだ。
でも書き方は違っていても共通していることもあると思う。
それは、リアルをとらえる、ということ。
「現実」をつかんでいなければ、小説も論文もいいものとは言えないだろう。
しかし内容浅薄な「プロ」の文章がいかに多いことか‥‥。
いや、プロなので形式は美しく整っているのだ。つるつると、のどごしよく読める。
でも、たぶん読んでも何も残らない。

もしかしたら全てが大量消費の現代では、プロの文章にも求められるのは「のどごし」なのだろうか?
がぶがぶ飲んで一時的に酔っぱらって、そしてまた次の日も歯車のように同じことをくりかえす。
それじゃあ、ゾンビと同じだな。「意識」のないゾンビと。

posted by mou3 |13:15 | 雑感 | コメント(0) |

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