スポンサーリンク

2007年05月14日

この世に杞憂はない

昔、杞の国の人が天が落ちてくることを心配し、夜も眠れなくなった。
ゆえに、あり得ないことをムダに心配することを揶揄して杞憂と称する。

だが、いまの時代、あり得ないことなど無くなってしまった感がある。
古い物理的常識すら転覆するテクノロジーと、その裏腹の落とし穴の
ような事故。
天が落ちてくる、という杞の国の人の心配は、いまや現実になっている。
いつ空から整備不良の飛行機の部品が自分の脳天を直撃するかもしれない
のだから。

100%安全だ、何の事故も起こらない、だから手を抜いても発覚しな
ければ、かまわない。その方が手間も経費もかからない。
問題に目をつぶるのではなく、無いことにする。

今の時代の人は、経費節減だリストラだといい、金がかからないようにする
のが何よりも正しい、と思いすぎているような気がする。組織の無駄遣い
を指弾することが勝りすぎ、非常事態に対応する柔軟なのりしろを削って
いるような気がする。閑話休題。


話を戻すと、順調で問題がない、このままでいい、と思った瞬間に、
危機は秘かに深く進行しているかもしれない、ということだ。
それをネガティブ指向と呼ぶのはけっこうで、オイラ個人も
これが文字通り杞憂としてあざ笑われた方が安心なのだが。

オイラが「杞憂」するのは、チーム管理である。
先発メンバーがほぼ固定している現状、はたして大丈夫なのか。
ベンチ入りできない選手にもっと精進しろと叱咤するのは簡単だが
人間どこまで耐えきれるかは個人差があるし、それをもって
個人の不満やモチベーションの低さを単に未熟やワガママと
切り捨てても良いのだろうか、という気がする。

和波の離脱と療養。
DOナイター交流リーグ出場選手の冴えなさ。
そして選手ブログの閉鎖。

出場できないメンバーへのケアは、果たして万全なのか。
折しも、小野選手の監督批判による浦和レッズの不協和音は
非ベンチ入り選手に対するオジェック監督のケアの悪さが
遠因であるという報道も仄聞した。
他チームのことだが、そんなニュースを聞いたサテ組の心理を
慮れば、対岸の火事と言えるのだろうか。

相川と智樹のブログ閉鎖、と聞いた途端、
オイラの脳裏には「移籍、契約解除」という単語がかすめた。
杞憂であって欲しいと思っているのは、誰よりもオイラである。

posted by FT |21:44 | コンサドーレ札幌 | コメント(2) | トラックバック(0)