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2006年03月22日

栄光は誰のために

タイトルがこうだからと言って、別にブラチク星人が
出てくるわけではない。念のため(笑)
 
サッカーというのは本来はどうだったのかはよくわからないが、
W杯が出来て以来は、国家間戦争のミニチュアともいうほどの
ナショナリズムがバックボーンになっている。オイラの類推では
そこを頂点としたピラミッド構造の裾野として、Jリーグの
地域密着理念も引き出されてきているんじゃないかな、と思う
のだがどうか?(商業野球との差異化とか、要素はそれだけじゃ
ないとは思うけどね)
 
地域密着というのも、言い換えれば地元至高主義であり、
まさにプチ(ああ、嫌いな言葉)ナショナリズムの形として
Jリーグの各チームは支えられているわけだ。
(また例によってくどい前提をのべているな自分)
 
何かというと、少しく不快なものをテレビで散見したからである。
愛媛戦の体たらくのことではない(笑)
 
WBCで日本チーム(こういうところで王ジャパン、という
慣用語をことさら嫌がってる自分、やはり天邪鬼(汗))の
優勝を報じている。いまだにしつこく、尾を引いている。
それはいい。オイラも実は中継を見ていた。後半は愛媛戦と
ザッピングして見ていた。勝ったのはご同慶の限りで、実に
おめでとうである。身びいきがあるのは全く否定しないから
オイラもそこそこ嬉しかった(愛媛戦の勝利の方が嬉しかった
ろうが)。
 
しかし、そんな中でどうにも気になる「文脈」がちらほら
目に付いてしまう。
勝利に興奮したんだか、ファンが「日本人で良かった」と
絶叫している姿。
オイオイ、あなたが勝ったわけではないでしょうに。
日本人全部が優秀だから勝ったわけでもないでしょうに。
勝ったのは、あのスタジアムに参戦したチームの選手であり、
勝てたのは彼等の能力が優れていたからであり、そして
その優勝の栄誉はあのチームのメンバーのものだ。
 
オリンピックでもそうだ。
個人(もしくはチーム)が勝ち得たメダルを、いつのまにか
「日本のメダル獲得数」という数字に還元して、ちゃっかり
その栄誉を横取りしている構図。
先日のトリノでなかなか結果のでない選手に無礼にも浴びせられた
罵倒は、その栄誉のおこぼれにあずかれないさもしさが
もろに現れていた。
 
それと表裏一体で、今回の野球の優勝をあたかも愛国心の発露
がどうのという文脈で語っているコラムやら何やらを複数見かけた
が、オイラから言わせればそんな愛国心は、上記のさもしさの
背面でしかないだろう。
 
ついでに、WBCに参加しなかった松井への隠微なバッシングも
ネットではさんざん行われているようだ。
愛国心を振りかざす連中にとって、そういう自分を正当化する
もっとも簡単な方法は、他人を貶めて相対的に自分を高めること。
平気で他人を「国賊」「非国民」「反日分子」と呼ぶ社会は
オイラにとってマトモとは感じられない。だが、あいにく世の中は
そっちにむかっていっているようだ。
 
まとめ。
WBCの優勝の栄誉は、日本チームの選手達&スタッフのものだ。
同じ日本人だからといって、その栄誉を横取りすることは
誰にも許されない。
 
サッカーにまつわり、切っても切り離せないナショナリズムの問題は
いずれまた触れることがあると思う。オイラももっと冷静に考え
続けていきたい。またもメンドクサイ話題でみなさんに陳謝。


posted by FT |22:38 | サッカーから見えること | コメント(2) | トラックバック(0)