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2006年01月28日

天はサポの上にサポを作らず、サポの下にサポを作らず

前回のエントリはタイトルが少々過激な言葉だったせいか、
かなりのアクセス数になり、今まで全く無縁だった
アクセスランキングにも25日の第28回では23位に
入っていたのにはちと驚かされた。
この問題について多少はサポの皆さん気になること
なのかな、と再認識。もっとも、たぶんすでにあちこちで
さんざん言われてきたことなのであろうとは思うが。
 
ただ、また数日ご無沙汰だったので、この問題が他の方々に
どれほどの波紋があったのかは確認してないが、大した影響は
無かったようで。
 
ま、前回のエントリも実は自分でもツッコミ放題な文章で
あることは自覚していて、反論コメントがそこに行っちゃったのは
仕方ないなとは思うんですが。
 
ただ、当方が一番気になる部分への反論は残念ながら無かった。
オイラが一番気になったのは。
「うちのゴル裏ヤバイ」「ひどすぎ」という言葉だったのね。
熱烈サポ(前回書き間違え陳謝)席で声が出てないのがいる、
突っ立ってだけ、ああいうのはちゃんと分けて、声出す人だけ
真ん中に固まれ、それが出来ないなら熱烈サポ席無くせ、
というのが意見の要旨だと思ったんだけど。
 
オイラにとってゴル裏がヤバイ、なんてのは、某チームで
サポが分裂し睨み合って、互いにバラバラな応援している、
なんて状態になってこそ「ヤバイ」のレベルであって、
うちなんか多少はウルトラスへの非難がたまに漏れつつも
まとまってる方じゃないのかなあ。
呑気だと言われそうだが、たかが1万人前後の集客が常態に
なっているJ2チームであれだけの応援が出来てるのは
かなりのレベルだと思うんだけどね。
 
何よりも、上記のような意見には、明言していないものの
言葉の裏に「排除の論理」が見え隠れしている。
分けた方が良い、という言い方には、明らかに
声を出していない「怠け者」を追い出せ、そうすれば
応援は「効率よく」迫力のあるカッコイイものになる、
という発想だ。
 
確かにかっこよくて迫力ある応援が出来れば
いろんな意味で満ち足りるだろうけれど。
でもそれって、社員の気持ちも考えずクビを切って
効率化しようというだけの企業の経営者と同じだなあ。
でも、社員(サポ)を峻別して役立たずは追い出せば
いい、というのはどうだろう。それって「客観的な批判」
のように見えながら、実はどこかで自分を高所において
いるんじゃないだろうか、とさえ思うのだ。
そんな「企業の論理」が厳然として社会にあるのは
やや不愉快ながらもしかたないかもしれないが、
愛するチームを応援する場にまで持ち込むのは勘弁。
 
確かにどうにも盛り上がりが悪いなあ、と思う試合も
昨季あったし、これからもあるだろう。
アウェイ側の相手サポの方が声が出てる、と感じるときもある。
(音響的にはそういうこともあるらしいから、それを引き合いに
うちの応援がヘボいとか言う人も去年いたけど、そう単純ではない
ことは承知しておこう)
 
でも「そういうこともあるのさ。今回はイマイチでも
次に頑張ろう。選手と同じように」でいいんじゃないかなあ。
危機意識を持つのは大切だけど、理想を求めすぎてそれに
合わないものを峻別・排除することまで掲げるのはどうだろう。

清濁併せ持つ、という言葉もある。
一色で塗りつぶす、という方法論もあろうが、
多様さを寛容をもって包括する、という方法でも良いんじゃないか
とオイラは思う。
ゆえに、熱烈サポを「囲い込む」のも、ユルサポを「排除」
するのも避けた方が良いんじゃないか、というのが考え。
 
またメンドクサイことをヌカしてしまって陳謝。
でもこの件は雨後の筍のようにこれからも出てくるだろうから
その時にさらに考え続けていこうとは思う。
 

最後に、コメントで反論いただいた皆さんをあげつらうような
文章になったのは本当に申し訳ない。自分が無謬だと思っている
ワケでは決してないので、どうか寛恕していただければ幸い。
札幌を応援する気持ちに変わりは全くないつもりです。


posted by FT |08:56 | サッカーから見えること | コメント(4) | トラックバック(4)