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2007年06月10日
前半の最後のほう、芳賀が主審に邪魔されてディフェンスできず、抜けて行った鳥栖の選手をブルーノが引っ掛けて警告、ってのがありまして、その前から中山や西谷が判定に不満そうな様子を見せていたこともあって、いやこれはちょっとイヤな雰囲気だなと感じていたのですが、とにかくそのままハーフタイムを迎えて、ほっと一安心…という状況だっただけに、後半開始直後に得点できたのが大きかった。目の前で藤田がズドンと決めたのは美しかった。 そこから先は、もう1点取ってくれれば試合も決められたとは思うんですが、もう負ける気がしなくて、(試合開始前とハーフタイムにはフクアリのサマナラ並みに行列していた)ドイツ人も絶賛のホットドッグを買いに行っちゃったりしたもので(まだ試合やってるのに)、これ以上の試合の感想を述べる資格は今日のわたくしにはございません(^^;)。 これから羽田乗り継ぎで帰ります。千歳着21時で、そこからさらに札幌まで…まあ、なんでもいいや。
確かにおいしいけれど、500円は微妙かな。
2007年06月09日
しょせん帰りゆく(以下略)♪
昼間は柏の葉で柏‐大宮見てました。吉原のチャント「♪こおた、…」ってのが懐かしの「てっつじ、…」のメロディでおもしろかったです(って、ほかに語ることがない試合ってどうよ?)。
1週あけただけでまた日曜日の九州は、体力的にはしんどいっす。月曜日は朝8時から札幌で会議だし。
よかネットカード買っちまったよ(^_^;)。
2007年06月06日
コンサドーレのチーム通算得点数が前節までで499点になった、というのは、あくまでJリーグでの記録です。確かにJリーグは記録が整備されているから、メモリアルゴールもすぐにわかるのでしょうが、このチームは最初からJリーグだったわけじゃぁないから、サポーター的には、Jリーグ所属期間中だけをカウントするのはいまいちしっくりこない。 そこで、1996年と97年のJFLでのリーグ戦も合わせて数えてみたら(もしかしたら数え間違えている可能性もありますが^^;)、前節までの通算得点は636でした。従って、次の試合での最初の得点は、チーム通算637点目です。 通算500点目は、2005年第18節、6月ながら炎天下で行われたアウェー横浜FC戦の前半6分、スローインをうまく受けた砂川誠が上げたクロスを中山元気がヘディングで決めたゴールです。 ついでに、他のメモリアルゴールも… (きちんと検証できていないので、引用はしないでください^^;) ■通算100ゴール 1997年JFL第15節(A)福島FC戦 73分 マラドーナ(直接FK) ■通算200ゴール 1999年J2第7節(H)モンテディオ山形戦 41分 吉原宏太 ■通算300ゴール 2000年J2第32節(A)ヴァンフォーレ甲府戦 27分 エメルソン ■通算400ゴール 2003年J2第5節(A)大宮アルディージャ戦 86分 ウィル ■通算600ゴール 2006年J2第44節(H)モンテディオ山形戦 65分 フッキ たくさん点を取ってる人が当たる確率が大きいのは当然にしても、見事につまらん顔ぶれですね(^^;)。抜けてる名前はバルデスぐらいですかね。 300ゴールから400ゴールまで足かけ4シーズンもかかっているのは、2001~02年はJ1で試合数が少なかったためです。02年の場合は、得点そのものも少ないのですが、それでも、最終節に5得点取ったことがきいて、シーズン30試合で合計30点取っています。その2年後には、44試合もやったのに合計30得点なのですから、いかにあの年が苦しかったか(そしてよく僕たちも我慢したものだ)と思います。 そういえば、思い出した。2001年のどこかの試合(厚別)で、「J1通算100ゴールを決めるのは誰だ」クイズがあって、当選者には抽選でその選手のサイン入り色紙がプレゼントされたんですが、このとき、ものすごく無難に「ウィル」と書いて応募したら(確か試合会場の箱に応募用紙を入れる方式)、しばらくしてから我が家にウィルの色紙が送られてきたのでした。
2007年05月31日
前回の冒頭で余計なことを書いてしまったら現実になってしまったので(言霊とはよく言ったものだ)、今回は淡々と行きましょう。 前年の最終節でハットトリックを達成したFW曽田でしたが、ジョアン・カルロス監督で始まった2003年は、DF曽田の先発が増えます。 (33)2003.3.22 #02 山形2-3札幌@べスパ 交代出場(72分、砂川→曽田) 1ゴール(通算4得点2アシスト) 砂川との交代ですが、曽田は攻撃要員として入ったのではありません。曽田が入った後、大森と和波(右サイドバックやってたんですよね、なんと)がポジションを上げて、4バックから3バックに変更したのです。 そして、この試合、わずか18分しか出場していない曽田が、観客を無駄に楽しませてくれたのでした。札幌2-1山形だった残り7分から何が起きたのか、当時、自分が書いたもの↓で振り返ってみましょう。
83分、大島が前方へ浮き球のパスを送った。星が、右サイドから中央へと、ボールの落下点へ向かって斜めに走ってきた。大島からのパスをクリアしようとした曽田が、一瞬、星に気を取られ、星とボールの両方を後ろへ逃してしまう。星は、佐藤洋平が飛び出してくる前にループシュートを放った。なんと、同点である。ああ、曽田、ソダ、そだ。。。(ある意味、曽田らしいプレーともいえるのだが)。。。札幌は、今年もまた、試合終盤に悪夢を見なければならないのか。これでは昨年と同じではないか。
しかし、曽田は、自らのミスを自分で帳消しにした。85分、札幌の右CKがクリアされるも、中央でこれを拾った森下が右へ流し、平間がふわっとしたクロスを放りこむ。今野がこれを胸で落とし、堀井のシュートが外に流れたところを曽田が右足で押し込んだ。
曽田の活躍(?)が印象に残る試合を5つ上げろといったら、僕はこの試合を入れるでしょう。そのぐらい、記憶に残る大活躍(笑)でした。 (34)2003.3.29 #03 札幌2-4水戸@札幌ドーム 交代出場(89分、今野→曽田) この試合の後の(たしか4月1日の)練習で、レギュラー組のGKが、突然、佐藤洋平から藤ヶ谷陽介に替わりました。同時に、右サイドバックが和波から中尾に(和波の右ってのがそもそも無理だったと思うんだけど)、中央の森が曽田に、左の大森が和波にと、いかにもブラジル人チックな最終ライン(ほぼ)総取っ替えが行われたのです。 個人的な話ですが、僕はこの頃は無職だったので(苦笑)、けっこうな頻度で宮の沢に通ってました。だから、目の前で起きたこのメンバーチェンジには、びっくりしたのですよ。開幕から3試合で9失点だったから、とにかくメンバー替えようってことだったのでしょう。前年の柱谷監督は、序盤の守備崩壊をみて、4バックをあきらめて3バックにしたのですが、ジョアンは4バックは変更しませんでした。 (35)2003.4.5 #04 新潟0-1札幌@新潟市陸 先発(通算9試合目)フル出場 藤ヶ谷+和波-曽田-西澤-中尾で臨んだ雨の新潟戦は、ホベルッチの退場にもめげず、堀井の高難度ゴールを守りきって勝ちました。試合後、多くのサポーターが乗った新幹線がチームと一緒だったのも楽しい思い出。ゴール前に立ちはだかった曽田に、神が降臨した日、でした(いや、この「神」は冗談でなしに、本当にこの日の曽田はすごかったのです-ただし、今年は、この日と同じぐらいのプレーがずっとできているように思います)。 (36)2003.4.9 #05 大宮1-1札幌@大宮 先発(通算10試合目)フル出場 (37)2003.4.12 #06 札幌5-0福岡@室蘭 先発(通算11試合目)フル出場 (38)2003.4.19 #07 甲府2-1札幌@小瀬 先発(通算12試合目)フル出場 (39)2003.4.26 #08 札幌0-2広島@札幌ドーム 先発(通算13試合目)フル出場 (40)2003.4.29 #09 鳥栖1-0札幌@鳥栖 先発(通算14試合目)フル出場 曽田がユーティリティープレーヤー(最近のはやり言葉だとポリバレントな選手)としての特徴(?)を存分に発揮した試合でした(結果は鳥栖にシーズン初勝利をプレゼントしたのだが)。 この試合のフォーメーション↓(当時の自分メモによる) 1.試合開始(~前半終了):鳥栖が先制2.後半開始:堀井→佐藤尽に交代 1点ビハインドで、後半開始から曽田は前線へ3.後半15分:西田→相川に交代 中尾と森下がポジション下げる。曽田は影響なし。4.後半21分:新居→森山に交代 曽田を中央に置いた3トップ。5.後半32分頃:選手交代なし 鳥栖選手が負傷治療の間に、カルロス監督が曽田を呼び、曽田が下がる。後半途中から出場した相手W(服部浩紀)への対応か?6.後半40分頃:選手交代なし 曽田がふたたび前線へ。後ろは2バック。しかし前にスペースがなくなり、点が取れないまま試合終了。かなり長くなってしまったので、本日はここまで。
2007年05月29日
4年前にJ2全44試合を現地観戦したときは、その前年のJ1全30試合の経験と比べて「J1は楽だなあ」と思ったものでありましたが、そういう自分は、当時はほとんどまともに仕事をしていなかったので、アウェーゲームといっても、前日に入って当日ないし翌日に札幌に戻るようなことはせず、初めての土地をぶらぶらしながら帰ってきたり、アウェーが続くときはその間は札幌には帰らなかったり(^^;)といったリズムで観戦生活を続けておりました。 それでもJ2全44試合はきつかった。いや、まあ、夏が終わる頃には昇格がほとんど幻となり、自分のモチベーションを保つのが難しかったってのもありましたが(^^;)。 先週から、たまたま、自分自身がチームと同じような行動をしていて、というか、水曜日の平塚はサッカー絡みの仕事で平塚競技場に行くことが目的だったから「たまたま」との表現は正確ではないのかもしれないけれど、とにかく、火曜日に千歳から羽田へ飛び、水曜日に平塚で試合、木曜日に羽田から千歳へ戻り、金曜日だけは札幌で仕事をして、土曜日に千歳から福岡(新千歳空港で西澤の姿を見て安心した)、日曜日に試合を終えてチームとまったく同じ便で札幌に戻り-と、6日間で5回飛行機に乗りました。 観光旅行ならともかく、仕事をしながらこういう動きをするのは、大変です。三浦監督は湘南戦の直後のインタビュー(スカパー)で「選手は去年も経験しているからもう慣れているようだ」といったことをおっしゃっておられましたが、でも、やっぱり、大変ですよ。選手はもちろんですが、チームスタッフも、経費節減で最低限の人数しか帯同していませんから、やることはたくさんあるでしょう。自宅でのんびりすることもできなければ、精神的にもきついはず(だから、いったん負けはじめると、なかなか立て直せなくなるんでしょうね)。 一昨日の福岡から羽田までは、僕のすぐ脇の中央部分(5人掛け)の席に、松井コーチ以下、チームスタッフの方々、選手のみなさんが座ってました(監督は前のほう-でもクラスJではなく普通席でした)。空港で見かけると出張帰りのサラリーマンにしか見えない砂川あたりはまだしも、ダヴィ、中山、優也をはじめとするデカイ人たちが、あの狭い座席に押し込まれているのは、傍から見ていると、けっこう、しんどそうです(でも、ああいう試合の後だったからか、みんな明るかった)。 こういう体験をして、ああいう光景を目にすると、一方的な愛情の押し付けや、無遠慮な声かけは、しづらいです。ましてや、ファンサービスが足りないなんて、言いづらい。いや、別に、空港でサインもらったっていいんですけど、そういう行動に走る人は、意外なぐらい、いなかった。いなかったけど、選手もサポーターの存在を意識している(中山元気のブログ)。すごくいい関係が築けつつあるんじゃないかなあと思うのであります。
2007年05月28日
相変わらずヘタレなバックスタンドの屋根の下で直射日光を回避する観戦でありました。ずっと日差しの下で歌っていたゴール裏のみなさんには頭が下がります。 そんな僕が言うのもなんですが、暑さは、もちろん現在の札幌に比べれば暑いんですが、気になるほどではなかったと思います。確かに気温は高いものの、湿度が低いので、道内にいると体感することのないべたべた感はなく、札幌の真夏のような感覚でした。 試合前は、諸事情を考えれば今日は引き分けでもよかろうと考え、前半に1点取られた後で2度のビッグチャンスを決められなかった(左サイドバック・カウエのオーバーラップから池内がフリーでヘディング→枠をはずれる、ダヴィのドリブルから中山が粘ってフリーの大塚がシュート→GKキャッチ)後では、正直、負けも覚悟しました。 前半は、失点の場面を含め、札幌の2列目と3列目の間を福岡にうまく使われてましたから、このままなら福岡の2点目がいつ入ってもおかしくないとも思ってました。あのエリアを相手に使われるのは札幌ドームでの水戸戦のときと同じで、前節の湘南戦ではラインの間をコンパクトにすることでうまく対応できていたのですが、メンバーが替わっているから、同じようにやるのは難しかったのでしょう。 後半開始早々に同点に追いついてからは、札幌がよくなったというよりは、福岡が妙に落ち着きを失ってしまったような印象です。ハーフタイムにスタジアムDJが「前半はリードして終了しましたが、大事なのはこれからの45分です」と言ったことを含め、スタジアムの空気もどことなく不安定で、なるほどこれが3連敗中(しかもうち2敗は逆転負け)のチームなのだな(札幌も去年まではそうだったもんな)と感じました。 それでも、僕は、今日はもう引き分けでいいと思ってました。だから、90分を過ぎて、高木がカウエに渡したボールをカウエがドリブルで持ち上がろうとしたとき、余計なことしなくていいぞ、遠くにボールを運んでくれればいいからと思っていたのでした。それどころか、引き分けで逃げ切るなら、攻撃参加したがるカウエを下げて吉瀬を入れたほうがいいんじゃないかと思っていたぐらいでした。 今となっては、そんなことを考えた自分の不明を恥じるばかりです。 砂川がヒールで戻し、カウエがそれを拾ってから前方のスペースへ出して砂川がふたたび受け、高速クロスが入った先にダヴィとケンゴが走ってきてズドン!と、あの一連のプレーは、今もまだ脳内動画として残っています。夢見てるんじゃないか?今のは本当に起きたこと?と、試合が終わってからしばらく経っても信じられなかったのは、久しぶりです(たとえば札幌ドームだとリプレー映像が流れるから、こういう余韻の味わい方はできないんですよね…だからリプレーやめろってわけじゃぁないけど、設備が整いすぎているがゆえに失われている楽しみもある、ってことです)。 がっかりしたのは、あの(結果的には決勝点となった)石井のゴールの直後、福岡の選手がみな呆然としたまま立ち止まってしまったことです。相手チームなのだからどうでもいいといえばその通りなのですが、残念なことでした。精神的にいちばん闘える選手であるファイター布部が途中交代ですでにピッチにいなかったのは、福岡素人な僕にとっては、不可解なベンチワークでありました。 前節のダヴィ→砂川→ダヴィの決勝ゴールも、今回のカウエ→砂川→石井のゴールも、けっして一朝一夕に生まれたものではなく、柳下前監督が作りあげてきた攻撃の形(とその基礎となる技術)があってこそ、だと思います。世間はどうしても「三浦マジック」的な評価をしたがるのでしょうが、柳下時代に培われてきたものが、いま、花を開かせつつあるのでしょう。 激しいゲームの中で最後まで足が止まらないのも、柳下時代に走りまくるサッカーをしてきたからです(それは昨年の途中から砂川が電池切れにならなくなったことで感じてきたことであり、今年になってからは西谷が最後まで出場し続けられるようになっています<移籍してきたばかりの頃、すぐに足をつっていたことを考えると、今の西谷はまるで別人です)。 そして、今年、勝ち続けていることによって得た自信が、最後の最後まであきらめない、先に点を取られてもなんとかなるだろうと思えることにつながっているのでしょう。 ケンゴのゴール直後、ベンチで抱き合う選手たちとは別に、バックスタンド側では誰か(芳賀?)が砂川に覆いかぶさっていって喜びを爆発させてました。あれ見られただけでも、テレビ観戦じゃなくて現地に行ってよかったと思いますわ。かなり無理して行ったし、帰りはもしかすると札幌に戻ってこられないんじゃないかと思ったりもしましたが、ホント、行ってよかった。遠くのアウェーゲームに急に思い立って行くときは、「当たり」が多いです(柳下さんの1年目の福岡戦で連敗を止めたときもそうだった)。ちょっとした予知能力かも(笑)。 アウェーチームが勝ってももらえるんだと、ちょっとびっくり↓
2007年05月27日
飛行機が遅れましたが、とにかく帰ってこられただけでもよかった。何しろ実は僕は全日空の航空券を持っていたのでした。午前中のうちにジャストアイデアでJALに振り替えてくれた福岡空港のおねえさん、ありがとう。
福岡空港からずっとチームと一緒でした。福岡→羽田は5人並び席×4列のチームのみなさんの真横で、選手それぞれにフライト中の時間の過ごし方が違っていておもしろかった!?です。
今日はパソコンを持って来なかったので、試合の感想は帰宅後または明日以降に。
千歳降りたら寒くてビビった。ずっとTシャツ一枚でしたから。
2007年05月25日
曽田雄志のJリーグ通算200試合出場がいよいよ明後日に迫ってきたので(予定<風邪引くなよ^^;)、丁寧に振り返ることはまたあらためてやるとして、プレスリリースふうのまとめ。 2001年(背番号23):J1(年間30試合) 9試合出場、得点なし 2002年(背番号18):J1(年間30試合) 23試合出場、4得点 2003年(背番号18):J2(年間44試合) 38試合出場、4得点 2004年(背番号4):J2(年間44試合) 38試合出場、2得点 2005年(背番号4):J2(年間44試合) 40試合出場(チーム最多)、1得点 2006年(背番号4):J2(年間48試合) 35試合出場、1得点 2007年(背番号4):J2<第17節まで> 16試合出場、4得点 J1リーグ 32試合出場、4得点 J2リーグ 167試合出場、12得点 (合計 199試合出場、16得点) コンサドーレ札幌の選手としての試合出場数はすでに田渕龍二を抜いてトップですから、コンサドーレだけでの200試合出場は、いうまでもなく、前人未到の世界です。 J2で戦っている2003年以降に関しては、前節までのチーム試合数196試合のうち167試合(85%)に出場しています。なんだかんだと言われながらも、ジョアンも張さんもヤンツーさんも、みんな我慢してよく使い続けた結果が、今年のチームの堅守を支えているのです。 まあ、ここまでいちばん我慢したのは、サポーターかもしれませんが(笑)。次は300試合目指してがんがれ(<まだ200試合達成してないって^^;)。
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