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2006年10月14日
見ましたか?HBCテレビの夕方の生番組-「来週土曜日夜の日本シリーズ第1戦はHBCで生中継です」と局アナが語る傍らで「日本シリーズもいいけど札幌ドームに来てください、コンサドーレのOB戦やります」と勝手に叫び続けた男・野々村芳和。 あんなことで番組を降ろされることはないと思いたいが、ちょっと心配(半分マジで)。 野々村さんには今日も大拍手。本当に愛してくれてるのね。ありがとう。
2006年10月13日
今夜の「コンサでアシスト!」に、関浩二、深川友貴、名塚善寛の3コーチが出演し、10周年記念試合への抱負を語っていた。関コーチ(選手?)は、自らジャージの上を脱ぎ、半袖姿を披露(笑)。そこで、半袖アピールに敬意を表し、今日の10周年感謝デイ特設ブログへのトラバは、関浩二に決定。 1999年J2リーグ第21節。この試合が始まる前の時点で、コンサドーレ札幌は6位で、J1昇格圏内である2位との勝ち点差は11。残り試合が15であることを考えれば、ここで負けたら昇格は絶望的になる(と、このときは思ってたんだが、この年は最後の最後に思いがけず接近するんですよね)。対する大分トリニータは、2位と勝ち点差5の3位。 コンサドーレは、2節前の19節から、梶野とビジュのドイスボランチの前に棚田を置き、前線にはアシス、深川、吉原を並べるという攻撃的布陣を敷いていた。この21節の大分戦でも同様だったが、名塚のゴールで先制するも神野に2得点を決められて逆転されると(結果的に神野はこの年の得点王になるんですよね)、梶野→関、棚田→黄川田と、次々とFWを投入(この辺が岡田監督の采配の限界だったような気がして、だから僕は岡田さんはあんまり信用してなかったりするのね)。 しかし1点ビハインドのまま、試合はロスタイムへ。僕はこのとき、ああ、もう、これで今シーズンは終わりだ…と思いながら、(珍しく)ホーム側のゴール裏で見てたのです。 ロスタイム、右からのコーナーキック。ホームのサポーターを背にしたGK佐藤洋平が、守るべきゴールを捨てて相手ゴールへ向かって走って行った姿は、今もまだ思い出せる。その洋平の姿にどよめく中、アシスが蹴ったボールが関にどんぴしゃで入り、同点に追いついた。背中の背番号11を両手で引っ張って、自らの存在をアピールする関。これも、今もまだ、はっきりおぼえてる。 コンサドーレの背番号11はなぜか翌年に契約してもらえないことが続いていて、関もこの年のオフに戦力外になってしまうのだが(背番号11の呪い?を破ったのは播戸が最初)、記録には残らなくても記憶に残る選手だった…なんてことは、僕が言うまでもなく、みんなわかってるか。 関浩二が東京ガスから(当時のJFL得点王の称号を引っさげて)ベルマーレ平塚に移籍した直後、1996年の京都パープルサンガ戦@西京極でのJ初ゴールを生で見たのは、僕のプチ自慢(?)。それにしても、なんであんな試合をわざわざ見たんだろ?(僕は当時、東京に住んでたんですけどね)
2006年10月12日
サポーターズ持ち株会の招待券をまだ使っていない方、ぜひ、ご協力を。 10月20日まで受け付けているそうです。 何のこと?と思った方もいらっしゃるでしょう。わたしが説明して舌足らずになってもいけないので、詳細はこちらで。 ご存じない方は、ぜひ、上記リンク先をご覧になってください。
2006年10月12日
コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログ(長いな^^;)の大野貴史にトラバ。 貴史と書いてよしふみ。セカンドステージから突然出てきて、いきなり五輪代表候補に呼ばれちゃった大野。同じ五輪代表候補には吉原宏太も呼ばれてて、厚別には「宏太の夢は俺達の夢 大野の道は俺達の道」という横断幕があった。あれ、好きだったなあ。 その大野がJリーグ初ゴールをあげたのが、1998年Jリーグセカンドステージ第12節のベルマーレ平塚戦。なぜだったか忘れたけどマラドーナがお休みで(出場停止だったのか?)、レンタル移籍してきて間もない棚田伸が先発したのだが、コーナーキックが続けてゴールラインを割ってしまうなど、まったくダメだった。この日の思い出は、大雨と、ダメな棚田と、大野のヘディングでのゴール、ぐらいだな。 水曜日の夜で、たしかBSで中継があった。僕は何かの理由で会社を休んで見に行った。観客が少なかったので、ずっと、傘をさして見ていた。 あらためて当日の記録を見ると、前後半90分間でのシュート数はベルマーレが26に対しコンサドーレ8、延長戦まで含めた120分間ではベルマーレのシュート数はなんと37本(コンサドーレは10)。コンサドーレ-新日鉄大分どころではないシュート数なのに、よく2-2で引き分けられたものだと思う(結果はPK戦でベルマーレの勝利)。 大野は、2000年からチームが森-名塚-大森の3バックを採用するようになったことで出番を失ってしまった。勝ちに行かねばならない状況下ではやむを得なかったのだろうが、もう少し我慢して使い続けていれば…と、思わないでもない。
2006年10月12日
コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログの山橋貴史にTBしている勝手に叱咤コンサさんのエントリー読んで、僕もあの日のことが甦ってきた。 1997年JFL第9節、江戸川区陸上競技場で行われた東京ガス戦。今から考えるとすごいことなんだけど、ここまでコンサドーレは開幕8連勝だったのだが、この日はマラドーナがお休みで(出場停止だったんだっけ?<とにかくお休みだったことだけは記憶しているのだが)、鳥居塚が代役を務めていた。予想通り(?)コンサドーレは苦戦し、延長戦30分を終えてもスコアレスのままPK戦となり、最後は山橋が止められて、このシーズン初めての敗戦を喫したのである。 そう、でも、山橋は、この日MVP級の働きだった。6月7日なのだが真夏のような暑さの中、最後まで運動量が落ちることなく、とにかく一生懸命走っていた。一生懸命やる(でも地味で記録には残らない)ってことでは、あの頃のコンサドーレを象徴しているような選手だったんじゃないかな。 柳下正明監督が来てから「走る」ことが突然クローズアップされたような空気があるけれど(被害妄想?)、このチームはもともと、一生懸命やることが特徴のチームだったはず。だから、田渕龍二や古川毅のような地味な選手が、いまだに人気があるんだと思う(彼らは出場試合数が多いので記録に残っている選手ではあるが)。 最初の昇格のときはともかく、2度目の昇格と札幌ドームの開業で、華やかさを求められるようになってきて、地味だけど一生懸命というよさが、徐々に薄れて行ったような気がしてきた(書きながら、なんとなく)。 こんなことばっかり書いてると、山橋や江戸川の思い出からどんどん離れていくので、今日のところはここまで。
2006年10月11日
完全に予定狂ったですわ。 天皇杯の次の相手、ジェフ千葉ですか。 29日のザスパ草津戦から11月3日のナビスコ決勝を経て、4日ないし5日の天皇杯を見てから札幌に帰る、その間はずっと東京でお仕事…という心積もりをしていて、唯一の危惧は天皇杯の相手がナビスコ決勝進出の2チームにならないこと、だったのですが、そのうちの1つに当たってしまうとは… リーグ戦の試合間隔的にも、よろしくないですわね。 それにしても天皇杯でジェフって、これで3度目ですかね?JFLのときだったか、1点ビハインドの終了間際にディドが相手ゴール前まで上がっていってシュートして、それがクロスバーに当たった、ってのがありましたよね。 試合の展望の前に、自分の予定をなんとかせねば(笑)。 先月はなぜかフクアリに二度も行ってしまった↓![]()
2006年10月11日
他のクラブのお話ですが。 パラグアイに「日系ベルマーレ」というチームができました(湘南ベルマーレのプレスリリース)。声に出して読むと「日経ビジネス」みたいですが(?)、湘南ベルマーレの関連クラブという位置づけのようです。 で、パラグアイといえば、思い出すのはデルリス。調べてみたら、バルセロナというチームで活躍中でした。バルセロナといっても、ロナウジーニョがいるチームではなく、エクアドルのチームなんですが。 そのエクアドルのバルセロナの公式サイトの真ん中にある写真の、柏レイソルみたいなユニフォームの9番つけてるのがデルリスっぽい。 もうちょっと余裕があれば、残しておいてもよかったんだろうけどなあ>デルリス
2006年10月04日
出張で東京に来ましたよ(今日は夜遅くまで打ち合わせ予定ありなのでガーナ戦はテレビでも見られないと思われる<当日券あるって聞くとちょっと心ひかれるものはあるが)。 羽田空港で、東京では昨日発売(札幌では明日発売)のサッカーマガジン最新号を買いましたら、これがなんとまあ週刊誌というよりはJクラブ10年の歴史をまとめた資料本という趣でありまして、420円でこれだけ情報量があるのは、かなりのおトク感です。初期からJを見ている方、最近になって見始めた方、いずれにもおすすめ。 J1J2全クラブの歴史と各年の基本フォーメーションが掲載されておりまして、基本的にはJ1クラブには2ページ、J2クラブには1ページずつが割かれているのでありますが、われらがコンサドーレ札幌は2ページ扱いです(J2では他に柏レイソル、東京ヴェルディ1969などが2ページでの扱い-仙台さんが1ページ扱いなのはちょっと気の毒)。 各クラブとも、「クラブの顔」的に現所属選手のうちの一人の写真がどーんと扉的部分に掲載されておりまして(神戸は三浦淳宏、仙台はボルジェス、鳥栖は新居、柏は岡山(<いい仕事してますね編集部))といった具合。 コンサドーレ札幌のページに登場している選手は…まあ、明日、本屋さんで手にとってみてくださいな。わたくしは「なるほどね~」って思いましたです。 Jリーグの歴史の特集号だから、JFLでの2年間は触れられておりませぬ。そこがJ初年度からJだったクラブとは違うところ(といっても、J以前の歴史を持っているクラブのほうが、もはや多いんですがね)。
2006年09月29日
やっと見ましたよ。雨の徳島ヴォルティス戦の録画。あそこで試合見てた人は、見てただけで十分えらいわ。テレビ見てただけで泣けてきちゃうほど。 で、その後、やはり録画してあったJリーグナイト!を見たわけです。こちらで野々村発言があったことは知っていた、というか、知ってたから見たんですが(録画したまま見ないことはよくある)、よくぞ言ってくれました野々村さん。 いきなり、番組冒頭ですよ。コンサドーレの番組でないどころか北海道の番組でもない、全国向け放送(スカパーだが)の番組の冒頭で、いきなりだもん。すばらしい。 あの日、厚別に行けなかったお詫びかたがた、Jリーグナイト!を見られない方に向けて、野々村さんの発言をここに再現(以下、大竹奈美ちゃんの合いの手は省略)。
(番組オープニング)
「今週も始まりますJリーグナイト、野々村芳和です」
「大竹奈美です」
「え~、ぼくは、さっき北海道から帰ってきたんですけど、昨日ね、札幌の試合の解説で行ってたんですけど、すごい雨だったんですよね。で、雨がすごくて、屋根のない厚別でやって、なおかつ野球、日本ハムが札幌ドームで優勝がかかる試合をやっているにもかかわらず、4000人のサポーターが厚別に来てくれたんですよ。すぅ~ごかったですよ。すごかったってのは、まあゲームもすごかったんだけど、よく来るな、えらいな、っていうか、嬉しいな、っていうかね。だってさぁ、寒いのよ、北海道って、もう。10度ちょいぐらいしかなかったんじゃないかな、昨日の夜とか。それで、雨でさ、雨よけるところもないの、スタジアムの中。にもかかわらず、サッカーのコアなファンはね、ありがたいな、っていう、いい話から入ってみました、今日は」
2006年09月27日
いいんだよ。お客が何人入ろうが、とにかく勝て。 とはいうものの、今日はついに5000人割れかもしれない。一昨年の9月、最下位独走の中、台風だったかの大雨で相手が水戸ホーリーホック(闘莉王になる前のトゥーリオがいた)とあって、これは観客が少なくても仕方ないだろうと思ったときでも(実際にこの日が確か今でも厚別での最低観客数になっているんじゃなかったっけ?)、5000人を切ることはなかった。新聞記事は「最低記録」をクローズアップしていたが、僕は「あんなんでも5000人も入るんだからすげえや」と思ったことであった。 で、このエントリーのタイトルなんですが。 今日は、わたしは、行けません。どうしても仕事の都合つかず。雨だから、寒いから、ドームでなんかやってるから、とかで、マイナスの要因ばかり並ぶ今夜のようなときにスタジアムに足を運んでこそサポーターだろう(勝ち馬に乗るのは簡単なのだ)と自己満足的に(笑)考えているというのに、都合がつかないことがとっても悔しい。 今朝、明け方に、相川がドリブルしてきてシュートしてゴールキーパーに当たってからころころとゴールに入る、って夢を見ましたよ(本当)。
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