カレンダー
プロフィール
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
コメント
検索
2007年05月24日
本日の湘南ベルマーレ戦は、ややお仕事モードだったため、アウェーサポーターらしさはまったく出さずに黙って見てました。センターサークル付近でボールを持ったダヴィが頭を振って右サイドを猛然と駆け上がってくる砂川に目をやったとき「そうだ、ダヴィ、右出せ!」と叫ぶこともなく、ダヴィからのスペースへのパスを受けた砂川が深く入りすぎてるんじゃないかと思って「砂川、打てよ!」と思ってもじっと口をつぐみ、ダヴィの滞空時間の長いヘディングシュートが決まったときに思わず手を叩きそうになっても手足をまったく動かさず、石のように固まってました。 あの2点目は、そんなわけで実に見事な得点でありましたが、同点に追いついたPKは、何がファウルなのか、まったくわからなかったです。湘南に意味不明のイエローカードがあったり、倒されたダヴィが下から相手選手を蹴りあげたように見えた(が主審はダヴィの背中側にいたので見えなかった)場面があったりと、今日は主審にだいぶ助けられた印象です。 今日の試合のよかったところ2つ。 一つ目。三浦監督の選手起用は、当たりました。前半はほとんど攻め上がることのできなかった(見るからに体の重そうな)藤田と、最初のチャンスで宇宙開発(懐)してしまった中山を、ハーフタイムで2人まとめて交代させたのが、大当たりでした。石井謙伍は、もうちょっとやってくれと思わないでもないけれど、前半の札幌にはなかった裏への飛び出し(をしようとする動き)と、積極果敢に前を向くプレー(中山はほとんどゴールを背にしてポストになる動きしかできなかった<そういう役割だといえばそれまでですが)を試みたことで、湘南の守備ブロックを下げさせました。 大塚投入のタイミングも、ぴったりでした。カウエの左サイドバック、あのぐらいの短い時間だったら、おもしろいです。トイメンに今季初出場(どころかベンチ入りすら初めて)の名良橋が出てきても、関係なく、えらく高いポジション取りしてました。 二つ目。曽田。近くにいたベルマーレな方のハーフタイムのコメントは「札幌は、攻撃は作れてませんけど、最後のところは全部跳ね返してますよね」。終了後は「曽田はうまくなりましたねえ」でした。ハイボールにはもともと強いのですが、今日は、前から来るボールに対しては、空中を飛んでくるボールだろうがグラウンダーのボールだろうが、とにかく相手選手の前に体を入れて先にさわり、攻撃の起点を作らせることをまったくさせていませんでした。グラウンダーのボールをカットしたときには、むしろ、自分たちの攻撃の起点になりそうなドリブルやパスまで見せることもあり、本当に頼もしかったです。 西谷は、PKは決めたけど、湘南の1点目のFKの原因を作ってるし、パスはほとんど通らないし、どうにもイマイチだったかな。ただ、前半は、後ろの吉瀬の守備が気になっていたようでもあり(アジエルを無理やり引っ張っちゃった1点目の直前の場面が代表例)、そこは割り引いて考えてやらにゃいかんかも。 ともあれ、ディフェンスの選手が2人も欠けた状況でのアウェーゲーム勝利、しかも今季初の逆転勝ちは、大きいでしょう。 ただ、アディッショナルタイム4分でコーナーキック取って、ショートコーナーからキープしようとしたらあっという間に取られて相手ボールスローイン、ってのは、勘弁してください(^^;)。
2007年05月22日
曽田雄志200試合出場記念企画をぶち上げておきながら早くも挫折しております(^^;)。明日の試合がつつがなく終われば、日曜日の福岡でめでたく200試合出場が達成されるのでありますが、ま、こっちはこっちで、手元に資料があるときに、ぼちぼちやってきます。 というわけで、現在は手元に資料のない場所-東京にいます。確かに暑いといえば暑いんですが(今日は札幌もかなり暑かったようですが)、空気はさわやかです。 コンサドーレが道外で試合をするときには、しばしば「暑さ」が取り沙汰されますが、これ、正確にいうと「蒸し暑さ」なんですよね。気温だけなら真夏の札幌だって30度近くになることはありますが、本州の夏の25度は真夏の札幌の30度よりもはるかに厳しい。あのべたべた感は、札幌にいる限り、どんなに気温が上がっても、絶対に体験できないです(したくもないですが)。 その点からすると、この時期の関東地方はまだ、多少気温が上がろうとも、札幌の夜とそんなに大きな差はないです。明日はさらに気温が上がるとか、関東平野には南からの風が吹き込むとかの予報も出ていますが、今夜の実感値+α程度であれば、気象条件は足を引っ張る要素にはならないでしょう。 ※草津戦の実況アナウンサーがやたら「暑さ」を口にしていたので(あのときはホントはどうだったのかは体験してないからわかりませんが)、自分の実感を書いてみました、とさ。
2007年05月14日
ハラトーキョー♪ というわけで、週末は日産スタジアムで山瀬功治の出場した試合と、味の素スタジアムで今野泰幸の出場した試合を見ておりましたので、曽田200試合記念企画はしばらくお休みしております。あんなものでも、過去の自分の観戦メモらしきものとか、独自の資料を一応参照しておりますので、自宅にいないと、なかなか書けないのです。 で、日産と味スタですが、山瀬と今野を見に行くことが目的だったわけではなく、ああそういえば結果的にそういうことになるのかと気づいたのは、味スタでキャプテンマークをつけたコンちゃんを目にしたとき、でした。 センターバックが藤山と今野ってどうなのよ、おまけにノリオがサイドバックで、前のほうは外国人3選手と川口信男ってすげーなあ…などなど言いながら、僕は、味スタのすさまじい空気に感心してました。 その後お会いした東京に詳しい方々いわく、あの雰囲気は今年初めてだそうですが、ゴール裏からは「今日は絶対にネガは言わねーぞ、絶対に勝たせるぞ」なパワーが発散しており、ピッチ上の選手たちもジェフのお株を奪うハードワーク、そしてアウェー側ゴール裏を除くスタジアム全体がピッチ上にエネルギーを集中させているといった様子に、サポーターでもなんでもない僕ですら「このチームはJ2に落としちゃいけない」と思ったことでした。 われらがチームも、あの味スタで東京とやれたら、最高でしょう。仙台とはまた違った熱気がありますわ。東京とのアウェーゲームは、2001年は丸亀(遠かったなあ)、02年は国立だったから、雰囲気は、いまいちだったような印象があります(むしろ1999年の西が丘の「のび太とジャイアン」あたりのほうが東京とやってるっぽかった<なんだか意味不明な表現ですが)。 で、土曜の夜に味スタにいて、今日の昼間は東京都内で仕事なら、日曜日は大阪まで行こうと思えば行けたのに、なんとなく行く気にもならなくて行かなかったので、昨日の試合については文字情報しか知りません。 2シーズンにわたって全試合観戦やってから、自分の応援しているチームの試合ばっかり見てると視野が狭くなるような気になって、ときどき、意識して関係ないチーム(あるいは関係ないスポーツ)も見るようにしてます。そうすることでまた新たに見えてくることもあり、それはそれでサポーター的行動としては間違いではないのだろうと、いろいろ理由を見つけて自分のアイデンティティの揺らぎを正す日々であります。
2007年05月10日
曽田のJリーグ初ゴール(2002年セカンドステージ第3節、vsヴィッセル神戸@札幌ドーム)が気になって、映像探し出しました(というほど苦労はしてなくて、すぐ出てきましたが)。2002年以降は我が家の記録媒体がDVDになってるから、ディスクさえ見つかれば、特定の場面を探し出すのは簡単です。 画面の左にいるのが曽田。右サイド(この画面上では左側)から酒井直樹がハイボールを入れて、曽田がすらして、画面右側のバーヤックが足元で受けてから曽田の足元へ流し、曽田が左足でグラウンダーの鋭いシュートを放った、のでした。![]()
![]()
この試合、NHK地上波で中継してたんだな。J1だったからね。
2007年05月10日
曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみよう企画の第3回は、2002年のファーストステージ最終節からスタートです。 (19)2002.8.17 1st-#15 札幌1-2v東京V@札幌ドーム 交代出場(74分、小倉→曽田) 曽田が入った時点では勝ってたんですけどね。アウェー側で東京Vのフリーキックになって、壁を作っているうちにロスタイム5分の表示が出て、いったんはクリアしたボールを放り込まれてファーサイドからやられ、最後は延長で桜井直人のスーパー高速ドリブルシュートですわ。 (20)2002.8.31 2nd-#01 札幌2-2柏@厚別 交代出場(79分、バーヤック→曽田) この試合も、曽田が入った時点ではリードしていたのだ。いや、別に、曽田が悪いわけじゃないんだけど。 (21)2002.9.15 2nd-#03 札幌1-2神戸@札幌ドーム 交代出場(64分、小倉→曽田)1ゴール(通算1得点2アシスト) 68分にプロ入り初ゴール。左足です。試合が終わってから、別の場所で見ていた友人(中立な関西人)から「あの選手、DFですよね」と聞かれたから、サブのメンバーとしての曽田の登録は、DFだったのでしょう。 (22)2002.9.18 2nd-#04 横浜FM1v-0札幌@横浜国際 先発フル出場(FW) 前節の得点が認められて、というよりも、この直前にシーズン二度目の監督交代があって、張さんが指揮をとった最初の試合で、曽田雄志3試合目の先発出場となったのでした。ビジュが3バックの真ん中で出てきてびっくりした、平日夜の閑散とした横浜国際で、またしてもVゴール負け。いや、曽田は、辛い時期を過ごしてますね(僕たちもだけど)。 (23)2002.9.21 2nd-#05 札幌1-2浦和@札幌ドーム 交代出場(59分、大森→曽田) (24)2002.9.29 2nd-#06 札幌0-1v磐田@札幌ドーム 先発(FW)→途中交代(92分、曽田→磯山) (25)2002.10.5 2nd-#07 清水3-0札幌@日本平 先発フル出場(FW) (26)2002.10.12 2nd-#08 札幌0-4F東京@厚別 先発(FW)→途中交代(68分、曽田→松川) これはいいでしょ。みなさんよくご記憶だと思いますから。曽田の誰も背負っていないポストプレーから誰もいないスペースへ出した力のないパスから生まれた、スタジアム全体から起きたため息は、忘れようにも忘れられんぞ。 (27)2002.10.19 2nd-#09 札幌0-1G大阪@万博 交代出場(70分、吉川→曽田) 筑波大からの同期入団だった吉川との初めての交代(だったのかと、いま記録見て初めて気づいた)。大学入学まで普通のサッカー部員だった曽田に対し、ジュニアユース年代からサッカーエリートだった吉川は、この年の序盤はセンターバックでレギュラーでしたが、この頃は、中盤で使われてました。 (28)2002.10.23 2nd-#10 札幌1-0市原@札幌ドーム 交代出場(54分、新居→曽田) 西田→新居でどうにかホームでの降格を阻止した試合。そうか、新居は途中で下がってたのか。終盤で古川がなんでもかんでも大きくクリアして、そのたびに観客が沸いたのはおぼえてるんですが、なかなか、ディテールは記憶してないものですね。 チームは、この次の試合(11節・鹿島戦)の敗戦で、J2降格が決まってしまうのですが、曽田は、その試合には出場していません。出場した選手で現在コンサドーレに選手として所属しているのは、和波、池内、西澤の3選手(池内と西澤は、当時は鹿島の選手ですが)。 (29)2002.11.9 2nd-#12 東京V3v-2札幌@東京ス 交代出場(45分、吉川→曽田) 記録上は吉川との交代となっていますが、後半開始から吉川と平間が下がって、相川と曽田が入っています。結果的には敗れましたが、前半の2点のビハインドをいったんは追いつき、しかもリーグ戦初出場の相川のゴール(49分)もあるなど、降格決定で沈む気持ちを多少なりとも明るくしてくれた、うららかな秋の日でした。 (30)2002.11.17 2nd-#13 札幌1-0名古屋@札幌ドーム 先発フル出場(FW) 前節の活躍を受けて、この試合と次の試合は、曽田と相川が先発2トップを組んでいます。この年は高卒ルーキーだった相川の背番号は、前年は曽田がつけていた23番でした。 (31)2002.11.23 2nd-#14 仙台2-0札幌@仙台 先発フル出場(FW) これだ。僕がこの間書いた、リカルドと曽田が激突して流血した試合。仙台はこの勝利でJ1残留が決定し、こちらはかなり惨めな気分にさせられたものですが、ピッチ上の選手はなおさら、だったことでしょう。 (32)2002.11.30 2nd-#15 札幌5v-4広島@札幌ドーム 交代出場(44分、新居→曽田) 3ゴール(通算4得点2アシスト) 警告1(69分、C5=通算1) これは説明省略(^_^)。この試合で初めてイエローカードをもらってます。 この後、当時UHBで深夜に放送していた「週刊コンサドーレ」に曽田(と新居)がゲストで出演し、その収録終了後に曽田が「FWよりもDFをやりたい」と言って(と平川さんが言っていて)、翌年から、本格的にDFとして活躍を始めた…いや、まあ、いろいろありましたけど、観客を楽しませるという意味では、活躍してたと思うんですが…ま、ま、ま、今となっては、「そんな時代もあったねと♪」ですよ。
2007年05月09日
曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみようと考えたこの企画、果たして200試合出場の日までにすべてレビューし終えることができるのかどうか、早くも不安になっている今日この頃(ってまだ2日目)ですが、ともあれ、入団2年目の2002年です。 この年は、前年にアウミールがつけていた10番を山瀬功治が背負うことになり、山瀬の18番が曽田に引き継がれました。吉原→高木→山瀬と受け継がれてきた、コンサドーレのアタッカーのエースナンバーです(今でもたまに「TAKAGI 18」というシャツを着た人を見ますね…僕は「YAMASE 18」を持ってます<そんなことはどうでもいいか)。 この年も曽田はもちろんFW登録なのですが、開幕と同時に発売されたオフィシャルガイドブック(まだイエローページ刊、ただし紙質が落ちて(?)重量が妙に軽くなった)の紹介ページの見出しには「適所の模索。」とあり、その本文中には、オーストラリアキャンプでディフェンダーへのコンバートを試されたことが記されています。 以下、冒頭の番号は、曽田の通算試合出場数です。 (10)2002.4.13 1st-#06 札幌1-2v京都@室蘭 交代出場(78分、小島→曽田) 交代出場から5分後に、相手ゴール前のヘディングから小倉→森下で同点ゴールが生まれています。でも、サポーター的には「責任を取ってもらう」で記憶に残った試合ですかね。最後は札幌キラー上野優作にやられました。ちなみに(個人的なことですが)この数日前に僕は東京から札幌に引っ越してきました。ものすごく安い引っ越しパック使ったからなかなか荷物が来なくて、この日は家の中にはまだ布団しかなかったんだよなあ。 (11)2002.4.20 1st-#07 札幌1-3鹿島@函館 先発フル出場(DF)1アシスト(通算2アシスト) 初の先発出場、そしてフル出場。大森健作を中盤に上げたことで、DF曽田が先発となりました。これはよくおぼえてます。朝、丘珠空港で、知らないサポーターの方々と「曽田のディフェンスってどうなのよ?」「先発するの?」「大丈夫なのかな?」と話したこと。試合開始直前に「責任を取るのは誰?」の横断幕が出たこと。残り10分になって小倉と吉瀬が交代して曽田が前線に上がり、すぐに曽田が落としたボールを新居がうまくコントロールして決めたこと。直前の試合でFW曽田が有効的(<サッカー的表現)だっただけに、なんで曽田ディフェンスなんだよ、そもそも曽田がディフェンダーやるって何よ?と、見てる側も大混乱でしたが、曽田→新居のゴールに、わずかな光明を見出した(見出そうとしていた)のでした。 この後、リーグ戦はワールドカップ中断に入り、ナビスコカップが開催されました。4月30日、厚別での磐田戦(ナイトゲーム)で、DF曽田は中山雅史を封じました。さらに、5月12日、室蘭での柏戦で、対角線上にものすごく速くて正確なロングパスを送るのを見て、おお、ディフェンダー曽田、すげえ!!と、本気で感心しました。僕が、こいつホントはすごい選手なんじゃないかと思うようになったのは、この頃からだったように思います。あのナビスコの2試合(とくに室蘭の柏戦)の曽田を見ていなければ、僕も、「なんで曽田なんか使うんだよ!」派(多数派)になっていたのではないかと思います。 (12)2002.7.13 1st-#08 神戸1-0札幌@神戸ユニバ 交代出場(81分、小倉→曽田) (13)2002.7.20 1st-#09 浦和2v-1札幌@国立 交代出場(98分、小倉→曽田) (14)2002.7.24 1st-#10 札幌2-3v横浜FM@札幌ドーム 交代出場(84分、小倉→曽田) (15)2002.7.28 1st-#11 F東京3-1札幌@国立 交代出場(85分、ジャディウソン→曽田) (16)2002.8.3 1st-#12 札幌2-3清水@札幌ドーム 交代出場(87分、ジャディウソン→曽田) (17)2002.8.7 1st-#13 市原2-0札幌@市原臨海 先発(FW)→途中交代(82分、曽田→磯山) ワールドカップ中断中に監督が柱谷哲二からイバンチェビッチに替わり、曽田はふたたびFWで起用されるようになりました。しかしまあ、この頃は勝てなかった。そこそこいい内容の試合をしていたのに(14節のマリノス戦なんて、ここまで無敗の相手に対し前半だけで2点のリードを奪ったのに)終わってみればみんな負けている。17節は、小倉、バーヤック、山瀬が揃って出られず(出場停止、負傷)、通算二度目の先発出場となった曽田がジャディウソンと2トップを組んだのですが、チームとしてまったく形が作れず、おまけに佐藤洋平がPKに異議で退場となり、散々な結果でした。 (18)2002.8.10 1st-#14 札幌1-0G大阪@厚別 交代出場(80分、ビジュ→曽田) 古川がポストに大激突した日。雨に打たれましたよ。曽田は、マグロンにマンツーマンでつくために入ったんじゃなかったかなあ。結果的には、この1勝がイバンチェビッチの唯一の勝利となりました。 今日のところはここまで。
2007年05月08日
昨夜、曽田雄志選手が出演しているテレビ番組を見ていて、そうか、リーグ戦200試合出場まであと4つなのかと気づかされました。 リーグ戦通算の試合出場数でいえば、もっと数を重ねている選手(大塚)もいますが、コンサドーレの選手として200試合の出場は、もちろん、前人未踏です。順調にいけば、18節の福岡戦(アウェー、5月27日)で達成可能ですが、現在累積警告がリーチかかってますから、19節の京都戦(厚別、6月2日)が200試合目と考えるのが現実的でしょう。 チームの財政事情厳しき折、曽田200試合出場記念グッズの販売は在庫リスクが高すぎて難しいと想像いたしますので、ここで勝手に曽田の200試合出場を振り返るコーナーを作って(ちょっと早めに)祝ってしまおうと考えた次第であります。記憶違い、記録違い、その他もろもろあったら、どんどん突っ込んじゃってください。 ただし、コメントにいちいちお答えするのは難しいと思いますので、その点はご容赦くださいませ。 では、まずは入団した2001年の出場記録から。いうまでもなく、この年はFWをやってました。背番号23、期待の大型ストライカーです。まだイエローページから出ていたオフィシャルガイドブックでは、大黒将志と同じページに紹介されており、「『雑草魂』の自信。」の見出しがついています。 (1)2001.6.16 1st-#11 札幌2-2名古屋@厚別 交代出場(97分、野々村→曽田) 記念すべき初出場、なのですが、まったく記憶にありません。この試合、ウィルのフリーキックとか、森川とストイコビッチがやりあったとか、延長の最後に大森がドリブルからシュートしたけどクロスバーに当たったとか、けっこうおぼえている場面はあるのですが、曽田、ねえ… (2)2001.6.23 1st-#12 浦和0-2札幌@駒場 交代出場(45分、和波→曽田) (3)2001.7.7 1st-#13 札幌2-3v市原@厚別 交代出場(89分、黄川田→曽田) (4)2001.7.21 1st-#15 札幌1-1横浜FM@札幌ドーム 交代出場(110分、播戸→曽田) この3試合も、いずれも生観戦していて、試合の内容はそれなりに記憶しているのですが、曽田に関しては、今となってはまったく印象に残っていません。これだけ交代で出ていれば、どんな特徴を持っているか、ぐらいは、そろそろ把握できてたんじゃないかなあ。 (5)2001.8.18 2nd-#02 札幌2-5F東京@札幌ドーム 交代出場(69分、播戸→曽田) さすがにこれは見てませんが(当時の僕は東京に住んでました)、どういうわけか、TBSが自社クルーで生中継してました。比較的早い時間帯でのFW同士の交代は初めてですが、交代したときにはもう5失点してました。 (6)2001.8.25 2nd-#03 横浜FM3v-2札幌@横浜国際 交代出場(68分、播戸→曽田)、1アシスト 終了間際に伊藤優津樹が押し込んで追いついた(けれど延長戦で負けた)試合です。その優津樹のゴールをアシストしたのが曽田です。大森がゴール前に放り込み、曽田が頭で落としたボールを、優津樹が体を投げ出しながら押し込んだのでした(通算1アシスト=Jリーグ的には非公式記録)。 (7)2001.9.29 2nd-#07 札幌5-2神戸@厚別 交代出場(80分、ウィル→曽田) この試合はBS-1で見てました。ウィルと播戸の細かいパス交換がお見事だった、と、そんなことはどうでもいいとして、曽田は初めてウィルと交代していますが、そのときすでにチームは5得点してました。 (8)2001.10.13 2nd-#08 東京V0-1札幌@東京ス 交代出場(59分、堀井→曽田) 都心の金券ショップでやたら安いチケットを買って入った、なんてことはどうでもいいとして、アダウトが点取って勝った試合です。このときは、一緒に観戦していた友人たちと、曽田のアジリティについて語り合った記憶があります。したがって、自分個人としては、すでに曽田のプレースタイルは十分に把握していたものと思われます。 (9)2001.11.17 2nd-#14 柏1-0札幌@日立台 交代出場(89分、名塚→曽田) いやそりゃないだろって交代ですね(^^;)。この頃、当時の岡田監督はいろんなことをやろうとしていて、この試合の後半途中からは中盤をフラットにした4-4-2をやってたんじゃなかったかなあ。ともあれ、僕は、曽田が初年度に出場した9試合のうち、7試合を生で見ていたことになります(<だから何?って自分でも突っ込みたくなるわ^^;)。
2007年05月06日
さすがはミスターコンサドーレ、仙台サポーターにも強さは十分に認知されてます。
試合終盤、ホーム側のゴール前で曽田が倒れて試合が中断したとき、仙台サポーターがトラメガ使って「そだぁ~、そんなによわいわけねぇだろぉ~!」と(思わずわしもそう思う博士を呼びたくなるような)野次を飛ばしてました。
そういえば、いつだったか、仙台スタジアムで、曽田とリカルドが激突して大流血、両者とも頭をテーピングぐるぐる巻きにして戦った、なんてこともありました。
序盤、仙台のディフェンスはどこかびくびくしているようにみえました。白井の出場停止ゆえなのか、開始早々に(ボールを落とした中山のハンドで得点にはなりませんでしたが)ダヴィに豪快な一発を決められたからか、後ろでボールをまわしていても、落ち着きがないように感じられました。早い時間帯でのフリーキックからの先制点は、そういう意味では、幸運というより必然に近いゴール、だったように思います。
そういうところで点が取れる、取られてはいけないところで取られない、のが、今年のチームの強さです(でも、前節のザスパ草津戦は、やられちゃったんですけどね)。
でもでも、だからこそ、相手がびびってる(ようにみえた)前半のうちに、もう1点取りたかった。もう1点取れていれば、ずいぶん楽になったはずです。
それでも、最後までよく守りました。セットプレー崩れで攻撃している途中で芳賀がへんなところで転んでピンチを招いた場面だったと思うのですが、西谷が自陣ゴール前まで戻って相手の前に体を入れたのには、驚きました。
相手のカウンターに対しても、1対1の場面で不用意に飛び込むことなく、うまく間合いをとって攻撃を遅らせているうちに味方がカバーに入ることが徹底されており、感心しました。
ただ、(アディッショナルタイムに入ってからだったと思うのですが)カウエが相手選手のいるほうへドリブルを仕掛けてボールを奪われた場面をはじめ、試合の状況に応じたプレーの選択という点では、まだまだ、危なっかしいところだらけです。
それを補っているのが絶妙の選手交代。こぼれ球がほとんど相手ボールになっていた時間帯に大塚を入れたことで、多少なりとも拾えるようになりましたし(まあ、大塚の投入に関しては、見ている側も「そろそろ大塚入れるだろ」というタイミングがわかってきた今日この頃ですが)、最後のカウエ→池内の交代も、時間稼ぎのみならず、プレーが軽くなっていたカウエを引っ込めることで試合を引き締めてくれました(で、池内は、わずかな出場時間の中で一度だけ、バチンと相手に当たっていい仕事してくれました)。
その他、細かいことをいえばいろいろ不満がないわけではありませんが、連敗しなかったことはすばらしい。昇格するチームは、連敗しちゃいけないんです。
2007年05月04日
やっぱり厚別は特別です。雨が降ったり日差しが強かったりするとドームが恋しくなることもありますが、われらの聖地は厚別です。 そんな厚別でのシーズン最初の試合、これまではどうだったのか、J2での試合に限って並べてみましょう。 2006年 [前節終了時] 5勝1分5敗(勝ち点16)5位<首位との差 9> [厚別開幕戦] 5月3日:札幌1-1仙台(50分菅井、89分石井) 11,319人 2005年 [前節終了時] 2勝5分4敗(勝ち点11)9位<首位との差 18> [厚別開幕戦] 5月14日:札幌2-0水戸(2分OG、65分中山) 6,807人 2004年 [前節終了時] 1勝4分3敗(勝ち点7)11位<首位との差 11> [厚別開幕戦] 5月2日:札幌1-2福岡(10分山形、30分古賀、67分清野) 10,073人 2003年 [前節終了時] 3勝1分5敗(勝ち点10)7位<首位との差 15> [厚別開幕戦] 5月5日:札幌0-0川崎 12,190人 2000年 [前節終了時] 5勝1分1敗(勝ち点16)3位<首位との差 4> [厚別開幕戦] 5月4日:札幌2v-1湘南(23分エメ、87分酒井、97分山瀬) 19,450人 1999年 [前節終了時] 2勝1分5敗(勝ち点7)9位<首位との差 13> [厚別開幕戦] 5月2日:札幌6-0甲府 (22分,27分,48分吉原、58分,70分アシス、77分リカルジーニョ) 15,318人 こうやって並べてみて、2000年の19,450人には、あらためてびっくり。たしかに、あの日はかなり早く(当社比)厚別に行ったのに、すでにスタジアムの外にものすごい人の列ができていた記憶はあるんですが、満員だった記憶はなぜか飛んじゃってます。途中から出てきた山瀬(デビュー戦)の視野の広さに驚き、最後に相手GKを見ながらヘディングでVゴール決めたのは鮮明な記憶なのですが。 1999年の吉原のハットトリックとアシスのものすごいフリーキックとリカルジーニョの相手を茶化したようなゴールも覚えてますよ、はい。天気はよかったんだけど、風が強かったような(厚別だからいつも風はあるんですけど、とくに強かったような気がする<ここは曖昧な記憶)。 それにひきかえ、暗黒の2003年と2004年は、まったく記憶がないです。03年なんて、当時の試合記録をみても、まったく記憶が甦ってこない。この年とその前の年は、リーグ戦全試合を生観戦というバカな個人的記録を打ち立てた年だから、見てないことはありえないのに、思い出せない。その直前の鳥栖戦(アウェー)は、はっきり覚えているんですがね(曽田が前に行ったり後ろに戻ったり忙しかったから、というより、シーズン初勝利に沸く鳥栖スタジアムで、ものすごい屈辱感を味わったから、ですかね^^;)。 J2に限っていえば、厚別開幕戦で負けたのは、柳下監督1年目の2004年だけなんですね。さらにGW開催に限れば、入場者数は最低でも10,073人(2004年)。もっとも、2000年以前は、厚別開幕=札幌での最初の試合でしたから、ドームができた今とは意味合いも違ったんでしょうが(プロ野球もなかったし)。
2007年05月04日
札幌では本日発売のサッカーマガジン5月15日号の「蹴辺の人々」コーナーで、「コンサドーレ札幌選手寮『しまふく寮』寮母」村野明子さんが取り上げられています(文・写真=斉藤宏則)。そうなんです、写真つきなんです。 現在に至る経緯が綴られた前半は「村野さんファン必読」ですが(笑)、後半は、サポーター必読な内容です。まだ売ってる雑誌ですから、これ以上の内容はここには書きませんので、ぜひ、書店等でお買い求めください(買ってもらってもわたしの懐はまったく潤いませんが、この号が札幌ではやたら売れたってことになったら、それはそれでおもしろいじゃぁないですか)。 表紙がオレンジ色の「日本ダービー列島」と書いてある号です。お間違えないよう。
カレンダー
プロフィール
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
コメント
検索