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2006年02月16日

【旅】【歴史】いい旅チャレンジ10万キロ

俺が大統領に就任した暁には、全国に鉄道を敷設しまくることを、ここに宣言する。
今の日本は鉄道が少なすぎる!
俺は鉄道の走っていない所へは行けない体なのだ。
言ってみれば、道路の白線を一歩も踏み外さずに学校から家まで帰る小学生。
 
そういうわけで、常に地図を見て、新規鉄道計画を練っている。
で、路線敷設予定地、駅予定地などを地図上で眺めているうちに、いろいろなものを発見する。
 
例えば、常磐線で水戸から那珂川を渡ってすぐの所に、武田と言う地名があり、武田神社、武田溜、甲斐武田発祥の地などが存在している。
今まで行く機会(と言うか時間)が無かったので調べなかったが、ぐぐるとこんなのが出てくる。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/takeda-yakata-ibaraki.htm
ここには常陸武田駅を作る予定。
 
同じ茨城県からもう一つチョイスすると、
常陸大宮市の宇留野という地名。
この名前を見てピンと来る人もいるだろう。
今年JFLの本田から甲府に移籍した宇留野選手。
彼の先祖はここの出身なのかね?と思ってぐぐってみると、やっぱり城跡があるようだ。
http://yogokun.hp.infoseek.co.jp/uruno.htm
残念ながら、常陸大宮駅至近なので宇留野駅は作れません。
本田サポ、甲府サポの皆さんごめんなさい。
宇留野選手の個人的J1昇格を記念して、是非行ってみたいところだが、今年の水戸戦は両方とも土曜日なので、ちと無理かな。
 
ついでに愛媛行きの際に行ってみたいところをリストアップ。
 
競技場へ向かう一本道国道33号線沿いに、河野氏の古い居城鰐淵城跡(小野川を渡ったあたり)と土居氏の本貫地(高速道路との交差地点あたり)があるようなので、寄り道しようかどうか迷ってるところだ。
得能氏の居城常石山城は駅から遠すぎるので、今回は行けんな。
コンササポの中に、少なくとも二人は居る得能(徳能)さん、ごめんなさい。


posted by hihida |12:56 | コメント(10) | トラックバック(0)

2006年02月16日

【近況】山形行けないっぽい

なんか山形行けなくなりそう。
店の改装に合わせて、18切符で遠征しまくる予定だったが、その改装時期が3月中旬から3月下旬に延びたとのこと。
愛媛は絶対に行かないとならないので、替わりに土日は仕事して、山形を犠牲にするしかない。
 
でも、、、
 
 
ネ申の予感!
 
 
そのネ申の名は、火石和也(推定23)。
元俺の同僚なんだが、「疲れた」と言い残して2年半前に辞めてしまったんだよ。その昔、俺が水曜でも休まず出席できてたのは、実は彼のおかげだったりする。
で、彼が現在勤務する店が、めでたく2/26に潰れる事になってな。
今、必死になって、戻ってこないか?と勧誘、懇願、泣き落とししている最中。
 
頼むから戻ってきてくれよ。
女子プロごっこと称して髪の毛を引っ張ったり、PRIDEごっこと称してタックルからマウント取ってポカポカ叩いたり、ロケットキック(靴)の練習台にしたことは、全て水に流してあげるから。
 
つーか、高杉和也と同じ名前なんだから、サッカーを愛する者に協力するのは当然だと思うんだが。

あ、今良いこと思いついた!
ここで彼の彼女を募集すれば良いんだ!
彼女を紹介するのと復帰をバーターにしよう。
てなわけで、火石和也君とお付き合いしたという女性が居りましたら、コメント付けて下さい。ちょっとキモメンだけど、気の弱さは天下一品だから、自在に支配できますYO!
 
<今日の先手>
この内容がいじめを助長するとかいう意見は却下。
 
<今日の元ネタ>
高杉和也→村枝賢一著「俺たちのフィールド」村枝賢一


posted by シモツカーレひひだ |12:56 | コメント(5) | トラックバック(0)

2006年02月16日

【世代】グレーテスト30クラブ

題名は、グレーテストサーティクラブと読む。
猪木と激闘を展開した17名に猪木自身を加えた18名で構成されるグレーテスト18クラブに対抗して結成された三十路男の集団だ。
 
ちなみに、グレーテスト18クラブのメンバー
 
ルー・テーズ
カール・ゴッチ
ニック・ボックウィンクル
ジョニー・パワーズ
ジョニー・バレンタイン
アンドレ・ザ・ジャイアント
タイガー・ジェット・シン
スタン・ハンセン
ウィリエム・ルスカ
ビル・ロビンソン
ヒロ・マツダ
ボブ・バックランド
バーン・ガニア
ストロング小林
ハルク・ホーガン
坂口征二
モハメッド・アリ
アントニオ猪木
 
 
グレーテスト30クラブ入りすると、まず気力がなくなる。ま、体力もだけどさ。
 
俺なども、若い頃は、先人たちの業績は知っていて然るべきであるという持論の元、国会図書館に行って、プロレス雑誌の熱戦譜コーナー(試合結果欄)をコピーしてきたりなどしてた。
深夜に月1で放映されていた全日初期の試合もかかさず録画していた(現在でこそCSで昔の試合を放映するのは当たり前だが、1990年当時では異例中の異例だった)。
 
ちなみに、俺的なベストバウトは、昭和50年のオープン選手権公式戦ドリー・ファンクJr対"ドイツの帝王"ホースト・ホフマン。
地味な攻防ながら、明確なせめぎ合いが存在するので、全く飽きない。ドリーの普段はあまり使わないヨーロッパ流のネックロックやホフマンの神速なサイドスープレックスが印象に残ってる。
端で見ていたプロレスに興味ない親父までもが「こういう試合なら面白いな!」と絶賛していた。
確か試合巧者で有名なMEN'Sテイオーも、この試合を推してた希ガス。
言ってみれば、プロレス界の「ナポリを見て氏ね」「日光見ずして結構と言うなかれ」
この試合、去年G+で放映されたらしいけど、誰かWin○yで流してくれないかぁ~。一応ここにあるんだけどね。
恐らく、この頃の全日中継のプロデューサーは後に東京ヴェルディの社長を務めた原章氏(ぐぐって出てきた一応の証拠→http://64.233.179.104/search?q=cache:ZwmIfOHW5v0J:www.giant-baba.com/book/book1-019.html+%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%80%80%E5%8E%9F%E7%AB%A0&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja)
2002年の東スタでの緑戦に、三沢が登場したのを覚えている人も多いだろう。
 
さて、昭和プロレスファンで知られる俺だが、ここでプロレスの話を書くのは初めてだ。何故、今まで書いていないかと言うと、実はかなり忘れてしまっているからだ。これも30クラブ入りの代償だ。
わざわざ雑誌を引っ張り出すのも面倒くさいし。
確か、最後に週刊ゴングのバックナンバーを引っ張り出したのは、秒刊で「あれ?千代台って照明なかったっけ?グレート小鹿の引退式のテレビ中継は夜だったぞ?」と発言し、某函館在住の方から「千代台は照明設備なんかねーよ!このティンカス野郎!」とお叱りのメールを頂いた時だ。
調べたら、櫓組んで照明装置を付けてた。まぁ、照明に関しては、○○町△△パチンコ店駐車場特設リングと同じような状況だったって事だな。
 
そういや、昔、週刊ゴングで二宮清純氏がコラムを連載してたのは知る人ぞ知る事実(「週刊ゴング 二宮清純」でぐぐっても41件しか出てこない)。今読み返せば、結構ここで語るネタのヒントが隠されてたりすると思うんだけど、今のところ深刻なネタ切れというわけでもないので、引っ張り出さずにいる。
というか、出したら最後、部屋がめちゃくちゃになって片付けるのが面倒だ。
 
話を元に戻す。
 
もはや若い頃の話どころか、数年前のコンサドーレの試合すら記憶が怪しくなってきてたりする。そういう時のためにビデオがあるんだろ!と思う人もいるかもしれないけど、ビデオやDVDを入れ替えるのすら面倒なのだ。
もう人生の終着駅も近いです。
終着駅が長崎とか函館とか阪急梅田の人がうらやましいね。
俺など差し詰め長門本山だろうな。
ちなみに筋肉の終着駅はデービーボーイ・スミス
 
なんだか、取り留めの無い話だが、今回の話はながさわと赤黒のスタジアム2006年1月31日のエントリーへの回答みたいなもの。
明確な回答ってわけじゃないけど。
 
30歳近くになって(人によっては40や50歳以降だし)、新たに趣味を増やしてもなかなか若い頃のようにはいかない、ということで。
 
<今日の用語>
筋肉の終着駅→古館語録。ちなみにWWF移籍してからステロイド使用でもっと大きくなりましたw


posted by シモツカーレひひだ |12:56 | コメント(8) | トラックバック(1)