2010年10月02日

ドラが鳴る

 名古屋の後輩から喜びのメールが入る。そして、他人が負けるのを期

待したチーム、否ファン、メディアは今季の戦いを終えた。もう観なく

なって久しい野球に少しふれるかな。

 思い出すのは昭和57年のセリーグ。当時巨人ファンだった私にとって中日

は邪魔な存在だった。お盆に後楽園で3タテを食らわせたがしぶとく食らいつ

いてくる。そして、9月28日に江川がナゴヤでまさかの逆転負け。残り試合

が多い中日にマジックが点灯。当時創刊の道新スポーツの一面は「ドラが鳴

る」巨人は全日程を終え、中日の残り試合に運命を託す事になる。確か8試合

を4勝4敗なら巨人、5勝3敗なら中日、こんな感じだった。中日戦のテレビ

中継などない。私は残り試合ラジオの前で中日の負けを祈った。判定も

中日有利に感じてしまう。ある試合のホームクロスプレー、ニュースで

見ると中尾はタッチしていないのに判定はアウトなど。129試合目に

大洋の遠藤、斎藤の前に敗れた中日。最終戦は急きょ地上波テレビ中継

あり。しかし映し出された横浜スタジアムは水色一色、どこにこんなに

中日ファンがいたのかとういう異様な雰囲気。平松先発の希望も空しく、

大洋は若手を起用。そして首位打者争いの大洋長崎は欠場。中日の先頭

打者の田尾は敬遠。中日が大差で最終戦を制し優勝、巨人に朗報は届か

なかった。淡々と敗戦の弁を語る藤田監督、王助監督、そして原。今

思えば他力では難しいという事を長年の経験から分かっていたのだろ

う。このシーズン勝数で上回りながら、巨人は優勝を逃した。試合消化

ペースの差は天候やスタジアが理由であるとはいえム公平とはいえない

だろう。そしてこれらはあれから28年経った今も改善されていない。

 パリーグのプレーオフ、工藤先発の奇襲には驚いたなあ、アジジなん

てものではなかったよ、大沢親分。

 










posted by 札幌バルデス |00:29 | トラックバック(0)

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