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性別:男 年齢:30歳代半ば 出身:兵庫県西宮市甲子園 現住地:北海道札幌市 サッカー歴:素人。たまにフットサルをやる程度 ポジション:アウェイ側B自由席 2007/12:加齢に伴い年齢を実態に即した形に書き換えました
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2005年12月18日
ここに、NBA(北米のプロバスケットボールリーグ)創設以来の「偉大な50人」に選ばれている二人の選手の経歴があります。
【ジョン・ヒューストン・ストックトン】
1962年3月26日生まれ
出身:ワシントン州スポケーン
ゴンザガ大卒、1984年ドラフト1順目16位
オールスター選出10回 オールスターMVP1回(1993)
オリンピック金メダル2回(1992・96)
所属:ユタ・ジャズ(1984-85~2002-03)
【カール・マローン】
1963年7月24日生まれ
出身:ルイジアナ州サマーフィールド
ルイジアナ工科大卒、1985年ドラフト1順目13位
レギュラーシーズンMVP2回(1996-97・ 98-99)
オールスター選出14回 オールスターMVP2回(1989・93)
オリンピック金メダル2回(1992・96)
所属:ユタ・ジャズ(1985-86~2002-03)→ロサンゼルス・レイカーズ(2003-04)
彼ら二人は、ユタ州・ソルトレイクシティをフランチャイズとするチームでキャリアのほとんどを共に過ごしました。これだけ長い間共にプレーすること自体が非常にまれなのですが、NBA史上に燦然と輝く次の数字は、二人の関係が特別なものであったことを端的に現してくれます。
ストックトン:通算アシスト数15,806(歴代1位)
マローン:通算得点数36,928(歴代2位)
ストックトンの記録は、マジック・ジョンソン(HIVウイルス感染を告白し、その後バルセロナオリンピックでの「ドリームチーム」結成を呼びかけたことでご存じの方も多いでしょう)が「私の最も大切な記録」と言っていたものを破った、まさに金字塔であり、またマローンの得点数は「神様」と呼ばれたマイケル・「エア」ジョーダンを上回るものです。
ご存じの通りバスケットは5人1チームで行うスポーツですが、それぞれにポジションというものが与えられています。

ストックトンは「ポイントガード」というポジションでした。これは所謂「司令塔」で、ドリブルでボールを運び、味方にパスを配球し、ゲームの流れを読んでオフェンスのパターンを選択することを主なタスクとしています。背は低いが高い技術を持った選手が務める、チームの心臓です。最近のNBAでは、ガードというポジションには敏捷性に優れ、派手なドライブイン(ドリブルでゴールへ向かって切れ込むこと)やダンクシュートを決める「アスリート」タイプの選手が多いのですが、私に言わせればそんな選手は本物のポイントガードではなく、ダンクもできない、足も遅い、けどゲームの流れを読むことに長け、抜群のリーダーシップを発揮するストックトンのような選手はこれからも現れないのではないかと思っています。

対してマローンは「パワーフォワード」というポジションで、これは主にゴールに近い「インサイド」と呼ばれるエリアでプレーし、そこで得点を挙げることとリバウンド(シュートのこぼれ玉)を拾うことを求められるポジションです。特にマローンはジャズではチームのNo.1スコアラーで、大学時代に付けられた「メイルマン(郵便配達人)」というあだ名通り、常に確実にゴールを決める選手でした。晩年はヒザの怪我に苦しめられましたが、この人のトレーニングに対する姿勢はまさにプロフェッショナルと呼ぶに相応しく、体をぶつけ合うことを求められるポジションにあって、怪我による欠場の数が極端に少なかったことで知られています。
つまり、彼らの関係は、ストックトンのパスをマローンがスコアするというものであり、単に共にプレーしたというだけではなく、本当の意味での「デュオ」と言えるものだったのです。彼らの「ピックアンドロール(2対2の局面で相手のマークをずらし得点につなげるプレイ)」は芸術品の域に達していました。当時NBAでは原則としてゾーンディフェンスは禁止されていたので、彼らのこのプレイはまさに「分かっていても止められない」プレイだったのです。
経歴を見れば分かる通り、彼らはナショナルチームのメンバーとしてバルセロナ・アトランタ両オリンピックで金メダルを獲得、NBAオールスターでは二人同時にMVPを受賞しました。しかもその時の開催地は彼らの地元、ソルトレイクシティでした。
しかし、彼らは最も欲していたであろうものを手にすることなく、2003年にストックトンが引退、パートナーを失ったマローンは「欲していたもの」を手にする最後のチャンスを求めて、スーパースターがそろっていたロサンゼルス・レイカーズへ、最低年俸を受け入れての移籍を決意。NBA史上最高のデュオは終焉の時を迎えました。
彼らは結局、一度もNBAチャンピオンになることができなかったのです。
2005年のJ1優勝争いは、劇的な幕切れとなりました。G大阪の優勝は、結果としては妥当なものに思えますが、それより私の心に残っているのは、「またか」という思いです。
チームが大久保嘉人を失っても、古橋達弥という「素晴らしい三人目」を得ても、途中、一人が海外でプレーした時期があったにせよ、彼ら二人は常にチームの中心でした。しかしまたしても、「欲していたもの」は彼らの目の前から消えていきました。またしても…

ユタ・ジャズは、ストックトンとマローンの在籍中に、年間王者を決めるNBAファイナルに二度進出しています。その時は、二人の他にジェフ・ホーナセックという、3ポイントシュートを得意とする選手がいました。彼ら三人を含めてジャズは素晴らしいチームワークを発揮し、1997・98年のファイナルに進出し、そして「神」ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの前に、二度とも敗れ去りました。97年には、NBAファンの間では語り草になっている第5戦でのジョーダンの鬼気迫るプレーに。98年には、レギュラーシーズン勝率1位となり、プレイオフでも圧倒的な強さ・早さでウェスタンカンファレンスを制しながら、ブルズの勝ち上がりを待つ間にゲーム感覚を失ったのかあっさりと。
その後、ホーナセックが引退した後はプレイオフには進出するもののファイナルに進むことはできず、前述の通り二人は相前後して引退を迎えたのです。
負けん気の強そうな顔つきの、背の高い彼は、「アイツを胴上げしたい」と常々言っています。人の良さそうな、周りまでも幸せにしてくれそうな素敵な笑顔を持つ彼は、今シーズン、節目となるゴールを決めましたが、あくまで通過点だと言います。しかし、キャリアの終わりが近づきつつあることは彼自身がよく分かっているでしょう。
彼らは来年、「欲していたもの」を手にすることができるでしょうか。
しかし、たとえそれを手にすることができなくても、やはり彼らが素晴らしいデュオであることにかわりはありません。
マローンは言います。「レイカーズでもファイナルに進んだが、やはりあの二度のファイナルは素晴らしかった」と。
ストックトンの引退に際して、マローンが贈った言葉です。
"There absolutely, positively, will never ever be another John Stockton -- ever."
2005年12月17日
突然の事で愕きました。近鉄、阪急、そして初期のオリックスのファンでしたから。
画面を通してはそうは見えなかったのですが、関係者の話では9月頃から相当悪かったそうです。外から見えるものというのは、限られているのですね。
最近、亡くなる方の話題が目に付くのは、誰かに、何かに、「生きろ」と言われているからだという気がしてなりません。その時間を「活かせ」と…。
2005年12月09日
札幌・金子勇樹とコントユニット、ザ・プラン9のヤナギブソン(ツッコミ)。
なぜか画像がアップロードできない…_| ̄|○(再度チャレンジしてできれば更新します)。
すまして映っている写真では全然似ていないのですが、テレビで激しくつっこんでいる時の顔はビミョーに似ている、目のあたりとほお骨が。
10日ほど更新をストップします。ちょっと忙しいので。皆さんのブログを回ることもできそうにありません。コメントはチェックしています。
では数少ない読者の皆さん、20日頃にお会いしましょう。
2005年12月07日
今日、病院に行って来ました。ヤバイ病気ではありません、念のため。以前の貧血が気になって、血液検査に行ったんです。
で、終わって会計待ってたら…
「フジタさ~ん、フジタセイヤさ~ん」
ナヌッ!?いるのかアイツが!なぜこんな所に…!
するとすっくと立ち上がったのです、白いニットキャップにボア付きの黒い上着を着た…
10歳ぐらいの男の子が。
…ああっイテェ、石はやめてください石は!罵声だけにして(笑
2005年12月06日
ゴメンなさい、選手ではありません。私のことです。
かなりの確率で開幕戦は出場停止です。下に物騒なエントリーを挙げた報いでしょうか?ダメな確率が高いのです。
まず開幕は3/4(土)あたりだと思います。その日は絶対に外せない用事が入ります。
去年はホーム開幕戦が第二節第二日(日曜日)だったので、帰省ついでに(土)C大阪-横浜M→(日)札幌-鳥栖、という幸せな観戦スケジュールを組むことができたのですが、どうやらそのツケが回ってきたようです。
仮に第一節がホームで、二日に分かれるとしても、5日にも間違いなく予定が入るので第二日(日)がナイトマッチでなければムリ。どうしよう…
そこで、ふと思ったのです。「そういえば来年は13チームになるんだよな…」。
そうすると、こういう事態は考えられないか?
これなら第二節がホームでも…ダメだ、11日にも予定が入っている。ナイトマッチか、12日でなければダメだ。じゃ、こういうのはどうだろう?
でも、これは選手にとってつらくないか?一月から合宿続き、一刻も早く札幌に帰ってきてリフレッシュして欲しい。そういう日程であって欲しい。
…やっぱり出場停止だ_| ̄|○
ちなみに18日はホーム・札幌ドームと思われます。ドームをシェアする日ハムさんが翌週ホームで開幕を迎えるハズだからです、確か。
2005年12月05日
こういうありふれたタイトルを付けるのは好きではないのですが、こう書くとちょっとは見てもらえそうなので書きます。
当日はいつもと同じくアウェイ側B自由席に居ました。結論から言うと、やはりあの「エール」は疑問です。
まず、エールの「交換」という表現を使っているブログがあったのですが、草津コールをされた方は「交換」という認識だったのでしょうか?だとしたら、残念ながら草津側は応えてませんでした、私の記憶では。
あの時、草津のサポは一年間闘ったチームに対する想いを伝えるのに必死だったように見えました。小島のオッサンのこともあったのでしょう。引き上げてゆく選手達にずっと声を送り続けていました。彼らは「自分たち」のチームに、選手に対し一所懸命でした。試合中も必死でしたよ。
「温かさ」というのは札幌サポの個性であると思うし、それをなくせ、と言っているのではありません。ただ、あのエールは、「温かさ」を示して自己満足に浸りたい、それだけのためのものに感じました。さっきも書きましたが、当の草津サポに伝わってない程度の「温かさ」だったということです。
うちには同情する余裕なんてあったんでしょうかね?ヒドイ試合だったのに。同情するなら試合中はもっとチームを奮い立たせる応援ができるようになってからにして欲しい。来年は、よそのこと構っていられないくらい精神的に厳しいシーズンになりますよ。と言うか、そうしたいでしょ?ぶっちぎりで昇格?無理無理。
アウェイB自由席の住人だからこそ敢えて言わせてもらいます。一連の意見を見るまで、贔屓目に見て「あの試合のゴール裏はドローかな」などと思っていましたが、違う。「ボロ負け」ですね。
ホームのゴール裏に居るということは、チームと一緒に闘う資格があるということだと思います。せっかくだから有効に使ってくださいよ。選手はいつの試合でもゴール裏に挨拶にいく時が一番嬉しそうじゃないですか。それはあなた達に対して感謝の気持ちを一番感じているからでしょう?アウェイ側なんて、それはそれは素っ気ないものでしたよ、サンクスウォーク(笑)。イヤ、そう言っては選手がファンサービスしていないとの誤解を受けますね。言い換えます。アウェイ側やバック・メインにはファンサービスしに、ゴール裏には一緒に闘ってくれたことに対する感謝を表しに行っているから、表情が違うんですよ、きっと。
ほんとはね、「エール」なんてどうでもいいんですよ。このことを、いや今年を、いっぺん自分がそこに居る意味を考え直すきっかけにしてみたらどうでしょう?あなた、闘いました?「自分たち」のチームを、選手を鼓舞すること、できました?エールやりたいなら存分に闘ってからおやんなさい。それも同情ではなく意味のある、相手に伝わるエールを。
来年はもっと闘ってチームを押し上げるんだ、とお考えの方は、是非是非今よりもっと声出して頑張ってください。闘えないんなら余所から試合を見つめてみてはどうですか?それも充分立派なサポートです。断じて嫌みではありません、ある日「闘えない」と思ってしまった私もそうしているのですから。
真ん中で闘っている皆さんには、どうか問題を「温かさ」と「厳しさ」の単純な二元論にしてしまわないように切に願います。当事者でない私が言う筋合いではないかも知れませんが、それではあなた達が孤立するだけです。ブログを読んでいると、あなた達がそう思っていなくても、二元論で理解しようとしている人が多い。何とかそういう人たちに伝わる方法を模索してもらいたい。好むと好まざるとに関わらず、「温かさ」は札幌サポの個性の一つになっています。これを上手く取り込む形での一体化を図っていただきたい。不可能ではない、と言うか、「あそこ」を目指すのならやるしかないでしょう。期待しています、本当に。
2005年12月04日
忘れないうちに。自分が見た中では、「11.23」・清野の得点。
【理由】
受ける前の動き・ゴールだけを考えたボールタッチ・冷静なフィニッシュ、ストライカーに求められる三つの要素が全て詰まった、ここ数年でも最も美しいと思ったゴール。個人的には二番目のポイントを最も押したい。ごちそうさまでした。
2005年12月03日
勝ち点3を取った。ただそれだけの試合。以下、雑感。
…とまぁ、来年昇格を本気で狙うのであれば、これくらいの厳しい目で見なければならないのでしょうね。はぁ疲れる。以上、2006年第0節としてのレビューでした。
今日はたくさんイイものを見たし体験したので、忘れないようにここに書いておきます。しばしお付き合いを…っていうか、所詮日記ですからね(笑
というわけで2005年は終わったわけですが、うーん、総括するのには時間が掛かりそうです。自分自身、夏場のゲームはほとんど見られていないですし。シーズンが終わったのをこれ幸いと本業でもすぐにまとめなければならないものがあるので、しばらくはうすっぺらーく、しかし「衝撃のJ1」のことなども書いていこうかと思います。では皆さん、とりあえずは札幌の今シーズン、お疲れ様でした。
2005年12月02日
いつもの用事を済ませるついでに、札幌ドームの近くまで行って来ました。青いイルミネーションが灯っていました。
さて、と…
2005年の最終戦は、2006年の始まりでもある。
チームにとっての最終戦。何度も繰り返すが、ムダにしていい試合は一つもない。このことを今年一年通して実感したはずだ。去年はその実感すら味わうことができなかったのだから。まだTOP5はつかんでいない。実りある一年であったことを幸せに思い、最後の試合でも何かをつかもう。
どこかで見ているであろうユースの選手にとってのトップチームの最終戦。彼らは今年、大きな自信をつかんだと思う。あの決勝、素晴らしかった。彼らにはそれぞれの進む道で夢を追って欲しい。トップチームに昇格しない選手も、札幌のことは忘れないで欲しい。
クラブにとっての最終戦。明日、クラブはあやかちゃん・パキスタンに手を差し伸べてくれるという。知名度とか打算ではなく、これからもこうした社会貢献に積極的なクラブであって欲しい。
現時点では最終戦に何人入るか、観客動員数が目標に達しているかは分からない…。ブログは今のところ盛況だ。世間を、スポンサーを落胆させる出来事もあった…。新しいスポンサーをいくつも見つけてきた。全てを糧にして、魅力あるクラブ作りに、これからも邁進して欲しい。
サポーターにとっての最終戦。千載一遇のチャンスを逃して昇格できなかったと悔やむ人もいるだろう。一方で、「所詮昇格には力が足りなかった」と冷静に分析してみる人もいると思う。実際、オレの中にも11.23以来、両者が棲み着いている。いや、それ以前から棲み着いていたから11.23は起こったのかも知れない。
どれが正しいかなんてわからない。わかっていることは、わからないということだけ。でも、その答えを求めようとしないものには、きっと、永遠にわからない。
2005年の最終戦は、2006年の始まりでもある。
去りゆく選手にとっての最終戦。この世界に飛び込んできた時から、彼らはこういうことを覚悟でやっているはず。傍観者の言葉など気休めにしかならない。でも、言わせてくれ。自分の為、それだけを考えて欲しい。今年満足にプレーできなかった悔しさ、授かった新しい命…。
どこで、誰が見ているか分からない。明日、闘う機会が与えられたなら、とにかく自分の未来に繋がる試合にして欲しい。少なくともオレ達は見ている。You "are" SAPPORO. We "are" SAPPARO.
2005年12月01日

五木寛之『みみずくの夜メール』
(幻冬舎 ISBN:4344407008)
頭がオーバーヒート気味・「ちょっと思い詰めすぎかな」と思った時にお薦めの本。
タイトルは「ヨルメール」と読みます。朝日新聞に連載されていたエッセイの文庫版。
この本を読んでまず感じたのは、五木寛之という作家は、結構いい加減な人なんだな、と(笑)。
例えばこの人、歯を磨くことが大嫌い。「歯を磨かないと恐ろしいことになる」と聞かされてもこんな感じ。
「一日やすみ、二日なまけして、週末となる。仕方がないから日曜日の午後、一週間分まとめて磨いたりする。テレビを見ながら一時間以上もゴシゴシやっていると、歯ぐきから血が出てきて、すこぶる痛い。(「歯垢と健康の挟間に」)」
イヤ、そりゃ痛いでしょ(笑)。挙げ句の果てに、
「それにこりて、最近では気がむいたときに、ちょっとだけ磨くことにした。これが妙に具合がいいのである。(同上)」
などと言い出す始末(きれい好きの人、五木さんに代わってゴメンなさい)。
他にも作家のくせに筆無精だとか、夜更かしばっかりしている(これは作家だから仕方ないのか。でも読めば分かるけどヒドイんですよ、この人の夜更かしは)とか。ああ、いい加減(笑)。
でもそれは、ただだらしないだけという「いい加減」ではなく、ありのままの自分・ありのままの周囲を受け止めながら生きてゆくのが上手いという意味での「いい加減」さだな、と。今の自分に欠けている部分だと思います。「人間、いろんな生き方があって良いじゃないか」と諭されている気分がします。
私にとって一番堪えたのは、どうしてもウマの合わない人間もいる、ということを書いた「人の性格は直らない」の、この部分ですね。
「真情あふるる直言、苦言も、ありがたくはあるが、正直に言って、うっとうしいのだ。
気持ちが萎えているときなど、ことにそうである。相手の意見が、的を射たものであればあるほど、うんざりする。」
でも五木さん、あなたも若い頃は「人の顔色も見ずにズバズバ言いたいことを言う」タイプだったんですよね?ボクも変われますかね?
あ、そうか、エッセイって「固まった答えを提示するものではありません」でしたね(笑)。
2005年11月30日
「Jリーグはどこへ向かっているのか」より。
愛媛FC昇格問題から現在・未来のリーグの構造に及ぶレポート(後藤勝/文)。その中で目にとまったのはスタジアムに関する次のくだりです。
熱心なサポーターなら、どのように貧弱なホームスタジアムにも美点を見いだし、愛するはずだ。しかし運営に必要な一万人を集客したとき、死角やトイレの少なさなど些細なところから不満が出て評価を落とすことをチェアマンは危惧する。
レポートの本題からはかなりかけ離れてしまうのですが、通い慣れている人とそうでない人の意識の差というものは、札幌においても間違いなく存在するのだろうな、と思いました。
私はどちらかというとドームより厚別の方が好きです。しかし、厚別に行った・連れて行った私の知り合いの中には、「イスが堅い」「高くて見づらい(これは、ピッチ全体が見渡せるようにとの配慮からアウェイB自由最上部に連れて行った私の失策)」との印象を抱く人がいます。こういった印象の方が「一般的」なのでしょうね。
やはり何かに入り込む時には、「第一印象」というのは非常に重要です。もちろんそれだけではありませんが。ですから、誰かを観戦に連れて行く時には、自分の感覚・認識が果たして相手に受け入れられるかをよくよく考えないといけないな、と反省した次第です。
どういうアドバイスしてあげればいいんだろう?厚別はイスが堅いからクッション持参(ま、ケツ臀部の肉が薄い自分もキツイのでこれからは持っていこうかと思っていますが)、トイレは試合前に済ます、ビールは奢ってあげる(笑)…
2005年11月28日
一昨日の「すぽると」に出演していた為末大を見ていて何となく思ったことです。
彼は短い言葉で感じたことを表現するのが上手い。テレビ慣れしているからとかではなく、元々の才能なのではないかと思います。つまり、指導者向き。「NANDA!?」に出ている時にも同様の印象を感じました。
高野進から末續慎吾・為末大…。日本の短距離は「上手く人が繋がっている」という印象を受けます。
また、彼らは絶対的な身体能力の差を技術でカバーしている。ルール改正で「いじめ」を受ける前のスキージャンプ陣もそうでしたが、「日本人らしさ」で世界と勝負している。
サッカーはどうでしょうね。
指導者…。岡田・原などの中堅どころに加え反町・三浦・関塚など若い監督が台頭してきていますが、その下、つまりドーハ組あたりが続々と指導者として実績を上げるようになると日本のサッカー界の未来にも少しは光が見えるかな?そして、柳下をその流れに乗せるためにも昇格!(って彼は自分が昇格させるつもりでやってるんですけどね(笑))。
日本人らしさ…。日本らしいサッカー…。マズイ、話が大きすぎる。ヤメヤメ。
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