コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2012年01月07日

2011年回顧-2

東日本大震災の当日は家族や部下の安否確認に追われる状況でした。
特に、社員の実家が苫小牧の海岸線に実家があるということで、早急に非難するように連絡を取らせたのですが、電話回線が繋がらず非常に緊迫した状況となりました。幸いして、社員の家族は無事でした。
他の関東圏の社員は帰宅困難な状況となり、客先で宿泊したり、徒歩で帰宅してものの家に着いたのが2時ころだったり、最終の無事が確認できるまで大変でした。

震災当日はfクラブで夕食をとりながらTVで被災した状況をみていました。ただTVを通してみると、やはりどこか遠い世界の事に感じてしまいました。
翌日、Jリーグから試合の中止が発表されました。第一ホテルさんに宿泊をしていたのですが、2泊の予定でとっていたのですが埼玉に戻るため、とりあえず空港に向かいました。実際に飛行機が飛ぶかどうかが不安なためチェックアウトせずホテルを出ました。その旨フロントの方に状況を説明して、戻らなかったらチェックアウトとしてもらうようにお願いをしました。
空港に向かう前に、ドームに寄って、練習を見学しました。ドーム入口には北Q戦中止の貼り紙がありましたが、練習は普通どおりに行われていました。ただ、芳賀選手の姿だけはありませんでした。宮城出身なのは知っていたので、芳賀選手の心中を察すると練習どころではないよなと思いました。そんな練習の中、ウッチーがリタイア。階段も満足に下りられない状況でした。長引かないことを願ったのですが、思ったより重症でした。前半のウッチーのリタイアは影響が大きかったですね。
練習見学を切り上げ空港に向かい、飛行機に乗り、無事、羽田に着きました。

空港から自宅まではバスを利用したのですが、首都高は車が走っておらず、また車窓からは人影が見えず、東京はゴーストタウンと化していました。

posted by nango13 |09:10 | コメント(1) | トラックバック(0)