コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2012年01月10日

2011年回顧ー5

6月の順位からして、昇格なんて非現実的に思っていましたが、河合キャプテンは、「全然大丈夫ですよ!これからです!」と力強く私に話してくれました。漠然とではありますが、昇格云々より、応援しよう!しつづけよう!という気持ちになりました。昇格決定後は「さすが、キャプテン」ととリスペクトの念でいっぱいになりました。そして、当時、昇格するとは思っていなかった自分に反省です。いまだにこの話は、嫁に自慢話として酔うたびに話しています。

応援しようという気持ちを、新たな形で表現できたのが、単身赴任中よくお世話になった、寄り合い居酒屋fクラブの常連さんたちと一緒に発起人となり、AWAY千葉戦をBBQしながら応援するという企画です。BBQしながら応援しよう!魂はフクアリへとうコンセプトで観戦会を開催しまいた。勝手に「バーベナイト」なんて名称つけて。これには30名弱の方に参加していただき、楽しいイベントとなりました。
イベントのサプライズ企画として、選手、スタッフからのメッセージビデオを流すことを思いつき、宮の沢にビデオを持参して行ってきました。その際、BS日テレの「百年旅行 Jリーグのある風景」という番組でコンサドーレの取材がおこなわれており、その中で、なんとインタビューされ放送されました。せっかくなので、取材スタッフのディレクターのかたにもサプライズビデオのメッセージいただきました。イベント当日、参加者の方は「だれ、この人??」だったのですが、事情を説明したら大爆笑でした。よい番組宣伝にもなったかも知れませんね。設備調達設置等、多少の苦労はありましたが大変よい思い出です。試合は結果も内容も今期最悪でしたが、翌月のドーム千葉戦の倍返しは気持ちがよかったです。

また、ホーム観戦は必ず誰かを誘っていきました。初めての人や昔よく応援していた人など。
今年は勝ちゲームばかりだったので、誘った方々には喜んでもらえたのではないかと思います。

単身赴任後、AWAYの応援では、試合後のサポのみ参加して、新たな出会いがあり、大変楽しかったです。
特に単身で応援しに来ている人同士が飲むと、その人なりのバックボーンの話が聞けて面白いです。
いろいろな方がコンサドーレを応援しているんだなと、あらためて実感しました。
震災後だっただけに、いろんな人と繋がっていくことは、人生を豊かにできる大事なことなんだなぁと痛感しました。

posted by nango13 |15:50 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年01月09日

2011年回顧-4

震災の事があったからかもしれませんが、人との繋がりについて意識を強く持つこととなりました。特に家族との繋がり、新たな人との繋がりです。

2011年、矢萩社長と会話させていただく機会が多く、現状や今後のお話を聞けて大変、有意義でした。特にユース年代への投資がコンサドーレの未来を創っていく内容に関しては夢が持てるものでした。内容についてはマスコミを通して話している事と大して変わりはないのですが、直に聞くと胸に響きますね。

社長とお話しさせている中で、予算の厳しさを改めて認識し、ほとんど自己満足なのですが、中断明けの2試合がとても重要だと思い、対戦相手の練習と練習試合をビデオに撮ってきました。湘南は練習を2日分。FC東京は甲府との練習試合。それぞれDVDに編集しました。編集したDVDは三上強化部長に手渡しできたのでよかったです。(実際に役に立っているかどうかは不明ですが)
他のチームの練習はとても刺激的でした。湘南は反町監督が攻守の切り替えや、前線での連携を細かく指導していました。FC東京は個人レベルが非常に高く、両チームとの対戦は厳しいだろうなと思いました。試合当日は、コンサドーレの練習内容と相手の練習内容を勝手にリンクさせながら観戦していると今までにない新たな価値観がでてきました。一つ一つのプレーの理由づけが出来て、例えプレーが失敗しても、それをトライする必要性があるものだということです。失敗するプレーの動機付けがわかれば、「なにやってんだよ」的なものの発想がなくなります。うまくいかないプレーを見た場合は、コンディションが悪いのかな?等と思ったりします。ただし安易なバックパスからのミス等や消極的なプレーは許容範疇外ですが。
湘南戦は負けたのですが、自分的には試合内容は満足できるものでしたし、FC東京線の引き分けは結果に満足しました。
湘南戦の後、挨拶しにきた選手に「大丈夫!このままこれを続けよう!」と声を掛けたところ、ゴンさんと目があい、ドヤ顔でうなづかれました。「あれ、意外といいこと言った?俺」みたいな感じで変な満足感でドームを後にしました。

6月以降仕事の都合で札幌に単身赴任していました。
チームの状況は一進一退を繰り返していたのですが、室蘭での横浜FC戦はいいところなく敗戦。おまけにサポと揉め事。そんな試合の数日後、偶然、河合キャプテンと隣通しで昼食をとることができました。


posted by nango13 |08:21 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年01月08日

2011年回顧-3

3.11以降、直面した問題の一つに、計画停電がありました。実際、私の住んでいる地域は1度しか停電は起きませんでしたが、計画が発表されるたび、その準備に追われ大変でした。我が家には1歳になるチビがいるため、節電および、放射能問題で精神的に疲れました。そして、なによりスーパーでの買占めは本当にビックリするほど商品がなく、また、買い占めをしようとする人たちをみて、社会生活の脆弱をついた災害が起きた場合のもろさを体験しました。

”疎開”

この言葉は戦中に使われていた言葉で、自分が使うことになるとは思いませんでした。食糧、電気、放射能の問題により、一時的に札幌の嫁の実家に”疎開”することにしました。2週間ほど札幌に滞在しましたが、札幌、北海道の良さを認識した期間でした。北海道の食糧自給率は200%とのことですが、エネルギーを化石燃料に頼らず自給できれば、北海道の自立性は素晴らしいものになると思います。

疎開中に見たチャリティーマッチですが、ユースの素晴らしさとサブ組の情けなさを感じました。
ユースの素晴らしさは今年のプレミア東日本優勝という結果が実証しましたが、HFCの取り組みの結果とU-12,15のコーチ陣の素晴らしさということもあると思います。

疎開中からあった心のモヤモヤ。我が家には1歳になるチビがいますが、被災地には同じような子供がいて困っているのでは?という思いから、テレビやインターネットからの情報ではなく自分の目で確かめて支援しようと思い、実際に被災地へ行って、出来る支援をしてきました。

支援1

支援2

当時のブログでは記載しなかったのですが、石巻ではサッカーグラウンドの芝を剥がし、亡くなられた方の遺体安置場所として使っていました。いつも見ているサッカーフィールドがこんな悲しい使われたかとしていることにすごくショックを受けました。身元が分からない状況もあるのでしょうが、遺体が安置されている場所は番号が書かれた板が刺されているだけで、なんだか、ただ通りすぎることが出来ず、お花と、お水、お酒をお供えし、手を合わせてきました。
中断明けのFC東京戦。ピッチを走る芳賀選手と石巻のサッカーグラウンドの思い出がフラッシュバックして、なぜだか涙がでて、途中まともに試合を見ることができませんでした。

一方でサッカーを見ることができる。自分のチームを応援できる幸せを実感しました。

posted by nango13 |08:30 | コメント(0) | トラックバック(1)

2012年01月07日

2011年回顧-2

東日本大震災の当日は家族や部下の安否確認に追われる状況でした。
特に、社員の実家が苫小牧の海岸線に実家があるということで、早急に非難するように連絡を取らせたのですが、電話回線が繋がらず非常に緊迫した状況となりました。幸いして、社員の家族は無事でした。
他の関東圏の社員は帰宅困難な状況となり、客先で宿泊したり、徒歩で帰宅してものの家に着いたのが2時ころだったり、最終の無事が確認できるまで大変でした。

震災当日はfクラブで夕食をとりながらTVで被災した状況をみていました。ただTVを通してみると、やはりどこか遠い世界の事に感じてしまいました。
翌日、Jリーグから試合の中止が発表されました。第一ホテルさんに宿泊をしていたのですが、2泊の予定でとっていたのですが埼玉に戻るため、とりあえず空港に向かいました。実際に飛行機が飛ぶかどうかが不安なためチェックアウトせずホテルを出ました。その旨フロントの方に状況を説明して、戻らなかったらチェックアウトとしてもらうようにお願いをしました。
空港に向かう前に、ドームに寄って、練習を見学しました。ドーム入口には北Q戦中止の貼り紙がありましたが、練習は普通どおりに行われていました。ただ、芳賀選手の姿だけはありませんでした。宮城出身なのは知っていたので、芳賀選手の心中を察すると練習どころではないよなと思いました。そんな練習の中、ウッチーがリタイア。階段も満足に下りられない状況でした。長引かないことを願ったのですが、思ったより重症でした。前半のウッチーのリタイアは影響が大きかったですね。
練習見学を切り上げ空港に向かい、飛行機に乗り、無事、羽田に着きました。

空港から自宅まではバスを利用したのですが、首都高は車が走っておらず、また車窓からは人影が見えず、東京はゴーストタウンと化していました。

posted by nango13 |09:10 | コメント(1) | トラックバック(0)

2012年01月06日

2011年回顧-1

2011年は開幕戦の愛媛の代わりに大分のトレーニングマッチ観戦から始まりました。
だんだんマイナーな観戦(平日、ナイター地方やPSMマッチ等)が病みつきになり、嫁と相談して、開幕の愛媛戦ではなく、大分のTMに行くことにしました。当日は普通の路線バスで大分銀行ドームまで向かいました。バスにはTVHのシールがついたカメラを持った人が。さすが、コンアシです。当日の試合にはTVHさんが取材に来ていました。

札幌サポはさすがに少なく20人もいない感じでいした。大分サポさんからは珍しがられました。ちょっとお話をした、大分サポさんによると、「いつも近藤にやられる」ということでした。相性があるもんだと思いました。確かにTMと大分のアウェイでユースケがゴールを決めてました。うちにも個人で相性が悪い選手いたかな?けんご位?

トレーニングマッチで目を引いたのは山下君の速さと強さ。ゆーすけのFKの意外性(低空でのカーブ)とチアゴの高さでした。ブルーノは球捌きがよく、期待できる外国人だという印象でした。西村も上がりのタイミングがよく、SBとしてそこそこ期待できる感じでした。
チアゴは足が遅く、DFとしては???でしたが、コーナーキックからのヘッドを見て、得点の可能性を感じました。嫁には冗談で、大作戦要員と言っていましたが、まさか本当になるとは。。。。
前年からDF3人が抜けた割にはそこそこ、いけるかなーって感じでしたが、昇格は厳しいとは思ってました。
試合後、山下君に「凄くいいよ山下君!期待してるよ」と声をかけたところ、満面の笑みで「ありがとうございます!がんばります!」と答えてくれたのが印象的でいた。まさか、こんなお別れがくるとは思いもしませんでした。

さぁ開幕戦。自宅でのTV観戦でしたが、ありゃりゃの2失点。いいところなし。
どうなるんでしょう?今期は!先行き不安だらけの開幕戦でした。
ホーム開幕の北Q戦は、札幌に出張する事になっており、ドームで観戦予定でした。

忘れもしません。前日の3月11日金曜日。
2時40分過ぎ、札幌にいた私の携帯が鳴りました。嫁からです。携帯に出ると、鳴きそうな声で
「今、地震がきている!立っていられない。TVも倒れて、食器棚から食器が全部飛びだした!」
自宅はマンションで6階立ての6階なので、揺れが大きくなっているだけだろう。大した地震じゃないと思い
「大丈夫すぐ収まるはずだから、慌てるな」と言っていると、大きな地鳴りとともに札幌の事務所も大きく揺れ始め、立っていられないくらいになりました。普通じゃない!と直感的に思いました。一度電話を切ると、その後、嫁への携帯がつながらなくなり、情報収集のため携帯のワンセグを見ると、都内では火事が発生し、九段下の会館で天井が落下する事故の速報がながれていました。ところが、しばらくすると津波の画像が飛び込んできました。
後は。。。。もう信じられないような画像がワンセグに映し出され、呆然とするだけでした。

posted by nango13 |08:30 | コメント(0) | トラックバック(0)