コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2012年01月08日

2011年回顧-3

3.11以降、直面した問題の一つに、計画停電がありました。実際、私の住んでいる地域は1度しか停電は起きませんでしたが、計画が発表されるたび、その準備に追われ大変でした。我が家には1歳になるチビがいるため、節電および、放射能問題で精神的に疲れました。そして、なによりスーパーでの買占めは本当にビックリするほど商品がなく、また、買い占めをしようとする人たちをみて、社会生活の脆弱をついた災害が起きた場合のもろさを体験しました。

”疎開”

この言葉は戦中に使われていた言葉で、自分が使うことになるとは思いませんでした。食糧、電気、放射能の問題により、一時的に札幌の嫁の実家に”疎開”することにしました。2週間ほど札幌に滞在しましたが、札幌、北海道の良さを認識した期間でした。北海道の食糧自給率は200%とのことですが、エネルギーを化石燃料に頼らず自給できれば、北海道の自立性は素晴らしいものになると思います。

疎開中に見たチャリティーマッチですが、ユースの素晴らしさとサブ組の情けなさを感じました。
ユースの素晴らしさは今年のプレミア東日本優勝という結果が実証しましたが、HFCの取り組みの結果とU-12,15のコーチ陣の素晴らしさということもあると思います。

疎開中からあった心のモヤモヤ。我が家には1歳になるチビがいますが、被災地には同じような子供がいて困っているのでは?という思いから、テレビやインターネットからの情報ではなく自分の目で確かめて支援しようと思い、実際に被災地へ行って、出来る支援をしてきました。

支援1

支援2

当時のブログでは記載しなかったのですが、石巻ではサッカーグラウンドの芝を剥がし、亡くなられた方の遺体安置場所として使っていました。いつも見ているサッカーフィールドがこんな悲しい使われたかとしていることにすごくショックを受けました。身元が分からない状況もあるのでしょうが、遺体が安置されている場所は番号が書かれた板が刺されているだけで、なんだか、ただ通りすぎることが出来ず、お花と、お水、お酒をお供えし、手を合わせてきました。
中断明けのFC東京戦。ピッチを走る芳賀選手と石巻のサッカーグラウンドの思い出がフラッシュバックして、なぜだか涙がでて、途中まともに試合を見ることができませんでした。

一方でサッカーを見ることができる。自分のチームを応援できる幸せを実感しました。

posted by nango13 |08:30 | コメント(0) | トラックバック(1)

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