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2007年06月07日

カクメイ家とオタク

被験者集めは思いの外順調にいった。
あとはもうひたすら実験をこなしていくだけだ。
実験って始めちゃうと楽しいのだけど、それまでが面倒だなぁ。



立花隆「中革vs革マル」講談社文庫、読了。
正確に言えば途中で読むのをやめたので読了ではない。
上巻の終わりくらいからだんだん飽きてきて下巻はあとがきだけ読んで終わりにした。

思ったのは、こういう形の運動は現代日本ではもう起こり得ないのだろうなぁ、ということ。この本を読むまで全共闘というのは大衆運動だと思っていたのだが、実際のところそれは大衆ではなく知識人による運動だった。なぜならこの時代は「文字」が情報の媒体として圧倒的な力をもっていたからだ。文字を読めない人(文盲という意味ではなく)は現代においてもそれなりにいるはずだが、情報の方が大衆化したから、文字=情報=思想=知識人が大衆を啓蒙するという図式はもはや成立し得ない。

全共闘は知識人の「『高尚な』部活動」だった、というのがわたしの感想だ。
「部活」というのは、そこに属する者だけに内輪的楽しみを与える。「中革vs革マル」は隠語や省略語の嵐だった。この本が書かれたのは全共闘が終焉しつつあった75年だから、その当時読めばこれらの隠語も省略語も「リアル」に感じられたのかも知れないが、現在のわたしにはそこからなんらかのニュアンスを読み取るのは難しい。
当時の一般大衆もそんな感じで全共闘を眺めていたのではないか。内側にいる者にとっては真剣な思想闘争も、外側から見ればオタクの戯言にすぎない。革命家ってオタクに似ているのだ。

今は、スガ秀実「革命的な、あまりに革命的な:「1968年の革命」史論」を読んでいる。これは部活の内側にいた人が書いたもの。もちろんカクメイ用語満載である。

posted by mou3 |13:00 | 雑感 | コメント(0) |