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FT なんらかのイニシャルではあります。 サッカー知らずのド素人札幌サポ。いつの日か札幌がJ1を制覇し、札幌にカルチャーとしてのサッカーが根付くことを夢見る戯言おやじ。寛容の精神で笑って応援するぞ

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PATRIOTISM, you sucks!!

2006年04月13日

タイトルは、カート・アングルから(笑)
 
オイラは札幌に生まれ育ち、ゆえにコンサドーレ札幌を応援し、
力及ばざるもサポの末席に連なって応援しています。
コンサドーレ札幌が自分の地元のチームであるがゆえに、その
活躍と発展が相乗効果をもたらし、ともに活力をつけていく
ことを理想としています。
その意味では、オイラに限らず札幌サポは皆が
「愛〈地元〉心」(たとえ道外サポであっても)そして
「愛〈コンサドーレ札幌〉心」の持ち主であろうと思う。
 
しかるに先日の新聞では教育基本法の改正に関して
この「愛国心」を強調する文言を追加することを、その
「愛」の対象である国の政府自体が決めてしまった。
(引用・リンクはしません。マスコミの違いでそのまま思想的
バイアスがかかるのを避けるため。恐れ入りますが各位でニュース
を検索してください)
 
国が「国を愛する心」を持てと国民に言うこと自体、
自惚れ者が「私を愛しなさい」と異性に向かって強要する
ような押しつけがましさを感じる。しかもたいていそんなことを
ぬかす人間はロクなもんじゃないと思うのだが。
 
気にくわないのはまだあって、愛国心を持てと声の高い人間が
しばしば「愛国心を法律に書くのは〈当然〉だ」とよく言うのを
見かけるが、この「当然」という言葉は実に曲者で、なぜ当然で
あるかをさかのぼって考察すること自体をあらかじめ拒絶した
うえで、当然だと思わない人間を最初から「おかしい」存在と
決めつけて貶める効果を持っています。
オイラは「愛国心は当然」という言い回しをする人間をまず
信用しないし、その傲慢さを鼻持ちならないと思うのです。
 
そして、これはすでに戦時中の記憶がある人に聞けばよくわかる
だろうが「愛国心」をやたらと強調し、他人に押しつける人間と
いうのを、オイラは最も愛国心から遠い存在だと信じております。
前途ある有為な若者を戦場に送り無駄に死なしめ、その犠牲の影で
甘い汁を吸っていた「自称愛国者」が我が物顔でのさばっていた
ことは以外と知られていないが、それは戦前戦中を生きた人なら
周知のことであります。
 
あえて言う。
押しつけられた「愛国心」なんかに忠誠を誓って
死ぬ気などサラサラない。
オイラの愛国心は、古代から面々と続く文学を読み、
能狂言や歌舞伎を愛し、北斎や広重の絵に感動したりする、
そういう豊かな文化と、それを育んできた大地と共同体の
豊かさを愛することだ。
生まれ育った札幌の地、北海道の地の恵みと厳しさの中で
生き、そこに根付こうとしているコンサドーレ札幌の成長を
共に期待し見守りたいと思う心だ。
 
「オカミの言うことに文句を言わず、唯々諾々と従う人間」
が「愛国者」ではあるまいよ。
 
ああ、また波乱を呼びそうな事を書いたかなあ…。
前にも書いたが、愛国心とサッカーとは切り離せない接点が
あって避けられないゆえに、デリケートな問題ではあろうが
敢えて書いてみました。
 
いずれ「祝祭」エントリの続きでも、触れることになるかも
しれないな…。


祝祭としての試合(1)

2006年04月07日

今日は単なるアナロジーである。
考えをまとめるための前提を、自分の中で明確にするための
ものであります。
 
あの青々ときれいに手入れの行き届いたピッチは、
春なお遠き札幌において奇跡のように自然の息吹を保つ。
そしてそれを保っているのはグラウンドキーパーの献身的な
手入れの賜物。
いわばあのピッチは、自然と人工が共同で作り上げた聖域だ。
 
神社に敷かれた玉砂利や、寺院の奥深くの枯山水も、神聖な
空間を作り出すために整然と手を加えられている。あの美しい
芝のピッチは、それにも増して緑の生命力と、聖域を維持する
人の努力が結晶している。
 
その聖域に足を踏み入れられるのは、選ばれた選手のみ。
選手は、聖別された神官であり、シャーマンだ。
スポーツの「プレイ」も、舞い踊り舞台で演じるのも「プレイ」。
彼等、祝福された選手という名の踊り手たちには、
神が降りる。それはサッカーの神なのかも知れないし、
もっと何か別のものかもしれない。
 
選手は、その聖なる能力の限りに、舞を奉納する。
もう一つの聖なる依り代「ボール」を中心に、
赤黒の聖衣をまとった舞い手たちは、聖舞台としてのピッチで
自ら神の化身となって踊り、同時に混沌たる神への奉納とする。
 
もちろん、シャーマンとしての能力には個々に差異があり、
聖別された選手とはいえ完璧ではない。と言うか、神とて
完璧ではないのだ。
逆にシャーマンの能力の高い舞い手は、すさまじい影響力と
結果を生じさせることができるわけだ。
 
さらには、ピッチに降りてくるのはサッカーの神だけではない。
目に見えない邪霊もまたイタズラをしに降りてきている。
彼等は舞い手の足をこっそり引っ張ったり、意図せざる悪意を
発揮するのだが、それは選手達にあえて困難を与え、聖なる舞いの
練度をさらに高めるためなのだ。
選手はその困難を乗り越えることによって、ゴールという
さらに高みを、舞いのクライマックスを目指す。
 
高ぶる鼓動、焼けつく呼吸、噴き出す汗、駆けめぐる血潮が
さらに選手の狂躁を煽り、テンションを高め、常人にはマネの出来ない
個々の能力を超えたプレイが生まれる。
…文字通り「神が憑く」のだ。
 
かつて神社の神楽は、誰も見る者のない奥の院で演じられた。
それを見る者は、その聖域に入ることができる神だけだからだ。
しかし時代は移り、そのような秘儀を氏子としての観客も目に
することが出来るようになった。
しかし、氏子がいかに世俗の権力があろうと、この神楽の舞台に
足を踏み入れることは、決して許されない。
我々サポが、決してピッチには入れぬように。
 
氏子にできることは、せめてその舞い手たちの踊りが神に嘉せられる
ことを願い、舞い手を鼓舞することだけだ。
 
やがてそれは、御輿をかつぐという行為になる。
神の分身である御輿を激しく担ぎ揺らすのは、文字通り「魂を
揺さぶること」、壊れかけた機械を我々は思わず振ってしまうように
「揺れる」ことは生命力を復活させることに通じる。
だから、ゴル裏のサポがサルトするのはその意味でも正しい。
魂を揺らすことによって生命力をほとばしらせ、それを選手の
「舞い」に力を付与することになるわけだから。
 
もちろん、「フラッグ」もまた古来から生命力を鼓舞するために
用いられてきた「聖具」である。振れば振るほど力をみなぎらせる。
 
「歌」は、神に力を求める儀礼だ。
この漢字の右側「欠」は、左側に大きく口を開けて神に叫ぶ人の姿だ。
左側の「哥」は、二つの太鼓(正確には神への祝詞を封じた容器)を
バチで叩いてリズムをとっている字形なのである。
歌声が大きいほど、その生命力の大きさに神が祝福を与えてくれるのだ。
 
サッカーはこうして祝祭の場(こういうのを専門用語では「トポス」とか
言うらしいが)になる。
舞い手である選手が神聖な舞台であるピッチで神の舞いを踊り、
氏子であるサポがビッグフラッグという御輿を担ぎ、頌歌を唄って
ヴァイタルなパワーを付与し、そして神の祝福を求めるのだ。
その祝福はかつては五穀豊穣だったわけだが、今の祝祭では何が
もたらされるのか。
 
それが札幌、ひいては北海道という「大地」に生命力を与え、蘇らせる
神事になる…。
 
 
誇大妄想的だが、オイラの脳裏にある「コンサドーレ札幌」は
そういう存在なのだ。
 
さて、この構図からさらに見えてくるものはなにか。
もうちょい考えるよ。
明日はどんな舞いを見せてくれるのか、札幌のイレブン達は。


栄光は誰のために

2006年03月22日

タイトルがこうだからと言って、別にブラチク星人が
出てくるわけではない。念のため(笑)
 
サッカーというのは本来はどうだったのかはよくわからないが、
W杯が出来て以来は、国家間戦争のミニチュアともいうほどの
ナショナリズムがバックボーンになっている。オイラの類推では
そこを頂点としたピラミッド構造の裾野として、Jリーグの
地域密着理念も引き出されてきているんじゃないかな、と思う
のだがどうか?(商業野球との差異化とか、要素はそれだけじゃ
ないとは思うけどね)
 
地域密着というのも、言い換えれば地元至高主義であり、
まさにプチ(ああ、嫌いな言葉)ナショナリズムの形として
Jリーグの各チームは支えられているわけだ。
(また例によってくどい前提をのべているな自分)
 
何かというと、少しく不快なものをテレビで散見したからである。
愛媛戦の体たらくのことではない(笑)
 
WBCで日本チーム(こういうところで王ジャパン、という
慣用語をことさら嫌がってる自分、やはり天邪鬼(汗))の
優勝を報じている。いまだにしつこく、尾を引いている。
それはいい。オイラも実は中継を見ていた。後半は愛媛戦と
ザッピングして見ていた。勝ったのはご同慶の限りで、実に
おめでとうである。身びいきがあるのは全く否定しないから
オイラもそこそこ嬉しかった(愛媛戦の勝利の方が嬉しかった
ろうが)。
 
しかし、そんな中でどうにも気になる「文脈」がちらほら
目に付いてしまう。
勝利に興奮したんだか、ファンが「日本人で良かった」と
絶叫している姿。
オイオイ、あなたが勝ったわけではないでしょうに。
日本人全部が優秀だから勝ったわけでもないでしょうに。
勝ったのは、あのスタジアムに参戦したチームの選手であり、
勝てたのは彼等の能力が優れていたからであり、そして
その優勝の栄誉はあのチームのメンバーのものだ。
 
オリンピックでもそうだ。
個人(もしくはチーム)が勝ち得たメダルを、いつのまにか
「日本のメダル獲得数」という数字に還元して、ちゃっかり
その栄誉を横取りしている構図。
先日のトリノでなかなか結果のでない選手に無礼にも浴びせられた
罵倒は、その栄誉のおこぼれにあずかれないさもしさが
もろに現れていた。
 
それと表裏一体で、今回の野球の優勝をあたかも愛国心の発露
がどうのという文脈で語っているコラムやら何やらを複数見かけた
が、オイラから言わせればそんな愛国心は、上記のさもしさの
背面でしかないだろう。
 
ついでに、WBCに参加しなかった松井への隠微なバッシングも
ネットではさんざん行われているようだ。
愛国心を振りかざす連中にとって、そういう自分を正当化する
もっとも簡単な方法は、他人を貶めて相対的に自分を高めること。
平気で他人を「国賊」「非国民」「反日分子」と呼ぶ社会は
オイラにとってマトモとは感じられない。だが、あいにく世の中は
そっちにむかっていっているようだ。
 
まとめ。
WBCの優勝の栄誉は、日本チームの選手達&スタッフのものだ。
同じ日本人だからといって、その栄誉を横取りすることは
誰にも許されない。
 
サッカーにまつわり、切っても切り離せないナショナリズムの問題は
いずれまた触れることがあると思う。オイラももっと冷静に考え
続けていきたい。またもメンドクサイ話題でみなさんに陳謝。



群衆の数が多くなるにつれて、その心情は盲目になる

2006年02月18日

タイトルの言葉の出典を調べたがわからないので、
碩学の知恵を乞います。
 
ついこないだに、多少のコップの中の嵐程度に
意見を喚起してみたわけですが、最近は寡言を保って
おります。結果としては孤立無援になりそうだったし
オイラ自身も決して一途に懸命に応援をしておられる方々
を誹謗する気は無かったので、言葉尻を捉えてごねるのも
こっちの意図に反するので、しかも開幕を目前に控えて
いるこの時期に気分を挫くのもよろしくないだろうと
思って、筆を控えておりました。
(風邪をひきまくって以来、いろいろ考える気力が
やや衰えていたせいもありますが)
 
速攻で消しましたが、私のことを寂しいヤツ呼ばわり
した名無しのゴンベエもいたんですけど、まあそう思って
くれてもいいけど、リンクも貼らずにひと言だけ嫌味を投げつけて
くるような礼儀知らずには速攻消去がふさわしいわけで。
 
ただ、反論を丁寧に寄せてくださった皆様には改めて御礼と
いろいろとご心痛を抱かせたお詫びを申し上げます。
 
もっとも、天邪鬼の心性が改まったワケじゃありませんで、
相変わらず癇に障ることはこれからも言うと思う。
熱狂を楽しむのも決して否定なんかしないし、自分自身も
勝利に酔いたい気持ちはやまやまであるが、どこかで
冷静に冷たい水を飲んで考えたり省みたりすることは必要だと
思っているので、こういう少数派がいた方がむしろ健全ではないか
と自己正当化を図っております(笑)
 
さて、今日もそういう癪に障るようなことを書こうかと思ったけど、
久々なんで前置きでエライ字数になった。理由は別の日に書くけど
主題だけ残しておこう。
 
よく耳にする言葉だけど「気持ちを見せろ!」っていうのが
ありますな。オイラはアレを聞くとぞわぞわ文字通り虫酸が走る
んだが、そういう人ほかにいませんかね(汗)
というかオイラがそうだから、その根拠は近日。
 
さあて、代表戦もいいが、その後はWWE「ロイヤルランブル」が
楽しみなスカパー!でありまする。



犬骨折って鷹にとられる

2006年02月12日

日本文化を愛することにおいては人後に落ちないつもり
のオイラだが、愛国心というのとは違うな、と自分でも思う。
(ましてや近隣の国を貶めて相対的に己を高くする手合いは
どうしようもないと思うが、このエントリの内容には関係ない)
 
オリンピックをやっているが、生活時間のズレもあると思うが、
全く興味を持てないままである。もちろん、一生懸命にやっている
選手には頭が下がるし、敬意を捧げるのは当然。
 
報道も含めて気色悪いのは、「選手個人の栄誉」がそのまま
「国の栄誉」にスライドされて、最後には例の「国別メダル獲得数」
の数字に還元されてしまうこと。
結局最後には、自分の国がいかに優秀だったかの自己満足の数字
だけが残り、その一つ一つのメダルにおける選手自身の栄誉は
どこかに置き去られてしまう。
 
入賞やメダルは、あくまで選手自身の栄誉。
それをあたかも「我が国」の栄誉にすり替えて一喜一憂して
いるのが気色悪く感じてしまうのだ。
 
このへんはワールドカップにも通じるんでしょうな。
ナショナリズムのミニチュア。
だから実はあんまり日本代表もW杯もどこか心は躍らない。
昨日のアメリカ戦もちらっと見た程度だったんで、罰が当たって
2得点のシーンを見逃した(笑)
 
頑張っているのは選手。それを応援し、バックアップして
結果が出せるようにしてあげたい。そういう気持ちで
微力ながらも、今季の札幌を支えたい。その結果として勝利を
得られたチームを、選手を称えたいし、ごく僅かに自分の
アイデンティティをそこに重ねて栄誉に酔いたい気持ちも、
それは間違いなく存在する。
ただ、選手やチームが成し遂げて産み出すはずの果実だけを
食うようなマネはしたくない、と、テレビでやってるオリンピック
を横目にしながらつい思ってしまう日曜の朝なのだった。



亀の甲を鶴が羨む

2006年02月11日

昨日はほんのわずか無知によって悔しいことが。
丸井今井に行って大アンコールワット展を見物した後、
連絡通路で一条館に移動したところ、9階の郵便局を
通りかかったので、あ、そういえば、と思って
シーチケの代金27000円を振り込んだ。
 
そのまま地上に降りて、南館に移動(初めて足を踏み入れた)
シースペースに上がってレプリカユニをオーダー。
ほとんど人はいなかったな(汗)
ふと見ると、ファンクラブ事務局のデスクが(汗)
聞けばここでもシーチケを扱ってくれると言うが
文字通り後の祭り。振込手数料と申込書郵送料併せて
200円が、移動順のイタズラでムダになってしまった
せこい話であった(汗)
 
噂の雪だるまドーレ君があれば買おうと思ったが、
あったのはあざらしドーレのみ。売り切れかあ、人気ある
んだなあ、と思ってそのまま地下に降り、オーロラタウンから
「西5丁目」まで地下を通って地上に(汗)
そう、雪祭り4丁目?会場の特設売店を、知らずに素通りして
しまったのだ(汗)聞けば雪祭り会場の店にはたくさん置いて
あったらしいですな(汗)
そうとも知らずに雪の中ひたすら道立近代美術館に急いだ
私でしたとさ。
 
ああ、でも浮世絵はいいなあ。また見に行こうかなあ。
 
 
ところで、前にも書いたが、フラッグ作りも良いが、
サインボード作戦の方が手軽で良いかなあ、などとも
昨今考えております。周りに迷惑にならないことを前提に、
大きさとか考えてみたいねえ。
 
そう言えば、スカパー!のFIGHTINGサムライTVで、ついに
うわさのTNAのPPVを放送してくれるそうだな。
オイラは格闘技好きだが今までPPVのWWEその他で
手一杯で、月に2700円弱もするサムライには入って
いなかったのだが…。
うう、TNA見たいけどコストがなあ…(汗)
 
同じくスカパでJ2全試合生放送と聞いたが、
果たしてどのような形で放映になるのだろうか。
PPVチャンネルを活用するなら、Jリーグセット
に入る必要が出てくるなあ。実は去年まで入ってなかった
が…。
ホームなら地上波が6,7割はやってくれるだろうし、
Jスポーツなら入ってるから、そっちでどのくらいの割合で
やってくれるかどうかだな。
 
今日のタイトル。
人間の欲にはきりがない、というココロ。



盗人の昼寝

2006年02月07日

風邪でぶっ倒れて相変わらず不調だが、幸い
PCをいじくることができるほどには回復。
しかし職場にはインフル蔓延につき戦々恐々。
体力をつけたいが、ここしばらくはずっと
コンビニ弁当が一日で一番のごちそう状態。
低空飛行で行くしかないな。
 
先日やっとファンクラブ証が届いたのだが、
外出する余裕がないので買い物できず。
シーチケとレプリカシャツで、約4万円強か。
家計的にかなり厳しいので、節約しなければ。
 
さて、先日以来申し述べてきた事に関して、
多くの皆さんに多少の議論を喚起できたのかな
と思っております。オイラも別に熱心な応援に
水を差すのが目的というわけではないのですが、
とにかく冷静に別の見方もあることを常に意識
してやっていけたらいい、とは思ったのですよ。
 
オイラの意見自体はほぼ前回までに言ってるので、
特に付け加えることはありません。一点、
「なぜ声もあげないサポがゴル裏にノコノコ来るのか」
という問いかけがありましたが、私自身は旧SB席に
近いB自由席にへばりつくのが常態だったので、
そういう人たちの気持ちは揣摩するしかありませんけれど
やはり以前オイラが去年の開幕でアウェイに座ったときに
感じた気持ちからなのでしょうな。寂しいからでしょうキット。
 
オイラは肝機能障害から来る心肥大を抱えていて、
(ま、年相応の衰えではあるんでしょうが)
あいにくさすがに90分飛び跳ねて歌い続けるのは
しんどいので、いつもはたいていB自由席の隅にいるわけ。
去年で熱烈サポ席に行って跳ね続けたのは「あの」水戸戦
を含めた数試合だったなあ。あの時はさすがにせっぱ詰まっていた
からね。
 
そんなオイラがたまに熱烈サポ席にのこのこ入り込んで、
精一杯応援しているつもりでもハタから見たらぬるい応援で
若く元気な諸君の顰蹙を買うこともあるかもしれないが、
そんときはあんまり邪険にしてくださるな、ということで
収めてほしい。
 
さて、次からはまた呑気なエントリーでお会いしたいものです。



角を矯めて牛を殺す

2006年01月31日

ああ、もうヘンな風邪ひいちゃって精神的にすごく
やばくなっておりますよ(汗)やさぐれちゃって。
 
好意的なコメントくださった方、どうもありがとう。
ちゃんと言いたいことが伝わっているとわかって一安心。
 
非難的なコメントくださった方、悪いけど
オイラの文章ちゃんと読んでね。
細部も読まずに、気にくわないヤツは敵だ、的に
非難の言葉をぶつけてきたってムダだよ。

たかゆきさんの気持ちはわかるし、たぶんこっちの
意図は、疑義を呈された点などを除いてはある程度通じて
頂いているとは思います。たいへん誠意と熱意を感じた文
であるなとは思います。
もちろん意見の相違は多々あるので、そのへんは
また考えをまとめて行きたいと思いますが。
(今日は風邪ひいてることもあるので、後日また書くと思う)
 
それにひきかえ28日のエントリのコメントのレベルは
低くてがっくり。上気したとおり、返事する気もなくなった
酷さだったな。でも返事しないとオイラを「へこませてやった」
とか思いこまれてもヤなので、ひと言レスで。
オイラのコメントを引用しただけで
「ご自身で応援の意味はわかってらっしゃいますよね?」
と揚げ足とったつもりのあなた。
そんなことを言うあなたはきっとすばらしい応援の意味を
熟知されているのでしょうなあ、いやあ、ご立派。
ぜひご高説をうかがいたいもんだ、正しい応援の意味とやらを。
「ってか、いつまでJ2にいる気なの?」と言って
現在を見てないあなた。事実この3年J2にいることを
否定するのかいな?「近視眼」という言葉がふさわしいね。
 
タイトルの意味。
牛の角を格好良くしようとして矯正したら、
肝心の牛が耐えきれずに死んじゃった。



天はサポの上にサポを作らず、サポの下にサポを作らず

2006年01月28日

前回のエントリはタイトルが少々過激な言葉だったせいか、
かなりのアクセス数になり、今まで全く無縁だった
アクセスランキングにも25日の第28回では23位に
入っていたのにはちと驚かされた。
この問題について多少はサポの皆さん気になること
なのかな、と再認識。もっとも、たぶんすでにあちこちで
さんざん言われてきたことなのであろうとは思うが。
 
ただ、また数日ご無沙汰だったので、この問題が他の方々に
どれほどの波紋があったのかは確認してないが、大した影響は
無かったようで。
 
ま、前回のエントリも実は自分でもツッコミ放題な文章で
あることは自覚していて、反論コメントがそこに行っちゃったのは
仕方ないなとは思うんですが。
 
ただ、当方が一番気になる部分への反論は残念ながら無かった。
オイラが一番気になったのは。
「うちのゴル裏ヤバイ」「ひどすぎ」という言葉だったのね。
熱烈サポ(前回書き間違え陳謝)席で声が出てないのがいる、
突っ立ってだけ、ああいうのはちゃんと分けて、声出す人だけ
真ん中に固まれ、それが出来ないなら熱烈サポ席無くせ、
というのが意見の要旨だと思ったんだけど。
 
オイラにとってゴル裏がヤバイ、なんてのは、某チームで
サポが分裂し睨み合って、互いにバラバラな応援している、
なんて状態になってこそ「ヤバイ」のレベルであって、
うちなんか多少はウルトラスへの非難がたまに漏れつつも
まとまってる方じゃないのかなあ。
呑気だと言われそうだが、たかが1万人前後の集客が常態に
なっているJ2チームであれだけの応援が出来てるのは
かなりのレベルだと思うんだけどね。
 
何よりも、上記のような意見には、明言していないものの
言葉の裏に「排除の論理」が見え隠れしている。
分けた方が良い、という言い方には、明らかに
声を出していない「怠け者」を追い出せ、そうすれば
応援は「効率よく」迫力のあるカッコイイものになる、
という発想だ。
 
確かにかっこよくて迫力ある応援が出来れば
いろんな意味で満ち足りるだろうけれど。
でもそれって、社員の気持ちも考えずクビを切って
効率化しようというだけの企業の経営者と同じだなあ。
でも、社員(サポ)を峻別して役立たずは追い出せば
いい、というのはどうだろう。それって「客観的な批判」
のように見えながら、実はどこかで自分を高所において
いるんじゃないだろうか、とさえ思うのだ。
そんな「企業の論理」が厳然として社会にあるのは
やや不愉快ながらもしかたないかもしれないが、
愛するチームを応援する場にまで持ち込むのは勘弁。
 
確かにどうにも盛り上がりが悪いなあ、と思う試合も
昨季あったし、これからもあるだろう。
アウェイ側の相手サポの方が声が出てる、と感じるときもある。
(音響的にはそういうこともあるらしいから、それを引き合いに
うちの応援がヘボいとか言う人も去年いたけど、そう単純ではない
ことは承知しておこう)
 
でも「そういうこともあるのさ。今回はイマイチでも
次に頑張ろう。選手と同じように」でいいんじゃないかなあ。
危機意識を持つのは大切だけど、理想を求めすぎてそれに
合わないものを峻別・排除することまで掲げるのはどうだろう。

清濁併せ持つ、という言葉もある。
一色で塗りつぶす、という方法論もあろうが、
多様さを寛容をもって包括する、という方法でも良いんじゃないか
とオイラは思う。
ゆえに、熱烈サポを「囲い込む」のも、ユルサポを「排除」
するのも避けた方が良いんじゃないか、というのが考え。
 
またメンドクサイことをヌカしてしまって陳謝。
でもこの件は雨後の筍のようにこれからも出てくるだろうから
その時にさらに考え続けていこうとは思う。
 

最後に、コメントで反論いただいた皆さんをあげつらうような
文章になったのは本当に申し訳ない。自分が無謬だと思っている
ワケでは決してないので、どうか寛恕していただければ幸い。
札幌を応援する気持ちに変わりは全くないつもりです。



戦うのは選手であってサポーターではない

2006年01月25日

いまだに耳にして慣れない言い回しが
「戦っていないサポ」というやつなんですわ。

一生懸命応援して選手の後押しをしよう、選手が好プレーを
発揮できる環境を作ってやろう、ミスをしてへこみそうな選手を
激励してやろう、ファインプレーを存分に誉め称えよう。
そういう意味を強調するためのレトリックであるのなら
「サポも一緒に戦おう」という言葉も美しいと思う。
 
ただそれが、「ああ、俺はチームにこんなに身も心も捧げて
応援しているんだ、何て美しいサポ魂を持った俺…!」
というナルシシズムに陥った瞬間、その自己陶酔はたやすく
他者非難に変わる。
「俺はこんなに必死で応援しているのに、あいつらは
声も出さず、応援もせず、突っ立っているだけ。何て情けない
奴らだ。あんな奴らがゴール裏にいっぱいいる現状はとても
耐えられないぜ。熱血席に座ってるんならもっと声を出せ!
サポも戦え!戦ってないサポなんか来るな!」

…ちょーっと待っておくんなさい。
戦っているのはピッチに立っている選手であって、サポじゃない。
サポも一緒に戦う、というレトリックは美しいが、サポは決して
戦えない。ただ、戦っている選手にサポは自分のアイデンティティを
託し、応援するだけだ。そしてその度合いがナルシーな理想に
一致しないからと言って、他のサポの本気度を罵倒できるはずはない。

感動的な映画を見て、号泣する人もいれば、そこまで行かないが
静かに満ち足りた思いを抱く人もいる。それと同じだ。
なら、ゴール裏には熱狂的なサポだけが占めて、それ以外の
連中は散れ、という人もいるが、座席が値段に拘束されている
ことを忘れないでほしいな。全席同一価格ならそういう言い方も
出来ると思うが。
 
かつてドームが満員御礼になった頃には、確かにあの
「熱血サポ席」はそういう人々で埋め尽くされていたんだろう。
(だろう、と書いたのは、そのころオイラは道東住まいで
常勝札幌を現地で見たことがなかったから)
今それが寂しくなったのも事実なんだろうが、だからといって
可能性のある未来を切り捨てて熱血サポ席を廃止するわけにもいくまい。
看板に偽りありなのが耐えられない人もいようが、それは呑み込んで
ほしいものだ。
 
前にも言ったことがあるが、今のB自由席を
オイラは歌舞伎座の「一幕見席」のようなものだと思ってる。
最低価格を設定することで、毎回必ず来てくれる見巧者の
常連が熱心に声をかけて贔屓役者をもり立てると共に、
これから関心を持とうとする一般人・学生や観光客が気軽に
見ることの出来る席。
 
今のB自由席はそういう場になっている。それが苦々しいと思う人が
眩暈を起こしそうなほどに統率と迫力をもって応援している
他チーム(嫌がられついでに、たぶん浦和とかを見てなのかな、
と書いてしまってみる)に感動と、そして同時に嫉妬を覚えて
「ああいうふうな応援の出来ない札幌サポは『戦ってない!』」
と言いたいのだろう。
 
でも、それは実は、隣の芝生が青く見えてるだけさ。
なに、札幌はまだ頑張っているサポが大勢いて、恵まれている
というふうにも思えますよ。
札幌が強くなり、勝ちを重ね、上位争いをし、寸指の先に優勝や
昇格が見えるようになれば、さらにはJ1レベルで観客を魅了できる
ようになれば、もう勘弁してくれ、そんなに熱くならなくていいから、
って言いたくなるほどにB自由席は文字通り、額面通りの
「熱血サポーター席」になりますって(笑)
 
長くなったが最後に。
オイラ自身は、たとえチームが点が取られようが何の変化もなく
歌い続けている応援方法って、ちょっとどうかなと思うんだ。
やっぱり点を取られたら、全身で悔しさを表現するのが自然だと思う。
(前にやってたバルサの番組でも、あの熱狂的なバルササポだって
失点すれば天を仰ぎ腕を振り、大声を上げて無念の声をあげてたよ)
その意味では、よく引き合いに出される浦和の応援は、正直
オイラは気味が悪い。まあ、この点は好みの問題だから申し訳ないが。



アンチ気合派としては

2005年11月26日

もう数日経っているのに、いまだに前回の大敗を
「気合いが足りない」「精神力が足りない」で
非難している方々を散見する。
まあ、実際に前回はそこは確かに敗因の一つで
あったことは確かだろうね(汗)
 
ただね…。
前のエントリーにも書いたんだけど、私の考えでは
「精神力や気合いだけで勝てるなら、どこも苦労しないって!」
札幌サポの立場を離れて公平に見れば、甲府の方だって
とんでもないモチベーションで戦いに臨んでいたんだから
どっちが濃いとか薄いとかの問題じゃない。
 
だいたい、戦争でもスポーツでも精神力だ気合いだを
前面に持ち出して結果を求めだした側は、たいていダメだ。
精神力や気合いを云々して兵隊に成果を無理強いするのは
どこかサポートが抜けていて、それをごまかしてるときか、
もしくは勝てそうもない戦いを無謀に戦っているかの
どちらかだ。
(旧日本軍のことを引き合いに出せばよくわかるだろうけど、
そのへんで疑問のある方はいろいろ本など精選して読んで
勉強しよう。オイラも日々勉強しているつもりではあります)
 
もちろん、前回のはメンタルな要素が多いことは確かだった
と思う。だからこそメンタルとフィジカル両面を統合した
トレーニングが必要で、それは進行中なんだと思う。
(話がそれるが、そのためにもトップチームは同レベルの
戦力同士で紅白戦が可能な人数を揃えてほしいと思っていた
ので、次期補強でトップの頭数を増やすとの発表は嬉しい)
 
最終的に物を言うのは、適切な物量を(この場合は投資額だね)
適切に必要なパートに投じ、それを有効活用できる適切な
トレーニングによって、最高のパフォーマンスを引き出せるか、
という冷徹な物理的要件にかかっている、と思う。
そのどこかの破綻を「気合い・精神力」でごまかすことを
サポが求めるのは自傷行為ではないかとすら思うのですよ。
 
気合いや精神力ではない。
選手の皆さんは、これまでに蓄積してきた自分自身の
ポテンシャルを信じて、最高のパフォーマンスを発揮してほしい。
勝利はその先にある。



健康管理

2005年11月17日

風邪…というより、疲労の蓄積で、
とうとうカタギ仕事休んでもうた。
 
最近、二時間に一回トイレに行く状態で
夜もよく眠れなくなり、悪循環。
明らかに腎臓に来ているとのことで
八味地黄丸を処方してもらっている(汗)
完全に老化じゃ自分(汗)
 
サッカー選手はふと気づくと目を剥くほどに
若いが、どうやって健康管理しているのかな。
風邪なんて、ちょっとしたバランスの傾斜で
あっというまにひくからなあ。
 
鍛えている運動選手は、余分な脂肪とかないから
かえって抵抗が低くて風邪を引きやすい、とも聞く。
 
自己責任、という言葉が流行りだが、どうにも
本来は面倒を見る側が手を抜くための方便にしか
聞こえないのは気のせいか。
選手のバックアップの一環として、球団には
しっかりケアしてほしいと一ファンとして願います。



足らぬ足らぬは

2005年11月14日

「気持ちで負けるな」という言い方もよく聞きます。
確かにやる気は大切。それはサッカーのみならず
仕事でも趣味でもそうですな。
 
ただ、ごめんなさい、あくまでこれは個人的な気持ちですが、
「精神力で勝てるなら、どこも負けやしないって!」
ということも思う。

残念ながらサッカーも戦争も、物量が最後には勝つのよね。
潤沢な資金で優れたタレントを揃え、優れたスタッフの
バックアップで固めた側が最後には勝つわけだ。
局地的には偶然の差配が働いて番狂わせもあるが、
最後に生き残って凱歌をあげるのは、「豊かな方」に
なるわけだ。
 
すでに日スポでは来季の選手の構想が語られ出した。
つまりは、現有戦力は(全部ではないにしろ)はじき出される。
勝つ能力がないと判断されるわけだ。リストラだな。
個人的にはものすごくツライが。チーム全体と同じくらいの
重みで選手も大事だからね、ファン的には。
 
話がずれたが、個人的にあんまり「精神力」を振り回したく
ないってこと。
敗色濃厚でも「大和魂」なんて言葉で多くの若い人々を戦火に
散らせてしまい、貴重な才能をあたらムダにしてしまったあの
戦争のことを考えると…。
 
安全なところでのうのうとしながら、前線にはまともな支援も
与えずに、足りぬ足りぬは工夫が足りぬ、とスローガンばかりで、
精神力を押し立てて国民を死地に向かわせた権力者の醜さだけは
真似したくないんだよなあ。
 
じゃあ、お前がその「物量」とやらをチームに与えろよ、
という非難も当然くるよね。
その意味では、この気持ちもただのわがままなんだが…。
 
「気持ちをみせろ!」という言葉が上滑りして、
選手の心身をすり減らす状況に追い込むことだけは
正直避けてほしいんだ。
極論すれば、気持ちなんか後回しにしても勝てるような
そんな戦力、技術が備わるチームへと、早く進化してほしい。
チームが豊かになれば…。



サッカーは戦争に非ず

2005年11月08日

サッカーはスポーツではなくて戦争である、
というような表現を冗談とも本気とも判別尽きがたく
見かけることが、たまにあるような気がします。
岡ちゃんが日本代表を率いてフランス行った時には
いしいひさいち先生の4コマで、そういうネタのが
あったような気がする。
 
大真面目で言えば、サッカーが戦争ではたまらんな、
と思うよ。擬似戦争でナショナリズムのガス抜きに
なるのかもしれんが、死人が出るようなのは御免だ。
 
何より恐いのは、本物の戦争までをも勝った負けたの
二分法で判断してしまうような風潮が、サッカーの
盛り上がりで一般化してしまわないか、ということだな。
 
最近こんなことを言うと時代遅れの左派かぶれと言われそう
だが、オイラはいまだに国際試合の国歌斉唱の場面になると
テレビを消してしまうのさ。
そういう人間だってまだいるってこと、許容してくれよ。
 
そして、天秤にかけたなら、日本代表もいいけれど、
それより何よりも、この札幌のチームを愛しているよ。
足元の文化を愛することから、愛郷心も愛国心も育つん
だろうと思うな。
 
脱線陳謝、あの自民党の憲法草案の悪文に、あんなんで日本を
愛するようになるわきゃねえだろっ、と軽く毒づいたオイラです(笑)