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2011年01月27日

せめてもう5年後に生まれていたら・・・

アジアカップでのJAPANチームの面々を見ていると、
「日本人も変わって来たんだな・・」と思います。

「日本人選手の意識が変わって来た」と言った方が正しいのかもしれません。


目は常に世界に向いていて、
どうやったら世界で勝てるようになるのか、
世界で通用する選手になるにはどうしたら良いのか、
アジアでの戦いといえ、そこには「世界仕様」でありたいという想いが強く感じられます。


「このチームに、ヒデ(もちろん全盛期の)を入れたらどうなるのだろう?」

そう思うことがしばしばあります。

そして、

「ヒデがもう5年後に生まれていたなら、もっと楽にサッカーができたかもしれない。
もっと長くサッカーを楽しめたかもしれない」と思ってしまうのです。


それは、私がサッカー選手中田英寿を信奉していたからであり、
ヒデを長く見続けてきて、その孤高の人ぶりを辛い思いで見ていたからなのですが。


今年、南アフリカのW杯の前に、スカパーでは過去のW杯における日本チームの全試合を放送していました。
私は、それを記録として残すべく、録画しました。


ヒデはどの試合にも、大きな存在感を示しているのですが、
本当にのびのびとサッカーをしているのは、
名波さんや山口さんら力のある年上の選手たちに見守られていた「フランスW杯」のときだけのように見えます。

フランスW杯のあと、ヒデはイタリアへ渡り、一躍時の人になり、
突出した存在になり、そして、孤高の人になっていくのです。


世界中に若い日本のサッカー選手たちが飛び出し、
世界基準のサッカーというものを、苦しんだり、悩んだり、楽しんだりしながら、身につけている、
今のこのJAPANチームに、ヒデを突っ込んでみたかった・・・としみじみ思います。



けれど、それはかなわぬこと。



ヒデが背負った先駆者としての苦悩というものは、他の誰でもなく、ヒデが背負ったからこそ、
今の状況が生まれたのだと、そう思うと、
ヒデのサッカー選手としての使命はそこにあったのかもしれないとも思うのです。


「九州サポのひとりごと」のクラシックさんから、
先日宮崎で行われた『TAKE ACTION IN 宮崎』の様子を放映した番組のDVDをいただきました。


その中には、
現役当時そのままの走り姿でスルーパスを通し、
ボレーシュートを決めるイキイキとしたヒデがいます。

けれど、それと同時に、
農業大学の学生さんの「口蹄疫」の話に熱心に耳を傾けるヒデがいて、
宮崎の子供たちとサッカーボールを追いかけるヒデがいて、
知事さんと一緒にマスコミに向けて話をするヒデがいて、
貧しい国の、本物のサッカーボールに触ったことがない子供たちにサッカーボールを贈る活動をしているヒデがいます。

ヒデが新しい自分の使命を「サッカーを通した社会貢献」に見出したのだということが、よく伝わって来ました。


よくわかってもなお、

「もう5年後に生まれていたら・・」

その思いは、きっとこれからも折に付け私の脳裏に浮かぶのだろうと、
いまはまだ、そう思います。。。

いつか、そう思わなくなる日が来るのでしょうか??





posted by No.1 代表:くー |13:42 | 選手のこと | コメント(0) |

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