2006年02月05日

電影有声・『戦場のフォトグラファー』『CAPA in Love&War』

『戦場のフォトグラファー ジェイムズ・ナクトウェイの世界』(2002年スイス/監督クリスチャン・フレイ/101分)
『CAPA in Love&War』(2003年アメリカ/監督アン・メークピース/85分)

 私には絶対できないと思っている職業の一つに「戦場カメラマン」というものがあります。言うまでもなく、戦場に赴き、当事者の視点に限りなく近づき、時には目を覆いたくなるような現実をカメラで切り取って世界に向けて発信する…。

 「いい写真が撮れないとしたら、近寄り方が足りないからだ」

 この言葉を受け継ぎ現代の戦争・貧困に迫るフォトグラファー、ジェイムズ・ナクトウェイの実像に迫る前者。この言葉を遺した「先駆者」ロバート・キャパの生涯を描いた後者。何年か前にシアターキノで「戦争映画特集」として同時に掛かっていた二作品をあらためて観てみました。


 『戦場のフォトグラファー』
 コソヴォ・ルワンダ・インドネシア・パレスチナ・アメリカ…。ニューヨークを拠点に、世界に存在する戦争・貧困を撮り続けるナクトウェイ。本作では、彼のもつカメラにCCDを取り付けて撮影し、対象との距離・撮影しているときの彼の表情などを織り込んでいます。この「カメラに取り付けられたカメラ」が、彼の対象との「距離」を如実に物語ってくれます。コソヴォでは息子を亡くし悲嘆にくれる母親のまさに目の前でシャッターを切り、パレスチナでは暴徒とともに行動し催涙ガスをもろにくらう様が生々しく描かれる…。
 こうしたジャーナリストの姿勢に疑問を感じられる方も多いと思います。「目の前で展開されている悲劇を、どうして冷静に撮影などできるのか、自ら手を差し伸べようと思わないのか」。同感です、肝心なときに逃げ出してしまうような多くのジャーナリストに対しては。
 映画の中で、彼と共に仕事をした人物が、「彼は『関係者』なのだ」という表現を使っています。暴徒に襲われ、山刀で切り刻まれようとする男を目にして、彼は暴徒に何度も頭を下げて、20分もの間、地面に這い蹲って男の助命を嘆願した、というのです。自分も興奮した暴徒に殺される危険があるというのに。その男は結局助かりませんでした。
 他の取材においても、彼は対象に心を開き、対象が心を開いてくれるように接しています。世界の現実を伝えるために写真を撮る、そのためには物理的な「距離」だけではなく心の「距離」も縮めなければならない。「いい写真が撮れないとしたら、近寄り方が足りないからだ」。映画冒頭に出てくるキャパの言葉は、このことを意味しているようです。

 このように対象に心を傾け、なおかつ「仕事」をこなすなど、並の精神ではできないことです。実際、彼は前述の「暴徒に切り刻まれた男」の写真を自らの手で撮っています。しかしそれを撮すこと、写真を通じて「世界の現実」を伝え人々を動かすことを、彼は自らに使命として課したのです。意志の強さ、いや、使命感が彼を突き動かしている…。

 彼の言葉で、もっとも印象に残ったものです。

  「我々(カメラマン:筆者注)は現実を見なければならない。見て、行動しなければならない。我々がしなければ、誰がする?」


 ここまで観て、「以前見たとき、ボクは誤解をしていたのではないか?」という、最近抱き始めた予感は確信に変わりました。私はナクトウェイを「冷徹なフォトグラファー」としてしか記憶していなかったのです。決して彼は冷徹さだけで成り立っているフォトグラファーではなかった…。
 誤解が生じた理由を確認するために、次にキャパを描いた二作目を見ました。


 『CAPA in Love&War』
 本名アンドレ・フリードマン。ハンガリー・ブダペスト生まれ。ユダヤ人であることから政治的迫害を受けドイツ・ベルリンへ亡命。やがてドイツからも脱出しフランスへ。ここで写真を仕事としていくために「米国人カメラマン」ロバート・キャパを名乗るようになってから、彼は優れた作品を世に送り続ける。暗殺前のトロツキー・「崩れ落ちる兵士」・オマハビーチ上陸…。

 彼はスペイン内戦・日中戦争・対独戦などを、従軍カメラマンとして経験していますが、それは自分を「ジプシー」にしたファシスト達に対する彼自身の闘いだったのかも知れません。その闘いが終わり、ユダヤとしてのルーツであるイスラエルでの取材中に負傷。しばらく一線を退いていたものの1953年に再びインドシナの戦場へ戻り、そこで地雷を踏んで帰らぬ人となりました。

 この作品は、生前のキャパと交流の深かった人々に対するインタビューと、彼自身の残した言葉を中心に構成されています。証言者は一様に「彼が如何に愛すべき人間だったか」を語っています。と同時に、若い頃から故郷を離れ、また「アンドレ・フリードマン」から「ロバート・キャパ」という、自らが作り出した人間になったことからくる「寂しさ」を抱えた人間だったということも。
 写真の善し悪しを論ずる知識など持ち合わせていないのですが、彼の写真の中で、私はとりわけ人の笑顔を撮ったものに強く惹かれます。特に子供を撮した写真はどれも活き活きとしていて、「これが戦場カメラマンの撮ったものか」と疑わずにはいられないほどです。これも彼の持つ「寂しさ」の裏返しなのでしょう。

 とにかく、キャパという人は良い意味での人間くささを強く感じさせる人です。戦争を撮ることの葛藤を素直に吐露したり、酒と女に情熱を傾けたり…。本作は、そのキャパの人間としての魅力に焦点を当てた作品だったと言えるでしょう。


 終わってから、やはり誤解の原因は「観た順番」にある、ということが確認できました。以前、シアターキノでは、『CAPA』→『戦場のフォトグラファー』の順に観たのです。しかも続けて。人間ロバート・キャパの魅力を軸に据える前者を観たあとでは、ナクトウェイのストイックさが「冷徹」と映ってしまったのは仕方のないことかも知れません。
 ただ…、順序を変えてみたものの結局今回も続けて二作品見たことにかわりはないので、今度は『CAPA』について誤解を犯していそうで怖いのですが(笑


 ようやっと本ブログ2本目の映画レビューです。開設時にはもう少し多めに書けるかなと思っていたのですが。まぁ、ゴローちゃんのマネをして「月イチ」を目指す(注)ということで…(笑

(注)「ゴローちゃんのマネをして「月イチ」を目指す」
 テレビ朝日の「スマステ5」で稲垣吾郎が「月イチゴロー イナガキセレクション5」なるコーナーを「月1回」で担当しているので、これ幸いと一ヶ月に1本ぐらいでいいか、と思って立てた目標。「まず結論ありき」の悪しき例。


posted by tottomi |22:39 | 電影有声 | コメント(0) | トラックバック(1)

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