2005年11月26日

読書管見・沢木耕太郎『彼らの流儀』

彼らの流儀

沢木耕太郎『彼らの流儀』
(新潮社 ISBN:4101235120)


 「ノンフィクション作家」と紹介されることの多い彼ですが、コラムも結構書いています。これがその一つ。対象に真摯に向き合い、かといって過度にのめり込まない彼のスタイルは、長編もさることながらコラムでこそ活かされるのではないか、と思っています。
 『彼らの流儀』でも、「発光体は外部にあり、書き手はその光を感知するに過ぎない」(「あとがき」より引用)という彼のコラムに対する定義が貫かれています。
 スーパースターを父に持った野球選手の想いとそれを見守る母を描いた「ナチュラル」、大晦日に新しい手帳の連絡先に誰の名前を書き込むか考える独身女性の心を綴った「手帳」、あるヨット乗りの自死をめぐる「来信」と「返信」、有名人の芸名と同じ名前を持つ男性の率直な感想からなる「我が名は…」…

 ただ、私にとって最も心に残っているのは「表紙」と、それにまつわる私の体験です。


 数年前、何事も上手くいかずふさぎ込んでいた時期がありました。「どこかに答えはないか」。本棚を引っかき回す日々が続いていました。そしてこの本を手に取った時、あっ、と思わず声を挙げてしまったのです。「この馬…」

 表紙に使われている絵には、向こうからやってくる列車と黒い馬が描かれています。その馬が、列車に向かって駆け出していることに、それまでの私は気付いていませんでした。よく見もせずに、じっと佇んでいるだけだと思い込んでいたのです。あるいは私の心がそう見させていたのかも知れません。

 そうではなかった。馬はなぜかは分からないけれど、列車に向かって駆け出したのだ…

 あなたの目には、この馬がどのように映りましたか?


posted by tottomi |10:00 | 読書管見 | コメント(4) | トラックバック(1)

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今の私には

 このエントリーを見て、本棚からひさびさに文庫をとりだしてきて、蛍光灯の下で表紙をじーっ、、、と見つめてみたのですが、今のわたしには止まって見えます、馬。あと、この汽車を追いかけているように見えないか?と思ってもみたのですが、どう考えても向かってきてますね。

 『彼らの流儀』の中では、アラビア書道家本田孝一のエピソードが何度読んでも印象的。あこがれの砂漠でのギター演奏が虫の大群に襲われる惨憺たるものだったことで、自分の「美しいもの」へのこだわりがとてももろい基盤の上へなりたっていたことに気づかせられ、自分の中で社会復帰を果たせたシーンが特に。

posted by ちょく| 2005-11-27 16:19

今の私は

 私も、ここしばらくはまた止まっていましたが、なぜ止まってしまったのかようやく分かりかけてきたので、そろそろ駆け出せるかな、と思っています。…伝わらないですね、これでは(笑)。

 ただ、その「ここしばらく」で学んだことの一つは、止まることもまた大事なのだ、ということ。思いっきりエントリーと矛盾してますが(苦笑)。

 これでノルマは果たしましたな。明日から存分に居眠りぶっこくがいい、ハッハッハッ(高笑

posted by tottomi| 2005-11-27 18:01

沢木耕太郎のこと

こんにちは。『沢木耕太郎』さんの話にひっかかりました。彼の本は『深夜特急』を読んでから(ありきたりですが。。)好きになりました。その後誕生日が一緒だったんだとわかり、なんとなく親近感を覚え更に本を読むようになったのですが、おもしろいですよねー。沢木さん自身は講演会も行った事がありますが飄々としていて面白い人でした。馬が列車に向かって行く様は普通に考えれば来るであろう困難に立ち向かうっていう事をあらわしてるのでしょうか?でも色々想像できますよね。列車の直前でかわすとか、列車に上に乗っかってそのままどっかに旅立つとか。表紙から想像させてくれますね!

posted by birrla | 2005-11-28 02:16

Re:読書管見・沢木耕太郎『彼らの流儀』

レビューのくせに内容にほとんど触れていない(笑)手抜きエントリーにわざわざコメントありがとうございます。

>講演会も行った事がありますが飄々としていて面白い人でした。
羨ましいなぁ~、生サワコー(笑)。

>列車の直前でかわすとか、列車に上に乗っかってそのままどっかに旅立つとか。
そうですね、どうするつもりだったんでしょう、この馬。でも、多分その後どうなるか何も考えずに駆けだしたんだと思います。ま、絵なんでそんなこと言っても詮ないことですが。
描き手はそういうつもりで描いたんだと、自分で勝手に思っています。

なかむーさんの所ですれ違って(笑)いますね。
沢木耕太郎についてはこれからも色々書いていこうと思っています。当然『杯(カップ)』も扱います。ヒマがあれば見てください。

posted by tottomi| 2005-11-28 23:24

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