2006年04月29日

子供の気持ち

 昨日、他人様の所(こちらこちら)で、道新のコラムについてコメントしてきたんですが、自分の所でまとめておきます。

 読んでない人のために。そのコラムは函館での柏戦についてのもの。

 試合前の選手入場の際に選手達はベンチコートを着て入ってきた、寒かったから。で、一緒に入ってきた子供達と写真を撮るときにも脱がなかった。子供はユニフォーム姿なのに、選手も脱いで写ってあげてもいいじゃないか。後から写真を見た子供はがっかりするだろう。確かに函館は寒かったのでコンディションの為にギリギリまでコートを着ているのはわかるが、こういう余裕のなさが最後の所での粘りのなさを生んでいるんじゃないか…

 こんな内容です。私は「コートを脱いで写ってあげるぐらい、ほんの数秒で済むんだからやったらいい。でもそれは選手が考えることではなくてスタッフが言ってあげることだ」という意味のことを拝田さんの所でコメントしました。で、いつもの巡回をしていたらFTさんのところで同じ話題が触れられていたので、「『子供の夢を壊すな』と言う主張と、『チームの成績・闘いぶり』を安直に結び付けるのはどうかと思う」という意味のコメントをしました。舌っ足らずだったのですが、こう考えた理由は上述のように「このことはスタッフが考えるべきことである」という前提があるからです。

 一体コラムの書き手は何を言いたかったのでしょう?「チームの闘いぶり」に物申したければそれだけ書けばいいし、「子供の夢を壊すな」と言いたいのであれば何もチームのふがいなさに言及する必要はないわけです。確かに子供を大切にすることは大事ですが、それとピッチの上での闘い方は、やはりあんまり関係ない気がします。
 それと、さっき思い出した「このコラムに感じたざらっとした感じ」の原因を思い出しました。ここ。

アルバムを開くたび、『コートを脱いでくれていたら良かったのに』と、思うに違いない。

「違いない」って言っていますが、本当ですかね。結局、コラムの書き手もギャーギャー言っている我々も「子供の感じたこと」なんて確かめもせずにあーだこーだ言っているわけです。確かに「がっかり」しているかも知れませんし、「ヘンな理屈こねて、大人って不思議だな」と思っているかも知れません。案外、「嬉しかった」で心の中の100%は占められているのかも知れません。
 まぁ、何でこんな時間に書いているかというと、この問題は本質的にピッチの上とは関係ないので、早く整理して東京V戦の速報に集中したいと言うことです。さ。これで雑念は払ったぞ。では西が丘に魂を…って昼飯作らなきゃ。

posted by tottomi |12:10 | その他 | トラックバック(1)

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